さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

シントラへ 5

2009年11月07日 | ポルトガル

リスボンに着いた翌日は、早速シントラへ向った。それはリスボンから西へ列車で30分ほどのところ。

 ポルトガルの位置を確認しましょう。ご覧下さい、ユーラシア大陸最西端です。ちなみにヨーロッパ最西端はアイルランドですが、その島の西海岸にも行ったことがありますので、それはまたいずれ~(^益^)b

さてポルトガル南部の地図です。リスボンから列車に乗ってシントラへ行き、そこを見物したあと、この旅のひとつの目的であるユーラシア大陸最西端であるロカ岬へバスで向いました。それはこちら日本から見て単なる「一番向こうのはじっこ」というだけではありません。

ポルトガルは、もうまもなく500年も大昔になりますが、ヨーロッパで大航海時代の幕を切って落とした国であります。ここから大西洋に出て行き、はるか南のアフリカをぐるりと回ってインドへ行き、そこから中国、そしてはるばる日本までやってきたのです。種子島にたどり着いて鉄砲をもたらしたのは有名な話ですね。彼らの代表は信長や秀吉にも会ったし、イエズス会代表のザビエルはここから派遣されて日本で布教活動をしたわけです。そんなはるか昔の探検の旅の始まりに思いを馳せながら、大西洋を眺めてみたいものだと思っていたんです~(^益^)b

さてシントラの駅に到着すると、さすが世界遺産の街、様々な見所を回る巡回バスが出ておりました。しかし流石にロカ岬へ行くバスは本数が極端に少ない。あちらは物好きが行く所ですからね^^ というわけで、まずは先に拠点となるレプブリカ広場へバスでやってきました。9月に入ったので、観光客はとても少なかったです。

ここが王宮です。14世紀に建てられた夏の離宮だそうです。「アラブの間」や「中国の間」といったエキゾチックな部屋もある豪華な造り。次々に建て増しされた姿はイスラム的な印象を受けます。日本人ですから、古い温泉旅館を連想させますねェ(^益^)w

天井の絵をご覧下さい。こちらは「白鳥の間」です。優雅でしょう?写真を撮ってもよかったんですよォ~^^



6 コメント

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う~ん・・ (ゆくえ)
2009-11-09 11:38:09
はるか500年前を感じる時空の旅、すごいネ鉄砲伝来は伊予の国、1492だよね、知ってるぅ
大航海時代を開いたことも、そして小さな島国日本に確かな足跡残したことも、熱い魂感じさせる凄いことだと、ポルトガルについて初めて考えさせられます
14世紀夏の離宮は外観が驚くほどシンプルで中は豪華これは地中海性気候の強い日差しや乾燥を、せめて見た目だけでも涼しげにという工夫なのかな
異国の歴史もおもしろいヤ、おかげさまで
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時空の旅かぁ(^益^) (さきち・)
2009-11-10 00:55:38
まさに時空の旅ですねェ・・・。
たしかにイスラム建築は、外見がシンプルなのに、中に入ると造りが凝っていて、中庭があったり装飾が素晴らしかったりして驚かされます。イベリア半島は長いイスラムによる支配の時代があったんですよね。たしかあのタイルの装飾もイスラムの影響だったような・・・(^益^)b
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Unknown (とまと)
2009-11-10 16:48:01
ほぉ~。
消えかけていた、私の脳みその中の日本史が少し蘇ったわぁ(笑)
日本史の先生が教えてくれた話で鍛冶屋さんが鉄砲の弾の出る後ろ側の部分の作り方がどうしてもわからずに、それを教えてもらうために娘を差し出したって話を思い出した。(そっちw)
私にとっちゃ、鉄砲よりカステラをありがとうって感じだけどね~(o´∀`o)ゞエヘヘ

随分遠くまで行ったんだね~。
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カステラかぁ~^^ (さきち・)
2009-11-10 21:22:31
娘を差し出したとなっw(゜゜)w
それは知らなかったぞぉ~。とんでもないヤツだな。

たしかにカステラがやってきましたね。「文明堂」ってよくも名づけたものだよね~。明治の時代を思い起こさせます。人形のダンスを思い出しますか?
(^益^)
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でね。 (とまと)
2009-11-11 01:39:08
そうそう、そうなのよ。
どうしても後ろ側から火薬が飛び出してしまうので、娘を差し出して飛び出さない方法を聞いたら、それはネジだったんだってさw
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ねじ(゜゜) (さきち・)
2009-11-11 16:18:47
「ねじ」のからくりひとつのために娘を差し出すとは・・・ 気になるのはそのポルトガル人が娘さんをどう扱ったですね。明治時代にやってきたモラエスというヤツは、「おヨネ」と「小春」という二人の愛人を持ちましたが、とても大事にしたそうですぞ。当時の国際恋愛は大変だったでしょうねェ・・・。
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