<戦国時代>当時男性の平均身長が157cm程度といわれています。
●長身な戦国武将
風魔小太郎(五代目)‥背丈は七尺二寸(216cm)もあったともいわれる。伝承
斎藤義龍‥身長は六尺五寸(約197cm)といわれ、非常に大男であったとされている 信長を主人公とした小説では、信長は義龍のことを「六尺五寸殿」と呼んでいた。
豊臣秀頼‥背丈六尺五寸(約197cm)
体重43貫(約161kg)の並外れた巨漢であったと伝わる。
藤堂高虎‥190cm 伝承
加藤清正‥体格は非常に大きく、六尺三寸(約191cm)の大男だったと言われている。だが実は五尺三寸(約161cm)にも満たない身長であったが、かぶる兜を長くして全体像を高く見せる事によって相手に威圧感を与えようとしていたという説もある。
後藤又兵衛(基次)‥六尺(182cm)豊かの大男で、色白、髭濃く、大槍を好んで使った。
前田利家‥六尺(182cm)を誇る類稀なる恵まれた体格の持ち主であった。
直江兼続‥身長は六尺(182cm)近くあり、眉が太く双眸が澄む美男子だった。
「大男にて、百人にもすぐれたる‥長高く容儀骨柄並びなく‥」「常山紀談」より
浅井長政‥180cm余
宮本武蔵‥約180cm 伝承
織田信長‥肖像から推定して約170cm
長宗我部元親‥背も高く体格も優れていたが、色白で無口、人見知りも多かったため、家臣から姫若子とあだ名された。
小西行長‥「色白く身長高く、尋常の者とは見えず」
小早川秀秋‥靖国神社蔵の伝小早川秀秋所用の甲冑(三鍬形後立小星兜 紫糸威二枚胴具足)は巨大
●中背(156~160cm)の戦国武将
伊達政宗‥遺骨から推算して159.4cm
徳川家康‥鎧から推定して156-160cm
159cm(大樹寺~岡崎市に安置されている江戸幕府歴代将軍の位牌による)
徳川秀忠‥160cm(大樹寺~岡崎市に安置されている江戸幕府歴代将軍の位牌による)
上杉謙信‥鎧から推定して約156cm
「六尺近い偉丈夫」が有力説とされてきたが、「小柄」と表記されている文献もいくつか存在し、謙信の身長については諸説があり定かではないのが実情であった。しかし、近年の研究で遺品の甲冑の大きさなどから五尺二寸ほど(約156cm)であったことがわかっている。当時の男性の平均身長は159cm程度であったため、屈強な武将たちの中で考えると「小柄」という表現が正しいことがわかっている。
石田三成‥頭蓋骨の鑑定から‥156cm
前田利益(慶次郎)‥体格の良い大男として描かれる事の多い利益だが、実際には身長に関する記述は存在せず、利益所有のものと思われる現存の甲冑も、他の武将の甲冑と比べて特別大きさは変わらない。(漫画「花の慶次」では「身の丈六尺五寸197cm)
●小柄な戦国武将
真田信繁(幸村)‥「小兵なる人にて候」大坂の陣の時、後藤又兵衛の近習 長沢九郎兵衛が、後年口述筆記させた『長沢聞書』による。
上杉景勝‥背が低く無口で両目が鋭く‥言い伝え
武田信玄‥鎧から推定して153cm
豊臣秀吉‥150~160cm余まで諸説
池田輝政‥身長が低いのがコンプレックスであったが、それを酒の席でからかわれた際に、即興の歌と舞で軽くいなした。
山県昌景‥身長は130cmから140cmの小柄で、体重も軽かった。
「袴腰と頭との間、僅か四、五寸ならでは無き程の小男にて、不器量なれども渠を備え、立てば耳の際に雷が落ちたる如くなり。信玄家臣の中でも股肱の大将かな。戦にては信玄の小男出たりと恐怖しける程の侍大将に有りける也」
<戦国時代 以外では>
劉備‥背丈が七尺五寸(172.5cm)腕が膝に届くまであり、耳が非常に大きく自分の耳を見ることが出来たと言う。
関羽‥身の丈九尺(207cm)、二尺の髭、紅顔で重さ82斤の青龍偃月刀と呼ばれる大薙刀を持ち、赤兎馬に跨っている。『三国志演義』
張飛‥身長八尺(後漢の頃の一尺は23cmで八尺は184cm) 豹のようなゴツゴツした頭にグリグリの目玉、エラが張った顎には虎髭。『三国志演義』
孔明‥身長は八尺(後漢の頃の一尺は23cmで八尺は184cm)
源為朝‥七尺ほど(210cm)の大男で、目の隅が切れあがった容貌魁偉な武者だった。強弓の使い手で、左腕が右腕よりも四寸(12cm)も長かった。
源義経‥鎧から推定 150cm前後
武蔵坊弁慶‥身長195cm 体重120kg 伝承
石川五右衛門‥身長は六尺九寸(約207cm)あったという。伝承
徳川家光‥157cm(大樹寺~岡崎市に安置されている江戸幕府歴代将軍の位牌による)
徳川吉宗‥身長が六尺(約180cm)を超える長身であった。色が黒く、体力もあり父・光貞に命じられ関取と相撲の取り組みをした話も伝えられる。
155.5cm(大樹寺~岡崎市に安置されている江戸幕府歴代将軍の位牌による)
井伊直弼‥162cm
和宮親子内親王‥遺骨から推算 143cm
徳川慶喜‥五尺八寸(176cm)
土方歳三‥「五尺の上に五寸(約167cm)は確かにあった」
「勇と比べると、髷つぶしだけは高かった」
近藤 勇‥162cm
沖田総司‥五尺五寸(167cm)
島田魁(新撰組隊士)‥185cm 160kg
山岡鉄舟‥187cm 105kg
勝 海舟‥五尺一寸(156cm)
坂本龍馬‥身長六尺(約182cm 近年の研究では174cmや169cmというものもあり)と江戸時代の当時としてはかなりな大男であったといえるだろう。
西郷隆盛‥身長:182cm 体重:114kg 血液型はB型 喫煙者であるが酒は弱く下戸であった。
大久保利通‥身長:178cm 体重:65kg 血液型はO型
福沢諭吉‥173cm
野口英世‥153cm
参考にさせていただいたHP
ウィキペディア(Wikipedia)ほか
●長身な戦国武将
風魔小太郎(五代目)‥背丈は七尺二寸(216cm)もあったともいわれる。伝承
斎藤義龍‥身長は六尺五寸(約197cm)といわれ、非常に大男であったとされている 信長を主人公とした小説では、信長は義龍のことを「六尺五寸殿」と呼んでいた。
豊臣秀頼‥背丈六尺五寸(約197cm)
体重43貫(約161kg)の並外れた巨漢であったと伝わる。
藤堂高虎‥190cm 伝承
加藤清正‥体格は非常に大きく、六尺三寸(約191cm)の大男だったと言われている。だが実は五尺三寸(約161cm)にも満たない身長であったが、かぶる兜を長くして全体像を高く見せる事によって相手に威圧感を与えようとしていたという説もある。
後藤又兵衛(基次)‥六尺(182cm)豊かの大男で、色白、髭濃く、大槍を好んで使った。
前田利家‥六尺(182cm)を誇る類稀なる恵まれた体格の持ち主であった。
直江兼続‥身長は六尺(182cm)近くあり、眉が太く双眸が澄む美男子だった。
「大男にて、百人にもすぐれたる‥長高く容儀骨柄並びなく‥」「常山紀談」より
浅井長政‥180cm余
宮本武蔵‥約180cm 伝承
織田信長‥肖像から推定して約170cm
長宗我部元親‥背も高く体格も優れていたが、色白で無口、人見知りも多かったため、家臣から姫若子とあだ名された。
小西行長‥「色白く身長高く、尋常の者とは見えず」
小早川秀秋‥靖国神社蔵の伝小早川秀秋所用の甲冑(三鍬形後立小星兜 紫糸威二枚胴具足)は巨大
●中背(156~160cm)の戦国武将
伊達政宗‥遺骨から推算して159.4cm
徳川家康‥鎧から推定して156-160cm
159cm(大樹寺~岡崎市に安置されている江戸幕府歴代将軍の位牌による)
徳川秀忠‥160cm(大樹寺~岡崎市に安置されている江戸幕府歴代将軍の位牌による)
上杉謙信‥鎧から推定して約156cm
「六尺近い偉丈夫」が有力説とされてきたが、「小柄」と表記されている文献もいくつか存在し、謙信の身長については諸説があり定かではないのが実情であった。しかし、近年の研究で遺品の甲冑の大きさなどから五尺二寸ほど(約156cm)であったことがわかっている。当時の男性の平均身長は159cm程度であったため、屈強な武将たちの中で考えると「小柄」という表現が正しいことがわかっている。
石田三成‥頭蓋骨の鑑定から‥156cm
前田利益(慶次郎)‥体格の良い大男として描かれる事の多い利益だが、実際には身長に関する記述は存在せず、利益所有のものと思われる現存の甲冑も、他の武将の甲冑と比べて特別大きさは変わらない。(漫画「花の慶次」では「身の丈六尺五寸197cm)
●小柄な戦国武将
真田信繁(幸村)‥「小兵なる人にて候」大坂の陣の時、後藤又兵衛の近習 長沢九郎兵衛が、後年口述筆記させた『長沢聞書』による。
上杉景勝‥背が低く無口で両目が鋭く‥言い伝え
武田信玄‥鎧から推定して153cm
豊臣秀吉‥150~160cm余まで諸説
池田輝政‥身長が低いのがコンプレックスであったが、それを酒の席でからかわれた際に、即興の歌と舞で軽くいなした。
山県昌景‥身長は130cmから140cmの小柄で、体重も軽かった。
「袴腰と頭との間、僅か四、五寸ならでは無き程の小男にて、不器量なれども渠を備え、立てば耳の際に雷が落ちたる如くなり。信玄家臣の中でも股肱の大将かな。戦にては信玄の小男出たりと恐怖しける程の侍大将に有りける也」
<戦国時代 以外では>
劉備‥背丈が七尺五寸(172.5cm)腕が膝に届くまであり、耳が非常に大きく自分の耳を見ることが出来たと言う。
関羽‥身の丈九尺(207cm)、二尺の髭、紅顔で重さ82斤の青龍偃月刀と呼ばれる大薙刀を持ち、赤兎馬に跨っている。『三国志演義』
張飛‥身長八尺(後漢の頃の一尺は23cmで八尺は184cm) 豹のようなゴツゴツした頭にグリグリの目玉、エラが張った顎には虎髭。『三国志演義』
孔明‥身長は八尺(後漢の頃の一尺は23cmで八尺は184cm)
源為朝‥七尺ほど(210cm)の大男で、目の隅が切れあがった容貌魁偉な武者だった。強弓の使い手で、左腕が右腕よりも四寸(12cm)も長かった。
源義経‥鎧から推定 150cm前後
武蔵坊弁慶‥身長195cm 体重120kg 伝承
石川五右衛門‥身長は六尺九寸(約207cm)あったという。伝承
徳川家光‥157cm(大樹寺~岡崎市に安置されている江戸幕府歴代将軍の位牌による)
徳川吉宗‥身長が六尺(約180cm)を超える長身であった。色が黒く、体力もあり父・光貞に命じられ関取と相撲の取り組みをした話も伝えられる。
155.5cm(大樹寺~岡崎市に安置されている江戸幕府歴代将軍の位牌による)
井伊直弼‥162cm
和宮親子内親王‥遺骨から推算 143cm
徳川慶喜‥五尺八寸(176cm)
土方歳三‥「五尺の上に五寸(約167cm)は確かにあった」
「勇と比べると、髷つぶしだけは高かった」
近藤 勇‥162cm
沖田総司‥五尺五寸(167cm)
島田魁(新撰組隊士)‥185cm 160kg
山岡鉄舟‥187cm 105kg
勝 海舟‥五尺一寸(156cm)
坂本龍馬‥身長六尺(約182cm 近年の研究では174cmや169cmというものもあり)と江戸時代の当時としてはかなりな大男であったといえるだろう。
西郷隆盛‥身長:182cm 体重:114kg 血液型はB型 喫煙者であるが酒は弱く下戸であった。
大久保利通‥身長:178cm 体重:65kg 血液型はO型
福沢諭吉‥173cm
野口英世‥153cm
参考にさせていただいたHP
ウィキペディア(Wikipedia)ほか