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10/12renewal

「名刀・名剣」あれこれ

2008年05月16日 | Weblog
実在する、または伝承・創作上の名刀・名剣 あれこれしてみました。


・大包平(おおかねひら)
平安時代の古備前派の刀工包平作の名物の一振。日本刀の最高傑作として知られ、「童子切」と並び称されて「日本刀の東西の両横綱」と例えられることもある。備前池田家の重宝 国宝 東京国立博物館所蔵


・小烏丸(こがらすまる)
平家一門の家宝であったと伝えられる、刀工「天国」(あまくに)作と伝えられる日本刀。刀身の先端から半分以上が両刃になっている。
桓武天皇の時代、大神宮(伊勢神宮)より遣わされた八尺余りある大鴉によってもたらされたと伝えられ、「小烏丸」の名はその大鴉の羽から出てきたとの伝承に由来する。刀工「天国」作と伝えられる。
平貞盛が平将門、藤原純友らの反乱を鎮圧する際に天皇より拝領し、以後平家一門の家宝となる。壇ノ浦の合戦後行方不明になった。しかし一方「小烏丸」という刀剣が皇室御物として保管されている。当該御物は江戸時代になって伊勢家で保管されていることが判明し、明治維新後に対馬の宗家に渡った後、明治天皇に献上された。


・抜丸(ぬけまる)
「源平盛衰記」に登場する、「小烏丸」と並ぶ平家伝来の名刀。一説に伯耆国大原眞守の作と言われる。


・小狐丸(こぎつねまる)
三条宗近作と伝えられる日本刀。九条家が秘蔵していたとされるが、現在は所在不明。朝廷から作刀を命ぜられたが満足のいく刀を打てずに困っていた三条宗近を助けるため、彼の氏神である稲荷明神が童子に化けて相槌を打ったと言われる。


・鶴丸(つるまる)
平安時代の刀工国永作の太刀 名物のひとつ
国永は、刀工五条兼永の子で、三条宗近の弟子と伝えられる。国永の作刀はわずかしか残っていないが、その中で最も優れた刀が、この「鶴丸」である。
江戸時代には、仙台藩主伊達家の所有であったが、明治時代に伊達家より皇室に献上され御物となる。


・髭切(ひげきり)
平安時代に源満仲が作らせたとされる刀で、「膝丸」とともに源氏重代の刀として伝えられている。
平家物語・剣巻では、刀工は「筑前国三笠郡の出山というところに住む唐国の鉄細工」とされているが詳しいことは不明。罪人を試し切りした際、髭まで切れたというのがこの名の由来である。源頼光の家来渡辺綱が一条戻橋で鬼の腕を切ったとされ、その際名を「鬼切」と改めた。北野天満宮所蔵 重要文化財


・膝丸(ひざまる)
平安時代に源満仲が作らせたとされる刀で「髭切」とともに源氏重代の刀として伝えられている。
平家物語・劒の巻では、刀工は「筑前国三笠郡の出山というところに住む唐国の鉄細工」とされているが詳しいことは不明。罪人を試し切りした際、膝まで切れたというのがこの名の由来である。後に「蜘蛛切」「薄緑」と名前を変える。


・天光丸
源義家が使用した太刀。河内源氏本拠地であった大阪府羽曳野市の壷井八幡宮所蔵


・千代金丸(ちよがねまる)
琉球王国王家 尚家に伝わる刀。伝説では、尚巴志が北山城(今帰仁城)を攻めた時、北山王攀安知がこの刀で城内霊石を切り、返す刃で自ら首をはねたという。


・獅子王(ししおう)
平安時代の太刀 近衛天皇の御世 都を騒がせた鵺(ぬえ)を仕留めた恩賞として源頼政に下賜されたと伝えられる。家康から獅子王を与えられた土岐家(幕臣・高家)に代々伝えられ、明治になって皇室に献上された。東京国立博物館所蔵 重要文化財


・蛍丸(ほたるまる)
来国俊作の大太刀。南北朝時代に南朝側の武将として活躍した阿蘇惟澄が実戦で使用した際に、刃こぼれした刀に蛍が群がり刀を直した夢を見て、目が覚めて見てみると本当に直っていたとの伝説がある。この伝説が蛍丸の名の由来となっている。
昭和6年に国宝指定。太平洋戦争終戦時の混乱の中、行方不明となった。


・祢々切丸(ねねきりまる)
日光の二荒山神社の御神刀。祢々という妖怪を退治した太刀


・一期一振(いちごひとふり)
正宗と並ぶ名工とされる粟田口吉光作の太刀
粟田口吉光は、その作品は短刀ばかりで太刀はこの一振しか作らなかったため「一期一振」と呼ばれた。
戦国時代、朝倉氏が所有していたが、朝倉氏滅亡後は毛利氏の所有となり、毛利輝元より秀吉に献上された。小柄な体格であった秀吉は、自分の体格に合わせて、刃長が2尺8寸3分(約86cm)あった「一期一振」を、2尺2寸7分(約69cm)に磨上げた。秀吉の死後、大坂夏の陣で大坂城落城した際の火災で「一期一振」も焼けてしまった。
その後、徳川家康は、越前康継に焼けた「一期一振」を打ち直させ、蘇った「一期一振」は尾張徳川家に伝えられた。
幕末の文久3年、尾張藩主徳川茂徳より孝明天皇に献上された。以後、皇室御物となっている。額銘に「吉光」


・二つ銘則宗 (ふたつめいのりむね)
備前一文字則宗作とされる日本刀
「鬼丸」「大典太」「骨喰藤四郎」と並ぶ足利将軍家の重宝であった。後に豊臣秀吉の手に渡り、京都の愛宕神社に奉納された。重要文化財


・小豆長光(あずきながみつ)
上杉謙信が川中島の戦いにおいて武田信玄の軍配を切りつけたといわれる名刀。名前の由来は刃の上から小豆を落とすと真っ二つになったという伝説より。
現存していない。謙信亡き後研ぎに出されたが,行方不明になった。


・備前長船景光 - 武田信玄が駿河侵攻の際に、成就を祈願して奉納された太刀。富士山本宮浅間大社所蔵 重要文化財


・青木兼元(あおきかねもと)
美濃国の刀匠孫六兼元により鍛えられた日本刀。「真柄切」や「真柄切兼元」とも呼称される。孫六の作刀の中でも最高傑作と評される一品。
元亀元年 姉川の戦いにおいて、暴れ回る朝倉氏の家臣真柄兄弟を討ち取った青木一重が使用していた刀で、その名が知られるようになった。


・山姥切国広
重要文化財 九州日向住国広作 銘は「天正十八年庚寅弐月吉日 平顕長」


・小竜景光(こりゅうかげみつ)
鎌倉時代の備前国の刀工景光作の太刀。はばきもとに精緻な倶梨伽羅竜の彫り物があることからこの名がある。楠木正成(楠公)の佩刀であったと伝えられていることから「楠公景光」とも呼ばれる。東京国立博物館所蔵


・謙信兼光


・謙信助宗


・山鳥毛一文字 - 関東管領山内上杉家に伝わっていた刀。上杉謙信が上杉家の名跡を継承した際に謙信に伝えられる。皆焼(ひたつら)の華麗な刃紋が特徴である。


・戒杖刀 - 上杉謙信が上洛した際、高野山で清胤に教えを受けた時に持って行ったという仕込み杖。


・鶴丸国永
皇室御物 銘に「国永」


・圧し切り長谷部
織田信長の佩刀。無礼を働いて戸棚に隠れた長谷部という茶坊主を圧し切り(振りかぶらずに押すだけで切る。かなり切れ味の鋭い刀でないとこれで人間を斬るのは無理)で成敗したといわれる。


・宗三左文字
今川義元の佩刀 「義元左文字」と称される事もある。
桶狭間の戦いにおいて織田信長が戦利品として奪い、本能寺の変の後、豊臣秀吉の手に渡った。この刀は、常に天下を取るもの、狙う者の手にある運命にあると歴史ファンが言うのも無理からぬことではある。
秀吉の死後、その子秀頼に、さらに、秀頼から家康の手に渡った。それ以降徳川将軍家に代々受け継がれた。その後、天明の大火に遭うものの再刃される。建勲神社所蔵 重要文化財


・波遊ぎ兼光(なみおよぎかねみつ)
二代長船兼光作の日本刀である。上杉家に伝えられていたが、後に立花宗茂に渡り立花家の重宝となった。八代将軍徳川吉宗が再三にわたり観賞を希望したが、立花家は応じなかった。
名前の由来は2説ある。一つは、斬られた者が川に飛び込んで逃げ、泳いでいるうちに首が落ちた、又は真っ二つになった為とされる。もう一つは、竜の彫り物が波間を泳いでいるように見える為とされる。


・にっかり青江
夜道で「ニッカリ」笑いながら近づいてくる女(妖怪)に斬りつけ、翌朝確かめたところ、石灯籠が真っ二つになっていた、という伝説より。
備中青江派作の大脇差である。江戸時代に刀剣極所の本阿弥家の鑑定により無代(値が付けられないほどの極上品)とされた。
柴田勝家、柴田勝敏、丹羽長秀、豊臣秀吉、豊臣秀頼、京極高次に伝えられる。


・大般若長光(だいはんにゃながみつ)
鎌倉時代の備前長船派の刀工長光の代表作として古来名高い太刀である。室町時代に他に類をみない銭六百貫という代付(だいづけ)がなされたために、大般若経六百巻に引き合わせてこの優雅な名前がついた。
奥平信昌が長篠の戦いでの戦功により、徳川家康より拝領した。東京国立博物館所蔵 国宝



・長篠一文字
奥平信昌が長篠の戦いでの戦功により、織田信長より拝領した刀。


・ソハヤノツルギ
「ソハヤノツルキ・ウッスナリ」と茎に彫りがある。あまりに切れたので「この太刀の切先を西に向けて置く様に」と遺言してこと切れたという家康の愛刀。無銘だが三池典太光世の作と伝えられる。久能山東照宮所蔵


・古今伝授の太刀(こきんでんじゅのたち)
豊後の刀工行平作の日本刀である。安土桃山時代、細川藤孝(幽斎)より烏丸光広への古今伝授の際、藤孝より光広に贈られたため、この名で呼ばれた。国宝


・地蔵行平


・稲葉郷
「天正十三 十二月 日 江 本阿弥磨上之(花押)所持稲葉勘右衛門尉」の金象嵌銘 現在は個人蔵 国宝
郷義弘(ごうのよしひろ)は南北朝時代の越中の刀工。若くして夭折した。越中国松倉郷の人で、「郷」または「江」と通称する。
相州正宗、粟田口吉光と共に「天下三作」と呼ばれるほど珍重され、各大名はこぞって手に入れたがった。「郷とお化けは見たことがない」といわれる。


・観世正宗 - 観世家より徳川家康に献上された刀。


・石田正宗
豊臣秀吉もしくは宇喜多秀家が石田三成に贈り、それをさらに結城秀康が譲り受けたもの。刀身に深い切込痕があり、「切込正宗」ともいう。


・城和泉正宗(津軽正宗)
城昌茂(城和泉守)の愛刀。のちに弘前藩主の津軽家に伝えられた。


・日光助真


・中務正宗


・遠江長光


・江雪左文字
左文字の唯一の在銘の太刀。紀州徳川家に伝えられた。現在は個人蔵。


・児の手柏包永 - 水戸徳川家に伝えられた太刀。関東大震災で焼失。


・八丁念仏団子刺し


・瓶割刀(かめわりとう)
戦国時代初期の一刀流剣術の始祖・伊東一刀斎の愛刀であったと伝わる。「瓶割」と通称される。
この刀は、伊藤一刀斎が鬼夜叉と言われていた頃、三島神社より与えられた刀で、その神社に賊が押し入った際、瓶に潜んでいた賊を瓶ごと切り伏せたことから「瓶割刀」との異名が付いたといわれている。代々一刀流の宗家に受け継がれたとされる。


・柳生の大太刀(やぎゅうのおおだち)
柳生宗厳(石舟斎)以降、代々新陰流の宗家に受け継がれる大太刀。新陰流内部では「霊剣」と呼ばれた。銘は「出雲守永則」
刃長4尺7寸8分(約1.45m)の長大な刀で、腕力のある者が持つことはできたが構えることはできなかったと伝えられる。徳川美術館所蔵


・雷切(らいきり)
立花道雪(戸次鑑連)が雷または雷神を斬ったと伝えられる日本刀。元の名は「千鳥」であったが、雷神を斬った後に道雪によってこの名に改められたと伝えられている。


・骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)
粟田口吉光(藤四郎)作
元は長刀だったものを磨り上げて太刀とした「薙刀直し刀」である。
実戦で使用された記録は無いが、見ただけで骨を砕かれるような威風を持った剛刀であることから、俗に「名物骨喰藤四郎」「骨喰吉光」と呼ばれている。
足利尊氏が西国に下った折に大友氏より献上された刀であり、松永久秀を経て大友宗麟、九州征伐後には豊臣秀吉、その後は徳川家と、様々な所有者の手に渡った。明暦の大火(1657年)によって一度は焼失しかけるが、豊臣家が残していた刀拓を元に復元された。大阪の豊国神社所蔵 重要文化財


・平野藤四郎(ひらのとうしろう)
粟田口吉光(藤四郎)作の短刀。短刀の名物の筆頭とされる。
名前の由来は、木村重茲が摂津の商人平野道雪より入手したと伝えられていることによる。木村重茲はこの短刀を豊臣秀吉に献上し、秀吉は前田利長に譲り、以後、前田家に伝えられた。明治時代、前田家より皇室に献上され、御物となる。


・直刀・黒漆平文大刀拵(くろうるしひょうもんたちごしらえ)
鹿島神宮所蔵 国宝


・金銅装環頭大刀拵・大刀身(こんどうそうかんとうたちごしらえ・たちみ)
7世紀前半にさかのぼる直刀 小村神社(おむらじんじゃ)所蔵(高知県高岡郡日高村)国宝


・七星剣(しちせいけん)
日本の直刀の一つ 長さ62.1cm 切刃造り
名前の由来は、七星文つまり北斗七星が描かれていたことによる。七星文の他には雲形・三星文・竜頭などが描かれている。丙子椒林剣とともに聖徳太子の佩刀と伝えられている。四天王寺所蔵 国宝


・丙子椒林剣(へいししょうりんけん)
日本の直刀の一つ 長さ65.8cm 切刃造り
名前の由来は、腰元の平地に隷書体で『丙子椒林』と書かれていることによる。
茎の先にある忍孔が一部欠落しているが地肌が美しい梨子地肌風であり、この時期の上古刀としては現存する最高の出来であるとされる。「七星剣」とともに聖徳太子の佩刀とされる。四天王寺所蔵 国宝


・天之尾羽張(あめのおはばり)
日本神話に登場する刀であり、また神の名前である。


・昼御座の御剣
京都御所の清涼殿の昼御座に安置されていた剣。草薙剣の代わりとしても用いられた。


・壺切御剣(つぼきりのみつるぎ)
代々の皇太子(東宮)に受け継がれた宝剣である。「壺切の太刀」ともいう。
元は関白藤原基経が、養父良房から伝えられたものであった。基経がこれを宇多天皇に献上し、天皇が皇太子である敦仁親王(のちの醍醐天皇)に授けた。
以後、壺切は東宮のシンボルとして現代まで代々受け継がれた。歴代天皇が、その皇位とともに継承してきた「三種の神器」に近いものと考えられる。


・七支刀(ななつさやのたち/しちしとう)
大王家に仕えた古代の豪族物部氏の武器庫であったとされる石上神宮に六叉の鉾(ろくさのほこ)として伝えられてきた鉄剣。全長74.8cm。明治時代初期、当時の石上神宮大宮司が刀身に金象嵌銘文が施されていることを発見した。



●神代三剣
・天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ/あめのむらくものつるぎ)
三種の神器の一つで、熱田神宮の神体である。草薙剣(くさなぎのつるぎ)・都牟刈の大刀(つむがりのたち)・八重垣剣(やえがきのつるぎ)とも称される。三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴であるとされる。
スサノオが出雲国で倒したヤマタノオロチの尾から出てきた太刀。天叢雲という名前は、ヤマタノオロチの頭上に常に叢雲が掛かっていたためとされている。


・布都御魂(ふつのみたま)
記紀神話に現れる霊剣。韴霊剣、布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)とも言う。佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)とも言い、「ふつ」は物を断ち切る音を表す。
建御雷神(たけみかずちのかみ)はこれを用い、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定した。神武東征の折、ナガスネヒコ誅伐に失敗し、熊野山中で危機に陥った時、高倉下が神武天皇の下に持参した劔が「ふつみたま」で、その剣の霊力は軍勢を毒気から覚醒させ、活力を得てのちの戦争に勝利し、大和の征服に大いに役立ったとされる。荒ぶる神を退けるちからを持つ。奈良県石上神宮の禁足地に眠るとされている。


・十束剣(とつかのつるぎ)
日本神話に登場する剣。「十握剣」「十拳剣」「十掬剣」など様々に表記される。
ヤマタノオロチ退治のときにスサノオが使ったのは「十拳剣」とされる。


●天下五剣
・童子切(どうじぎり)
「童子切安綱(どうじぎりやすつな)」とも呼ばれる。天下五剣の一つで、「大包平」と並んで最も優れた名刀とされている。刃長79.9cm、反り2.7cm
源頼光は、丹波国大江山に住み着いた鬼、酒呑童子の首をこの刀で切り落としたという。「童子切」の名前はこの伝説に由来する。東京国立博物館所蔵 国宝


・三日月宗近(みかづきむねちか)
天下五剣の一つ。刃長80.0㎝、反り2.7㎝。
平安時代の刀工三条宗近の作。「三日月」の号の由来は刃文に三日月形の打除けが数多くみられることによるものとされる。
豊臣秀吉の正室高台院が所持し、遺品として徳川秀忠に贈られた。以来徳川将軍家の所蔵となる。東京国立博物館所蔵 国宝


・鬼丸(おにまる)
「鬼丸国綱(おにまるくにつな)」とも呼ばれる。京粟田口派の刀工で、粟田口六兄弟の末弟である国綱の作。刃長78.2cm、反り3.2cm。
太平記によると、北条時政の夢に現れた小鬼を斬った刀とされる。皇室御物


・数珠丸珠丸(じゅずまる)
天下五剣の一つ、日本刀名物の一つ。青江恒次の作とされる。
日蓮が所持していたと言われており、その際、柄に数珠を掛けていたことからこの名が付いたとされる。日蓮没後は他の遺品とともに身延山久遠寺に保管されていたが、享保年間に行方不明となった。1920年ごろ、再発見された。本興寺(尼崎市)所蔵 重要文化財


・大典太(おおてんた、おおでんた)
「大典太光世」とも。天下五剣の一つ。平安時代後期の筑後の刀工典太光世の作。
もともと足利将軍家の家宝であったが、足利家の没落により豊臣秀吉のものとなった。その後、秀吉から前田利家に贈られたとも、秀吉が家康に贈り、徳川秀忠から前田家に譲られたとも伝えられる。以降、前田家に代々伝えられた。前田育徳会所蔵 国宝



●新選組幹部の差料
・虎徹(長曽祢興里)
虎徹の持ち主として一般に有名な新選組局長近藤勇が、どのようにして手に入れたかについては諸説ある。子母沢寛の「新撰組始末記」では、「江戸で買い求めた」「鴻池に貰った」「斎藤一が掘り出した」の三説を挙げている。


・和泉守兼定
司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』にて新撰組副長土方歳三の愛刀として広く人口に膾炙されたが、実際に土方の遺品として遺されている「兼定」は十一代兼定の作(二尺三寸一分六厘)であり(二尺八寸の十一代兼定は京都で使用)、二代目兼定ではない。


・菊一文字則宗
新撰組の一番隊組長沖田総司が所持していたとされるが、幕末期において、則宗の刀は既に国宝的な扱いを受けており、到底、沖田に手の出る物ではない。これは司馬遼太郎が著書「新撰組血風録」の中に描いた架空の設定で、ここから沖田総司の愛刀は菊一文字というイメージが定着した。新撰組に関する記録で沖田が菊一文字を使っていたという記録は無く、加州清光を使っていたとの記録がある。


●享保名物牒(きょうほうめいぶつちょう)
享保4年、将軍吉宗の命により諸大名家にある160振りの名刀、他に焼失品80口を調査して、寸尺や由緒を記したもの。本阿弥家による。


●刀剣の業物一覧(とうけんのわざものいちらん)
文化2年、山田浅右衛門が著した「懐宝剣尺」に記された刀工
最上大業物12工の下に大業物21工、良業物50工、業物80工、大業物・良業物・業物混合65工と続く。計228工


●通称「物干し竿」
刃長三尺三寸(約1m)の野太刀「備前長船長光」
佐々木小次郎が巌流島の決闘で用いる。


●加賀五郎義兼
国定忠治の愛刀


●妖刀村正 籠釣瓶(かごつるべ)
「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」で登場する佐野次郎左衛門が使った刀。


●今剣(いまのつるぎ)薄緑(うすみどり)
源義経所持の刀とされる。


●岩融(いわとおし)
武蔵坊弁慶の薙刀の銘 作者は不明だが、三条宗近とも


●斬馬刀(ざんばとう)
現実に存在した斬馬刀は非常に大きく、肉厚な刃を持つ。その長大さ故に人々の目をひきつけ、神社などの奉納品として使われている。


●三本太刀
大正の大震災で焼失するまでの築地の市川家の蔵には、二代目團十郎伝来といわれる三本太刀が残されていたという。 大は六尺(約1.8m)、中五尺、小四尺の三本であった。


●波切丸(なみきりまる)
歌舞伎「天竺徳兵衛韓(いこく)噺」に登場する刀。


●肥後国菊池の「肥後同田貫」
・劇画『子連れ狼』拝一刀の佩刀‥「胴太貫」


・破れ傘刀舟 悪人狩り
長崎で医術を学んだ蘭学医叶刀舟(時代劇の主人公)の愛刀が胴太貫。


・兜割り
旧幕臣にして直心影流の継承者である榊原鍵吉が、明治20年、明治天皇が伏見宮邸を訪れた際、同田貫を用いて明珍作の兜を三寸五分斬り、割ったという逸話がある。


●村雨(むらさめ)
江戸時代の読本『南総里見八犬伝』に登場する架空の刀。犬塚信乃が用いる宝刀で、鞘から抜くと刀身に露が浮かぶ奇瑞がある。このことから「抜けば玉散る氷の刃」の名文句を生んだ。
他に登場する名刀
落葉(おちば)犬川家の重宝 
桐一文字の小刀と太刀(きりいちもんじ)大塚家の重宝
木天蓼丸(わたたびまる)長尾家の重宝
小月像(こつきがた)大月像(おほつきがた)狙公(さるひき)里見家の重宝
若鮎(わかあゆ)管領細河政元が持つ名刀
赤岩一角の形見の短刀 後に子の犬村大角が所持する
伏姫自害の懐剣 後に犬江親兵衛が所持する


●乾雲丸、坤竜丸
関の孫六の名刀 林不忘の小説『丹下左膳』に登場する。


●斬鉄剣(ざんてつけん)
『ルパン三世』の石川五ェ門の愛刀として登場。鉄に限らずどんなものでも切ることができるため、「斬鉄剣」といえば良く切れる刀の代名詞としても有名。TV第1シリーズ第5話での五ェ門の発言によれば、斬鉄剣は虎徹、良兼、正宗という三本の名刀を一緒に熔かして打ち直したものとされている。


●太阿の剣 古代中国の名剣 屈原の楚辞にも登場する




参考にさせていただいたHP
http://guthwine.com/database4.htm
http://www.bakusin.com/katana4.html
http://www.mokuzai-tonya.jp/05bunen/zuisou/2004/11nihontou11.html
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/8632/kagoturu.htm
http://wiki.ffo.jp/wiki.cgi?Command=Category&cid=23&INT=1
http://www.hh.iij4u.or.jp/~hattori/hokohoko/iroha/irohaSA.html
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-42129-storytopic-121.html
http://gensounobuki.fc2web.com/t5/5_nihon.html
http://www.mars.dti.ne.jp/~opaku/hakken/09/sword.html
ウィキペディア(Wikipedia)ほか


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