日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

南東北の旅に行ってきました。追加アリ

2024-04-24 09:07:03 | 歴史探訪・城巡り
記録として綴っておきます。
画像は後日添付予定。

新幹線のぞみとやまびこを利用しての2泊3日のパック旅行でした。
銀山温泉と(戊辰戦争の攻防戦があった)鶴ヶ城がコースに組み込まれていたので申込したのですが、宿泊ホテルはビジネスホテルで夕食は付き付きませんと説明アリ。立石寺は1000段の階段がありますので歩きやすい靴で、、、と。
アララ、想定外! でいったんは申込保留にしたものの、今回申込をやめると次はいつ行くことになるかわからない、という判断で、再度申し込みの電話をかけた、という経緯があります。2人分で費用149,800円なのに、昼食も1回ついているだけ。あとは各自でという内容です。コロナ後の値上がりを感じます。

早朝集合。参加者は41名。久しぶりの大人数のパック旅行です。東京で乗り継いで仙台へ(新幹線の中で各自昼食済み)。観光バスで松島へ向かう。実質貸切りの遊覧船で松島湾をひとめぐり(約40分)。東北の震災時は松島湾の入り口にある桂島が防波堤の役割となったのか、松島の沿岸には津波は2mだった、と。遊覧船の船長さん宅は桂島に家があったので津波で倒壊したそうです。ちなみに塩釜は10mを超える津波が襲ったそうです。
話術の面白い船長さんのガイドであっという間の40分でした。
その後バスで一路宮城県から山形へ向かう。この手の旅行で夕食も大浴場もなしは初経験。
夕刻早めの到着で添乗員さんご自身は霞城(山形城跡)公園まで(片道徒歩20分)散策します、と。遅咲きの桜花が見れるかも、という期待と山形城跡と聞いて、私はスルーはしたくない。一緒についていくことにしました。広い城跡からホテルに戻る間に夕食に立ち寄るつもりで歩き出す。次第に日は落ちて街頭が灯る。地図を片手には歩いているのだけれど、ちょっと混乱。脚も痛くなる。おっお~、困った~(明日は1000段超の階段があるのに)の心境。居酒屋さんは見かけるけれど、なんだか入りたいとは思わない。ウロウロ。覚悟して入ろうとしたら満席で拍子抜け。思えばコンビニも少ないのです。ようやく目に留まったコンビニのお弁当コーナーでアレコレ買い求めて、Googleマップを頼りに戻りつきました。東北の美味しいものを食べる予定だったのに~~。翌朝耳にした話では、いくつかのお店は貸切りで入れず状態だったそうです。コンビニ弁当で済ませた、とかパンを買ったいう人も我が家以外にもいらしたりして、それはそれで笑い話になりました。
そのビジネスホテルは結婚式や宴会客はOKの規模の大きいホテルで、ビッフェ形式の朝食のメニューは充実していました。厨房設備が整っているのに、宿泊客への夕食提供がないのは、コロナの際の人材削減が今に影響しているのかしら、と想像したりもしました。

二日目は朝8時30分出発し銀山温泉に向かう。旅行のパンフレットでよく見にする大正時代の温泉街の光景が目の前に。歩いて10分ほどのエリアでした。温泉街の入り口あたりの普通のお宅風のお豆腐屋さんで湯豆腐と揚げ豆腐を味わう。
銀山温泉の名前から、鉱山に集まった労働者らの癒しの温泉だったのだろうと想像するけれど、その手の説明はほぼナシ。観光客用の写真スポットで有名になっている街という感じでした。
その後一路山寺(立石寺)へ。12時過ぎに到着。ツアーに入っている「芋煮定食」のランチ。一人用の鍋にはゴロンと丸い形の芋が3つ入っていた。熱々でお汁もおいしかった。
さて、1070段あるという立石寺の奥の院へレッツゴー。膝には湿布を貼ってサポーターをして更に杖も準備。なんせ数年前の金毘羅山は途中挫折。清水寺の坂道もヒーコラ言っていたのですから。
黙々と登る。最初の一息ついたところであと380段との表示。これなら大丈夫、と自信が出ました。ふぅ~。少し下って絶景が望めるという五大堂へも寄り道できました。

早めのホテル(郡山市のビジネスホテル)着。但し、このホテルは大浴場があって助かりました。夕食はなし、なので入浴前にお店を探して外食。天ぷらありの手打ちうどんを食べました。

3日目はホテル発8時15分。福島県会津若松市の鶴ヶ城へ向かいます。あの戊辰戦争で徳川側の会津藩は官軍との攻防で多くの犠牲者を出した藩であり、そのお城です。現在のお城はもちろん昭和の時代に再建されたものですが、5層になる城の各階には会津藩の歴史が語られていました。蒲生氏郷が築城し若松城と名付けたと記されていました。そう、先月に訪問した松坂城(現在は城址だけ)も蒲生氏郷の築城しています。氏郷は松坂には2年ほどしかいなくて、その後会津に転封を命じられたと解説されてあり、松坂の後で作ったことから若松と名付けたと記してあった(会津ではその記載見受けなかったけれど)。
その後、領主が変わり、保科正之(家光の異母弟)が会津松平の藩祖となっています。なんだか読んだことある人物の資料に出会うと興味もさらに増すものです。楽しい時間でした。

その後、大内宿へ。
ここも旅行のパンフレットで見ることがある観光地です。街おこしで多くの観光客が訪れるエリアとなっています。
お昼に入ったお店で、ネギ蕎麦を食べました。
街の歴史の冊子によると、かつては冬場は出稼ぎという地方だったけれど、古くからの宿場町の光景を復活させることで街に活気を出そうというアイデアが受け入れられて現在に至っている、とのこと。

その後、郡山駅から新幹線で東京経由で帰路につきました。







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2 コメント

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Unknown (haruharu)
2024-04-24 11:03:22
生憎の雨の中新潟塩沢宿に向かっています。一泊バス旅で北陸応援割ですから一人二万円足らずです~
一応食事は四食ついています(笑)
返信する
Unknown (案山子)
2024-04-24 13:55:38
楽しんできてくださいね。
美味しいご馳走ありそうですね。
私たちの2泊3日は連日好天でした。
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