さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

足摺岬とジョン万次郎 24

2017年04月06日 | 四国・中国地方



ホテルからぶらぶら歩いて足摺岬に到着。電車とバスを乗り継いで長い旅でした
けれど、まあ乗り物で楽に来てしまった感じです。とにかく3つ目の岬制覇!



これが四国最南端からの太平洋の眺め。もちろん岬は南に向かって飛び出ているので、
右も左もぐるりと海です。船に乗って大海原に出ていると、こんな感じかもしれないと
ちょっと思います。ビデオでぐるりと回りながら撮影もしましたが、やはりこの迫力は
実際に見てみないとね(^益^)w



なになに、弘法大師がここから亀を呼んでお祈りした?ホントーかいな(^益^)



灯台から少し離れた場所の展望台にやってきました。この眺めがポスターなどによく
使われるようですね。



風の音が常に「びゅおぉぉぉぉぉ…」と鳴っており、海面からは波が岩に打ち寄せる
音が続いています。



こちらは北東方面。半日かけてずっと先の高知から海岸沿いにやってきたのです。



逆光で真っ黒ですが、ジョン万次郎です。このあたりの出身なんですねー。

ジョン万次郎こと土佐・中濱村の万次郎は、江戸末期から明治へと激動の時代に生きた
人です。8歳のときに父を亡くし、病弱な母と兄を支えなければならない環境のなかで、
読み書きもできずに漁で働いていました。

14歳の頃、漁に出て嵐にあって遭難。6日間の漂流ののちに伊豆諸島の無人島に漂着。
そこで4ヶ月以上を過ごしたところ、アメリカの捕鯨船(こんなところまで来てた
のかィ)に救助される。

年配の仲間はハワイで降ろされたが、万次郎は頭の良さを船長に気に入られ、アメリカ
本土まで一緒に行って船長の養子となる。彼は熱心に勉強し、なんと学校で主席と
なるのであった。

卒業後数年間は捕鯨船に乗って働いた。しかし日本に帰ろうと思い、資金を貯めるため
に当時ゴールドラッシュだった西海岸に行き、金鉱で金の採掘をする。そして稼いだ
金でハワイに戻り、難破した漁師仲間と再会、共に上海に渡ってから琉球、そして
薩摩へ上陸するのである。

英語が話せるどころか、アメリカで高等教育まで受けたものですから、彼は日本の
開国、そして明治の文明開化に伴い大活躍の人生を送るわけです。しかし私が思いを
はせるのは、彼に何度も襲った感動の「おおお!」という場面です。

太平洋の大海原を数日間漂流して無人島を発見。 おおお!

無人島で4ヶ月も過ごし、こりゃあ死ぬまでここか?と思っていたらアメリカの船が
通りかかって乗せてもらう。 おおお!

まともな教育を受けたことのない万次郎が、アメリカの学校で民主主義だの男女平等
だのという考え方を学ぶ。 おおお!

日本に帰る途中、ハワイで漁師仲間と約10年ぶりに再会。 おおお!

遭難から11年経って故郷に帰る。家族はきっと おおおおおおお!

スケールの大きい大河ドラマができると思うけどなー。



なんと!茂みから出てきたのはイノシシ!!!
一瞬こちらに突進してこないかな?と考えた。しかしそれほど大きくなく、穏やかな
やつだったようです。翌日バス停留所のおばちゃんとこの話をしました。毛が堅くて、
止まっている車にゴシゴシやると、塗装に傷がついてしまうそうです。おばちゃんは
「イノシシ鍋なんてあるけれど、私は食べられないわー」と言っていました^^; 



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