下田からさらに南へ向い、いよいよ伊豆半島の南端である石廊崎へ向いました。さて何故にそこを目的地としたかというと、それははじっこだからです。何故はじっこに行きたいか。それは難しい質問だ。それははじっこだからだ、という答えに、わかる人はわかり、わからない人はわからないでしょう。かっこよく言えば好奇心と冒険心(^益^)
英国の小説家、ジョセフ・コンラッドの小説に、「闇の奥」という作品があります。その登場人物マーロウは、むかし世界地図を眺めていて、アフリカ大陸の中心地がまだ「空白」になっているところを見て、むやみに行ってみたい気持ちにそそられます。西洋人が行ったことのない、まだ地図で白かったその地は、暗黒大陸の中心であり、そこで見た植民地の惨劇は、人間の心の暗闇を映し出すものであったという暗い話なんですけど。
さてはじっこに行ってみたい気持ち、人類学的に言えば、それは種の保存に関係があります。同じ所に留まる生物は、そこに劇的な環境の変化が起った場合、絶滅してしまいます。だから様々なところに移り住むことにより、そのリスクを分散することが出来、ある場所に環境の変化が起っても、どこかに移り住んだやつがそちらで生き残る可能性が生まれる。だから何万年もの年月を経て、冒険心や開拓精神、好奇心のある連中のDNAが残されてゆくことになる。
ついでに言えば、それは圧倒的にオスに多い。メスはある程度ひと所に留まり、子供を育てるような性質が要求されるからだ。子供をほうっておいて、よそに行きたくなってしまうようなメスのDNAは継承されにくいはずだ。こんなこと言うと怒られそうですが、もちろん同じような性質(オスはよそに行きたがり、メスは留まりたがる)ばかりが生き残れば、これまた多様性が失われてしまう(=何かが起ると絶滅しやすくなる)ので、例外も含めた様々な性質を持った連中が必ずいるものなんですが。だから引きこもっている青年たちよ、子育てなんかより風来坊の生活をしたい女性たちよ、あなた方は決して「例外」ではなく、「必要不可欠な少数派」というだけの話なのです。
というわけで、わたしは何万年の歴史を刻んだ御先祖様たちの性癖を引き継いだ、王道を行く種類の人間。はじっこがあれば、ただそれだけの理由で行ってみたくなり、海の向こうに陸地が見えれば渡ってみたくなり、遠くに高い山が見えれば登ってみたくなり、見てはいけませんという本があれば読んでみたくなり、ここでこんなこと言っちゃあいけません、というところで問題発言をする衝動に駆られ、禁断の恋♡となれば血が騒ぐのであります。
なんか違うか?
文句があれば、我らの御先祖様にお願い致します。(^益^)b
名前が「下流荘」!好きだな、こういう名前!
展望風呂つき! どうみてもベランダだ!!
湯船は絶対細長いはず!ひのき風呂か?棺おけ使えばサイズはぴったり!!!
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