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ボクは雑草です

シフトクリエイティブ社長のブログです。

トランプおじさんに学ぶ民主主義

2017-01-24 23:07:14 | 報道/ニュース
今年になってブログが進みません。理由はトランプおじさんです。毎日トランプがこう言った、ああ言ったとニュースになりそれで世界が右往左往。おかげで日本の事も中東の事もめっきりニュースが少なくなりました。何かを書こうと思ってもトランプが浮かんでしまいます。こんなおっさんに振り回されている世界も株価もいい加減にして欲しい、と思いますね。
このトランプさんでは世界は良くなりません。経済も良くなりません。はっきりしています。しかし、しかし、これはアメリカの話、アメリカの国民が選挙で選んだのです。選挙制度が問題という意見もありますが、制度の中で選ばれた大統領であれば何を言っても犬の遠吠えになってしまいます。1月20日の就任式のあと、世界中で抗議のデモが起こりました。トランプ大統領に反対のデモです。そんなに反対される人物を分かっていてあえて選んだのです。文句を言ってもすべてがあとの祭りでしょう。
それではこの人の何が問題なのか?どうしてそんな人が大統領になったのか?という疑問の答えを出す前に、"民主主義"を考えてみました。イギリスのEU離脱はどう考えてもイギリスにとっても世界の経済にとってもマイナスです。しかし、そんなことよりイギリスに移民や出稼ぎが押し寄せ毎日の生活に困っているという気持ちが優先しました。イギリスだけではなくヨーロッパはいま移民や難民があふれて困っています。原因はアフガン、イラク、シリアの紛争でそれはアメリカが起こした事です。その時のアメリカの大統領は誰だったのか、それはブッシュさんであり、オバマさんでした。ブッシュは戦争を起こした人、オバマは手を引いてしまった人です。このふたりの大統領が中東のみならず世界中を紛争だらけにしてしまいました。つまりアメリカは選挙のたびに紛争を起こす人、紛争を収めることが出来ない人を大統領に選んできたのです。でもこれが民主主義です。
振り返って日本を見てみましょう。今からおよそ10年前、民主党政権ができました。圧勝でした。その前の何十年も自民党政権が続いていました。連立政権の時もほとんど自民党が政権の中枢でした。そのためなれ合いや癒着が生まれ汚職はするわ天下りはするわとあまりにもひどい状況が続き、もう自民党はイヤだと政権交代しました。国会は民主党一色になり、まるですずめの学校の教室さながらでした。そんな素人国会はあっという間に分裂、公約も守れず東日本大震災による原発対応の悪さに国民はいっせいに引きました。結果、上げないと国会で宣誓した消費税上げにまい進し解散総選挙で惨敗しました。ひどいと言われた自民党政権よりもっとひどくなってしまったのです。その反動で今度はやりたい放題の自民党に戻りました。これも民主主義です。
大統領選のあとオバマさんはローリングストーン誌のインタビューでこう言いました。「これが民主主義だ、これが選挙というものだ。投票に意味がないということではない、人間の心は移り気である、ということだ。」
先日NHKで“ザ・リアル・ボイス/ダイナーズ”という番組があり、アメリカの大衆食堂でトランプ大統領に望むことを聞いていました。期待した内容ではありませんでしたが、印象に残った一言があります。それはテキサスでのインタビューです。聞かれた中年男性のふたりは顔を見合わせ、そんな遠くの国からやってきて何を聞いているんだという表情で質問には答えず、“お前の国はどうなんだ?”とだけ言い反笑いで無視しました。その時ボクはこの質問はたとえば東ヨーロッパの小さな国の国営テレビが日本に来て、文部科学省の天下りあっせん問題や電通社員の自殺問題をどう思うか、と聞かれているのと同じなんだ、と思いました。余計なお世話だ、自分の国の事でも考えていろ、と意味です。
民主主義は絵に描いた理想でもなく、霧のようにもやもやしたものでもなく、誰かが勝手にやっているものではありません。私たちが選挙のたびに手にする投票用紙です。書くのは自分です。民主主義は誰もが手にする現物なのです。一枚の投票用紙がすべてを決めていくのです。

2017/01/24

2016年を振り返る

2016-12-29 04:22:19 | 報道/ニュース
年末になると10大ニュースなどとまとめますが今年は10では収まりきれないほどニュースがいっぱい。ヨーロッパではテロが頻発、イギリスのEU離脱、極右・極左の台頭、アジアではドゥテルテ大統領、パク・クネさん弾劾、そしてなんと言ってもアメリカのトランプさん、大変です。あきらかに世界はグローバル化から内向きに向かっている、あとはいつ表面化するかという時間の問題となりました。
では内向きになるとどうなるか、第二次世界大戦の前に戻ります。まずアメリカが不景気になりました。そのためヨーロッパの景気も悪くなりました。特にドイツは第一次世界大戦での敗戦で巨額の賠償金を払わされていました。日々の生活に困っていました。明治以降富国強兵で進んできた日本の軍部覇権主義に世界から待ったがかかりました。困った日本はドイツと右翼独裁のイタリアと同盟を結びます。この3国に共通しているのはお金がなかったことです。ドイツはヒトラーという民族主義者が圧倒的に支持を集めます。いまの言葉で“ドイツファースト“です。「ドイツを豊かにしよう、民族の誇りを取り戻そう」とぶちまければ国民は共感、熱狂しました。そして世界戦争が始まりました。4年間の戦争で死者5000万人とも言われる未曾有の戦争でした。日本も兵士230万人、民間人80万人と言われていますがこれ以上でしょう、もう数え切れません。こんなバカなことはもうやめようと、資源を共有したり貿易を自由化したりとグローバル化してきたはずなのに、75年経って再び自分の国ファーストに向かっています。
自分の国ファーストは摩擦を生みます。弱い国はより弱く、強い国はより強くなってしまうからです。弱肉強食です。そうすると資源やお金のない国は軍事力を高めます。武器の力で守ろうとします。昔の日本のように、今の北朝鮮や中国、ロシアのように。
ヨーロッパではイギリスがEU離脱を決めました。エマニュエル・トッドさんによればEU崩壊へ向かっています。ドイツとフランスだけでは日本の九州ほどの小さな国々をまとめることはできないからです。ヨーロッパの貧富の差はますます激しくなります。世界中あっちもこっちも不満だらけになります。すると保護主義や愛国主義そして民族主義が台頭します。第二次世界大戦前に戻るのです。
人類はアホですね。宇宙までロケットで行けるようにしたのに、インターネットで地球のあらゆる情報が見られるようにしたのに、それらの進歩が戦争に使われるだけになってしまうとは。
シリアの惨状は見ていられません。アサドさんを残したってシリアがアサド政権でまとまるはずがないのに。世界中が他人のことなどかまっていられなくなりました。これが内向きになるとこうなるという現実です。現実が目の前にあるというのに、まだアメリカファーストだなんて、お前の国がこうしたんだろうと言いたい風景だっす。
政治家はぐちゃぐちゃにするのは得意ですが、あと片付けができません。そんな幼児のような政治家のパフォーマンスに振り回されるのはやめましょう。放送局がチェック機能をなくした日本は国民が政治をチェックするしかありません。政治家が何をしたくてこう言っているのかやっているのかよく考えましょう。
それでは皆さん、良いお年を

2016/12/28

ボブ・ディランの時代

2016-12-17 17:06:48 | 報道/ニュース
1960年代は第二次世界大戦から15年過ぎた時代でした。もう戦争はいやだと世界中が思っていたにもかかわらず西側VS東側・資本主義VS共産主義のにらみ合いは頂点に達していました。あっちもこっちも衝突だらけ、ヨーロッパではソヴィエトの圧政に小国が苦しんでいました。西側は経済的には発展しましたが人種差別や共産主義との戦いが表面化しました。そして戦争をくぐってきた大人たちと戦後生まれの若者とのジェネレーションギャップは決定的となります。規則の中で生きる大人と自由に生きたい若者、ギターを持っているだけでアカ(共産主義者)と決めつける社会に若者は当惑したのです。
アメリカでは公民権運動が最高潮に達し、大人たちは“アカ狩り”に熱中します。朝鮮戦争の勃発が共産主義への恐怖を生み、ベトナムにアメリカが介入します。ところが戦場にかりだされたのはほとんどが若者で“アカ狩り”に熱中していた大人たちは銃弾の飛んでこないところで行け行けと叫ぶばかり。これが大人たちの言う“規則”だったのです。若者は立ち上がります。自由と反戦の歌が沸きあがりました。そしてプロテスタントソングの頂点としてボブ・ディランが君臨します。
ボブ・ディランはもともとプロテスタントとか反戦とかはどうでもよかったのですがベトナム戦争の泥沼化により世界中に反戦フォークが生まれ、ボブ・ディランはいつの間にか彼らの源流になっていました。フォークシンガーの見本でした。ボブ・ディランを知らないやつは遅れていると若者たちはいっせいにギターをもって♪風にふかれて♪を歌いました。“どれだけ爆弾が落とされたら戦争は終わるんだろう”という問いかけが若者の心をつかんだのです。
ベトナム戦争が終わると、反戦の歌は消え、歌っていた若者たちは知らないうちに大人の規則に吸収されていきます。そして今、テロとの戦いとイスラム教徒の排斥が起きています。共産主義者がイスラム教徒に変わっただけで構図は全く同じです。そして反戦を叫んでいた当時の若者がいま規則を押し付ける大人になっています。
アメリカの反戦ブームは日本にも波及、若者を虜(とりこ)にしました。フォークソングが全盛になります。アメリカの反戦はベトナム戦争への反戦でしたが日本はベトナム戦争には参戦していません。そのため日本で反戦と言うと第二次世界大戦への反戦、軍国主義への反戦になりました。共産主義と戦ったアメリカの戦争とアメリカと戦った日本の戦争、戦争反対は共有されますが戦争の違いを知って歌っていた人はほとんどいませんでした。
ボブ・ディランの時代はお金や地位より主義・主張のある人が尊敬されました。お金があるとかないとか、地位が高いとか低いとか、学歴がいいとか悪いとか、そんなことはどうでもよかったのです。それより保守か革新か、右翼か左翼か。体制派かアウトローか、それが重要でした。何も考えていない人は軽蔑され、お金で人の心を釣ろうとする政治家や成金どもは社会のクズでした。
ボブ・ディランの時代から学ぶことがありますね。

2016/12/17
※ボブ・ディラン1963年の歌「戦争の親玉」Masters of Warを記録しておきます。意訳です。
戦争の主よ、出てこい!
大砲を作り、爆弾を作っているお前たちだ。
壁に隠れ、机の下にもぐっているお前たちだ。
俺にはお前たちの正体が分かるのさ。
銃弾が飛んできたとき、俺に銃を渡し、くるりと回って逃げる。
戦争は勝つと信じ込ませておいてさ。
お前たちの目と頭の中を見れば分かるのさ。
お前たちは自分で引き金を引かず人に発砲させ、ただ見ているだけだろう。
そして死者が増えると官邸に隠れる。
その間にも若者が血を流し泥に埋められているんだ。
お前たちは世界中に恐怖をまき散らした。
こどもを育てる恐怖、これから生まれる俺のこどもへの恐怖。
お前たちは静脈に流れている血にさえ価値はない。
イエスさまもお前たちのやっていることは許さないだろう。
ひとつ聞きたいことがある。
そんなにお金はいいものか?それで許しが買えるものか?
いつか気づくだろう。
お前たちが死んだとき、ため込んだお金でその魂は買い戻せないことを。
お前たちには死んでほしい、それはもうすぐやってくる。
そうしたら俺は棺桶の後をついて、埋められるのを見つめてやる。
埋められたらその墓の上に立ち、お前たちが本当に死んだか確かめてやる。
♪Masters of War

ボブ・ディランにノーベル文学賞!

2016-12-11 15:53:29 | 報道/ニュース
ボブ・ディランは好きな人と嫌いな人がいます。世界的大スターですが、嫌いな人もいます。好きな人は天才だ、カリスマだと言って多くのミュージシャンが彼の詩を絶賛しています。そしてディランに影響されて似たような曲を作っているシンガーソングライターも多くいます。日本の当時のシンガーソングライターはほとんど影響を受けていました。今も真似ている人がいるほどです。彼はフォークソングってこれなんだと見本を見せたのです。嫌いな人は、勝手にやっている、難解なだけ、と相手にしません。それでもディランの歌は気にしています。世界中が気になる存在、それがボブ・ディランなのです。
75才の今も精力的にツアーをしています。なんと言ってもここがすごい。今も現役のシンガーソングライター、この活躍がノーベル文学賞になりました。
とは言ってもノーベル文学賞にシンガーソングライターが選ばれるなんて今までの発想では考えられませんでした。そのため世界中が驚いた以上になんで?とか、なんなんだ!とか、批判が起こっています。イギリスでは大論争になりました。しかし選考する人がいて選考される賞にはつきものです。一番驚いたのは本人でしょう。1週間雲隠れしました。連絡も取れなくしました。考えていたのか、当惑していたのか、誰も分かりませんが、いずれにしても逃げ回っていた。賞をもらって飛び上がって喜ぶのが見ていても気持ちはいいのですが、それは彼のスタイルではありませんでした。日本でも芥川賞もらって悪態ついていた作家(?)がいましたが、いい印象ではありませんでした。それよりボブ・ディランはすでにあらゆる賞を取っています。そこにまたノーベル賞と言われたって賞がひとつ増えるだけです。だからなんなんだ、ぐらいに思ったのかもしれませんね。いま、スウェーデンでは表彰式が行われていますがもちろんディランは欠席です。ここまで論争が起こるとさすがに出ていけませんね。
だいたいノーベル賞は難しい専門分野が多く、物理学賞とか生理学賞とか言われても一般の人には分かりにくいのです。今年は日本からも東京工業大学の大隅良典さん(71才)が医学生理学賞をもらいました。学者としては最高の名誉です。本人だけでなく同じ研究をしている若者にも朗報です。みんなで喜びました。大騒ぎが半年は続きます。賞と言うのはこれがいいのですが。文学賞と平和賞に関しては毎年?(疑問符)がつきます。
アメリカのゴアさんも、オバマさんも、日本の佐藤栄作さんももらっています。平和賞はいわば話題賞になっています。文学賞についても同じで分かりやすいためファンが切望します。気に入っている作家がノーベル賞を取ったらやっぱり自分の目は正しかったと安心するからです。でもこれが生理学とか言われてもファンが沸くと言う形にはなりません。難しい研究をして賞がもらえて良かったと思うけど、それがなんなのかよく分からないからです。
ボブ・ディランのノーベル文学賞でノーベル賞の見方が変わりました。つまり、文学は歌詞も含まれるのです。小説だけでなく和歌も短歌もある程度織り込まれますが、そこにシンガーソングライターの歌詞が加わりました。これからノーベル賞をめざすシンガーソングライターがいっぱい現れるでしょう。さあ次のノーベル賞をめざして歌詞を書きましょう。と威勢よく言ってはみてもディランを超える詩は当分現れないでしょう。100年は現れないかも。その前に地球は戦争で滅んでいるかもしれません。その時またディランの♪風にふかれて♪が世界中で歌われている。やっぱりディランは永遠なのだ。

※ちなみにボクはボブ・ディランの暗いところは好きになれませんが、同じ詩を続けるのではなく変わりつづけていくという彼の人生哲学は学んでいます。記者が聞きました「あなたは自分をどんな人だと思っていますか?詩人ですか?歌手ですか?」ディランは答えます。「いま君が見ているのがボブ・ディランだよ。」これで行こッ

2016/12/11

NHKの国際放送

2016-11-19 16:33:41 | 報道/ニュース
いままであまり気にしていませんでしたが、NHKは国際放送をやっています。NHKワールドというチャンネルです。外国へ行って日本の放送を見たいと思ったことがある人も多いと思いますが、たいていのホテルでは日本のNHKが見られます。以前はアンテナで見ていたようですが今はほとんどインターネットです。NHKが見られなくしてある国もあります。するとNHKの国際放送を見ようとします。そこでがっかりするのがニュースは英語に吹きかえられ、そのほかの番組もすべて英語です。これはなんじゃ誰のためのNHKじゃ、“なえた“と怒ってSNSで発信している人がいてこのブログになりました。
NHKの国際放送の歴史は意外と古くすでに戦前からありました。ラジオ日本という短波放送です。このときの目的は外国にいる日本人に日本語でニュースを伝え日本の歌などを流して日本を思い出してもらおうと言うものでした。外国に住む多くの日本人が望郷の気持ちを癒(いや)していました。ハワイ、アメリカ、そしてブラジル、アジアでは朝鮮半島、満州、台湾、東南アジア、グアムなど南方の島に住む多くの日本人です。ラジオ日本は遠く離れた故郷に接する貴重なツールでした。
戦後になり、ラジオからテレビ、アナログからデジタルと目まぐるしく放送手段が変わって今はNHKワールドで英語放送、多くは見られないけどプレミアムで日本語放送をしています。ラジオでも放送しています。その一部は通常のNHKでも放送されています。「Japanology」や「地球ラジオ」などです。
実はボクはこのブログのために調べて初めて知りました。テレビのNHKワールドがすべて英語だったんです。いつの間にか。そして視聴者の対象は日本に住んでいない外国人で日本を知ってもらうことを目的としている。う~ん・・あらためてこの放送の意味があるのか。SNSでの発信者によると訳のわからない英語だそうです。日本語を勉強している中国の人が“変な英語で話している、これなら日本語にしてもらった方がいい。“と発信者の日本人に言ったことが発端でした。
日本ではさかんに国際化などと言っていますが、どうやらまだ国際化していないようです。本当に国際化と言うなら日本の放送は日本語のままでいいし、日本語の分からない人を対象と言うなら英語の字幕スーパーを付ければいいことです。その方が日本らしさは伝わります。日本語を勉強している人は日本びいきですからこの方が日本のPRにもなります。無理して英語にするから“変な英語”になっちゃうのです。国際化というのは英語を話すことだけではありません、頭の中にある国境をなくすことなのですから。
戦後71年、ブラジルやハワイに移住した日本人はすでに二世、三世になっています。ほとんど日本語が分かりません。望郷の気持ちで日本語を聞く人は少なくなりました。いまはアメリカ西海岸などで地元FM局として日本語放送局があるぐらいです。そのためNHKの国際放送が英語になるのは流れかもしれませんが、日本人に不評、外国人にも不評ではもう一度考えた方がいい、NHKの自己満足と言われないように。
ちなみに外国で見る場合、NHKの国際放送は受信料がかかりません。放送費用は日本での受信料の一部と国からの補助金(税金)でまかなわれているそうですよ。利権の遺産と思われても仕方がありませんね。

2016/11/19
※思い出しました。日本は外国に向かって英語放送しているのに外国人が日本へ来るとほとんど英語が通じない、こんな国は”変”とその日本人は言っていました。

大統領になっちゃったトランプさん

2016-11-09 21:14:31 | 報道/ニュース
ぎゃあ、今年一番のびっくりというより今世紀最大の番狂わせと言ってもいいでしょう。赤ら顔のトランプさんが大統領選挙に勝っちゃったのです。信じられません。夢であってくれ、誰か間違いだったと言ってくれい。
30年もやっているABCニュースの記者でさえ顔色が変わりました。開票が始まった当初は世論調査によりクリントンさん優勢と伝えていたからです。そしてクリントンさんの票が伸び悩むと選挙速報スタジオの空気が一変、記者たちの顔はひきつりやがて言葉を失いました。その後我に返った記者は「もう終わりだ。」女性記者は「EU離脱の50倍のショック」チーフは「世界が崩壊しつつある」ベテラン記者は「カナダへ移住する」など記者とは思えない言葉がスタジオに飛び交いました。それほど誰もが予想できない結果が近づいてきたのです。そしてニューヨーク時間の8日深夜9日早朝、日本時間9日夕方トランプさんの当確が出ました。まさに悪夢のような長い1日でした。
この結果に一番驚いているのは本人ではないでしょうか。8日早朝ニューヨークの投票所で投票するトランプさんは記者から「誰に投票したのか?」と聞かれて作り笑いで「タフな戦いだった」と答えるのがやっとでした。テレビから見るその顔は疲れ切っていつもの演説中の自信はなくすでに負けを覚悟している表情でした。この時スタジオではトランプさんは「選挙に不正があった」と言って負けを認めない可能性があるなどと話していました。
世論調査のプロでさえクリントンさんの勝利と予想、ある世論調査ではクリントンさんが340人以上の選挙人を獲得(270人で過半数)大差で勝利などと報じていました。見事に外れました。それも大外れです。起こるはずのないことが起こったのです。
アメリカ大統領選のニュースは世界中に生中継されていました。トランプ優勢のニュースが流れるとまず日本の株価が大暴落、その衝撃はヨーロッパに伝わり世界中が大混乱。ところがトランプ歓迎の国もありました。中国とロシアです。考え方に歓迎ではなくアメリカが混迷することでアメリカ一極が和らいで自国の存在が示せるとみているからです。
各国の政治家の反応は一様に「何をしようとしているのか分からずひとまず様子を見たい」とコメントしました。当たり前です。この人は何も考えていないからです。「不法移民や難民は入れない。アメリカファースト」などと言っていますが、この人の頭には自分の事しかありません、自分の利益を考えているだけです。アメリカファーストを考えたら中国産のトイレットペーパーをトランプブランドでは売らないからです。
それにしてもとんでもない選挙でした。Grab the Pussy とかsuch a nasty woman とか堂々と述べる品位のかけらもない老人にアメリカ国民はいったい何を期待しているのか、ただ現状の政治がもう嫌だというフラストレーションだけでわあっと流れた今回の選挙。政治にどっぷりつかっているクリントンさんでは止めることができませんでした。
今回の結果はひと時のトランプショックではすみません。これからずっとアメリカ国民だけでなく世界中がトランプムーブメントに合わせなくてはなりません。何も考えていない、なんの知識もない大統領にみんなが合わせる、こちらの方がよほどフラストレーションがたまります。でもアメリカ国民はそんなことにはおかまいなし。もはや尊敬する国ではなさそうですよ・・今日はここまでにしといてやろう。ジャン

2016/11/09

パク・クネさんピンチです

2016-11-06 14:08:02 | 報道/ニュース
たびたびお騒がせの韓国パク・クネ大統領がピンチです。チェなんとかという40年来の友人に国家の秘密を洩らし、財閥からお金を出させ財団をつくりチェさんを儲けさせていた、というものです。いわば公と私が一緒になっちゃったパク・クネさん、60才の一般女性にすべてをゆだねちゃったのですから、これはもう韓国の国民が怒るのも分かりますね。
パク・クネさんのお父さんはパク・チョンヒさんです。1967年から79年までの大統領でした。これはベトナム戦争と重なります。日本の支配から独立して20年、東西冷戦と北の脅威が混ざる大変な時代でした。ボクはソウルにいました。日本が東京オリンピックのあと高度成長を迎えていた時、ソウルはまだ戦時下でした。すべての交差点に銃を持った兵士が立ち、正午には空襲警報が鳴り歩いている人はその場でとまります。訓練です。朝夕のラッシュ時にはボロボロのバスがあふれるほどの人を乗せて行きかっていました。もちろんクーラーはなく窓はすべて空いていました。乗っている人たちの疲れ切った表情が印象的でした。金浦空港(まだ仁川はありません)の前の広い道路は滑走路として使うため中央分離帯はすぐに取り外せるものになっていました。またソウルのマンションは北朝鮮側が窓になっていて有事の時はここを要塞として北朝鮮軍を迎え撃つと聞きました。まだ戦争は終わっていない、と実感しました。
パク・チョンヒさんは日本統治時代の生まれで軍人でした。朝鮮戦争が始まった時大韓民国を支持、休戦時には大佐になっていました。ついたあだ名は「ヤクザのような朴将軍」でした。戦争後の議会の混乱や軍の腐敗からクーデターを決行し軍事政権を作り、そして大統領となり事実上の独裁体制になります。このときパク・クネさんは15才でした。
パク・チョンヒさんは韓国の経済を良くすることを最優先にアメリカと手を組み日本と国交回復します。日本に追いつけ追い越せをスローガンに国を引っ張りました。国民も日本人の二倍働けばいつか追つけると信じていました。労働時間1日10時間は当たり前で土曜日も働いていました。
結果、韓国は急速な経済成長を果たし、北朝鮮との経済力の差を決定づけました。反面「ヤクザのような朴将軍」は民主化などの運動を徹底的に弾圧、拷問や投獄を繰り返します。そして演説中に銃撃されその銃弾はお母さんにあたります。フランス留学中だったパク・クネさんは急きょ帰国、お母さんの代わりにファーストレディを務めました。22才の時でした。その5年後1979年、お父さんは側近に暗殺されてしまいます。
パク・クネさんはしばらく政界には登場しませんでしたが、1998年国会議員に当選します。「ヤクザのような朴将軍」の影響で知名度は抜群ですが敵も多く選挙応援遊説中に暴漢に襲われ顔に大けがをします。国会議員中は強硬派で竹島にも上陸しています。そして2013年韓国の大統領となります。日本の従軍慰安婦問題をクローズアップさせ中国にも接近しました。お父さん譲りの強権で頑固なまでに日本批判を繰り返しました。韓国の新聞社でさえ“大統領、もうそのぐらいで”と言わせるほどでした。パク・クネさんの大きな転換点は“セウォル号沈没”でした。7時間ゆくえが分からず資質が問われました。対応も悪く人気は急降下。そして今回の機密漏えいです。ちょっと人気が下がると徹底的にたたくのが韓国のやり方です。教祖の娘チェとかいう友人は大統領府へ出入りが自由だったとか、ベッドを持ち込んでいたとか、その影響でパク・クネさんは変な宗教に取りつかれていたとか、孤独だったとか、今に始まったことではなくずっとそうだったことばかりをいっせいにたたきました。今や支持率5%台。
振り返ればこの人少し変でした。あまりにも慰安婦問題にこだわり、THAADの配備で中国からクレームが付くとさっと背をむけたり、突然北朝鮮に向かって脱北していらっしゃいと呼びかける。やることがかたよっていました。それらがすべて唯一の親友チェさんの宗教上のお告げだとすれば大統領としては問題です。さらに都合が悪くなると日本批判で国民の目をそらそうとするやり方も問題でした。悲劇のお嬢様大統領はこうして消えていきますが、「ヤクザのような朴将軍」とともに語り継がれることでしょうね。

2016/11/06
※韓国の政情不安は東アジアに影響を与えます。早く収まって欲しいものです。


青森県黒石よされ写真コンテスト

2016-10-22 06:23:06 | 報道/ニュース

かわいい女の子が津軽手踊りのきれいな着物を着て真っ赤な傘をさしあでやかな笑顔で微笑んでいます。周りの緑と傘の赤のコントラストがひときわ美しさを引き立てています。黒石よされ実行委員会は2016年10月11日この写真を黒石市長賞に決定しカメラマンと写真の本人に伝えようとします。そこでこの女の子が青森市立浪岡中学校2年生の葛西りまさん(13才)と分かります。りまさんはこの写真が撮られた8月15日の10日後に線路に飛び込み自殺していました。原因は「いじめ」です。困惑した実行委員会は遺族の了承があれば良いのではと遺族に受賞の内定を伝えます。遺族は大いに喜び受賞や写真の公表を快諾しました。
そして公表の前日13日夜、いきさつを知った黒石市市長が「そういう子でいいのか。」と疑問を投げかけ、「亡くなった人の写真を審査対象にするべきではない。」となります。コンテストの責任者は内定の取り消しを決め、該当者なしに変更しました。
それを聞いた遺族は「家族みんなで喜んだのに突き落とされた思い。」とこの写真を17日にマスコミに公表しました。そこから日本中が大騒ぎとなりました。なんで取り消すんだ。面倒に巻き込まれたくないとしか思えない。市長はいじめが分かっていない。青森市は知っているのか。などなど取り消した黒石市長に大バッシングが起こりました。そこで一転市長賞に決定し市長が陳謝しました。
この騒動にはたくさんの「もし」が頭をよぎります。もし、この写真が撮られていなかったら、もし、コンテストで最優秀賞に選ばれなかったら、もし、女の子が黒石よされに行っていなかったら・・いじめで自殺という小さなニュースで終わっていたかもしれません。しかしお父さんがマスコミに公表しマスコミが取り上げたことにより、日本で一番有名な写真となり、全国の人が「いじめ」の実態を知ることになりました。
黒石市長は会見で「取り消しは葛西さんの人権に配慮した苦渋の決断だった」と述べましたがお父さんは逆でした。むしろこういうことがあったんだと知ってほしかったのです。いまさら人権と言われてもと思ったかもしれません。子どもの死を無駄にしないためにも二度と起きないよう公表を望んだのです。
いじめは欲求を満たすために起こります。いじめる対象が見つかった時、快感を味わっているだけです。いじめられる人の人格・人権は頭にありません、レイプと同じです。レイプや盗撮が犯人の名前が公表されるのにいじめは犯人がこどものため公表されません。今回の騒動ではっきり分かりました。いじめこそ犯人の名前を公表すべきです。刑法上はおおきな罪ではないけど自殺に追い込まれたら殺人です。教育委員会が悪いとか学校がかくすとか言っている場合ではありません。どんどんネットで公表しましょう。いじめるとこうなるぞと知らしめるのです。今回はお父さんの勇気で遺書も公開され名前は黒塗りされていますが地元の人には分かります。これでいいんです。

これを書いているいまも全国にはいじめで苦しめられている子どもがいっぱいいます。思いっきり犯人の名前を出しましょう。みんながやればできますよ。文部科学省や厚生労働省はこの写真を「いじめをなくそう」キャンペーンや「自殺防止」キャンペーンに使いましょう。AKBのおかしなポスターに5000万円かけているよりはるかにインパクトがありますよ。

2016/10/22
※写真にある文部科学省はこちらで入れました。
※このブログは重い内容でためらいましたが、“いじめはやめて”と訴え、命をかけ犯人と戦った13才の女の子の死を無駄にしないため書くことにしました。ネットには遺書に書かれていた犯人6名の実名がアップされています。
※こちらはYouTubeで見られるりまさんです。昨年優勝した時のものです。第15回青森県ちびっこ手踊り王座決定戦 組踊りの部 優勝 
※こちらは写真の衣装と同じ今年のものです。 第16回青森県ちびっこ手踊り王座決定戦 組踊り第3位
追記
※青森市はこのニュースを受けていじめ防止対策委員会を立ち上げ、調査しましたが、いじめが自殺の原因とは報告されませんでした。納得できないお父さんは抗議します。翌2017年4月20日、委員会の委員総入れ替えを行い、新しい対策委員会で再調査します。そして1年3か月後、2018年7月15日、お父さんの葛西剛さんのもとに最終報告書が届きます。その中には「自殺の主な原因はいじめである。」と明記されていました。8月3日のニュースはお父さんが記者会見し報告書の内容を発表、娘の思いが詰まっていると評価、これからも声を上げ続けると誓っていました。事件が起きて2年が経っていました。
学校、教育委員会、青森市、関係者はいじめによる自殺である、と言うのになぜこんなに時間がかかったのか、2年間も戦うことが普通の親にできるだろうか。この記者会見を見たとき、お父さんによくやった、という気持ちと、責任をあいまいにする日本社会の悪い風習、そして連綿と続く引き継ぎ主義をなんとかしなければ、という気持ちが同時に沸きました。お父さん、よく頑張りましたね。

2018/08/04

フィリピンのデゥテルテさん

2016-10-09 15:02:04 | 報道/ニュース
いやまあこの人、麻薬中毒者を問答無用で殺す、2か月で2000人とも3000人とも。殺した警察官には報奨金を出す。国連やアメリカから人権問題と言われると猛反発。“国連なんか脱退してやる”“アメリカの特殊部隊は出ていけ”“米比合同軍事演習は今年限りで来年以降やらない”“アメリカとは手を切る”言いたい放題に見えますが、よく聞くと一貫しています。反米と反西欧。そのため中国の海洋進出には文句を言っていません。
フィリピンがアメリカの同盟国だなんてアメリカが勝手に思っているだけだったのです。歴史を振り返りましょう。
フィリピンはもともとスペインの植民地でした。300年も続きました。その後アメリカとスペインが戦争になり、アメリカからフィリピンの革命家たちに、協力してスペインをやっつけないかと持ちかけられます。それに応えた革命軍はフィリピンに駐留しているスペイン軍を破り1898年独立します。ところがアメリカとスペインは2000万ドルでフィリピンをアメリカに譲渡する講和をしてしまいます。フィリピンはアメリカのものになってしまいました。怒ったフィリピン軍はアメリカと戦争を起こしますが、軍事力の差で3年後1901年負けてしまいます。それから第二次世界大戦までアメリカの占領地でした。日本が一時的に占領しますがその日本もすぐに降伏、1946年アメリカ主導によるフィリピン第三共和国が誕生します。
経済的、軍事的にアメリカの支援を受けるフィリピンはマルコスというとんでもない大統領を生んでしまいます。1965年から86年まで20年以上独裁を続け政治の私物化と腐敗が蔓延しました。アメリカの支援はほとんどマルコス一族がかすめとったのです。これではフィリピンはいつまでたっても貧しいまま。その余韻が今も続いています。
主な産業は農業・漁業ですが、大半は出稼ぎ収入です。出稼ぎと出稼ぎの間、やることがないので麻薬です。そのお金はこれまた役人や警察のワイロとなり汚職と犯罪が絶えません。そうして登場したのがデゥテルテさんです。
デゥテルテさんはミンダナオ島ダバオの市長を20年以上やってきました。大小7000の島々から成るフィリピン。一番大きいのがマニラのあるルソン島、その次が南のミンダナオ島です。インドネシアに近く古くからイスラムの影響を受けイスラム教徒の多いところです。デゥテルテさんもイスラム教徒です。フィリピン全体ではキリスト教徒が多いためミンダナオ島ではフィリピンからの独立を求め長く反政府ゲリラ闘争をしてきました。今も島の西半分はモロ解放戦線、アブサヤフといった過激派武装組織が治めています※。フィリピンの人でさえ立ち入ることのない危険な場所、その中にあって東のダバオ市は比較的治安も良いとされています。
銃弾の飛び交う地方で「麻薬・汚職・犯罪は許さん」と立ち上がってきたデゥテルテさん、犯罪者を殺しまくって治安を良くしてきました。71才のおじさんには絶対の自信があります。“オレのやり方に口出すな”というのはフィリピンをだましたアメリカは許せないという意地もあります。
元々フィリピンの基地にはアメリカ軍がいましたが、フィリピンが追い出しています。ところが中国が南沙諸島に軍事施設を作りフィリピンの漁船を締め出すようになって再び2012年アメリカ軍の駐留を認めました。
フィリピンは世界で最も弱い軍隊しかなく、経済的にも貧しく、優秀な人材は国外へ流出してしまいます。そのためアメリカに頼よらざるを得ないところもありましたが中国がこれだけ成長してくるとアメリカを切って中国と手を結んでもやっていける、デゥテルテさんはそう踏んでいます。
“オバマは地獄へ落ちろ”“アメリカが武器を売らないと言うなら中国・ロシアから買うだけだ。”“EUの支援なんか要らない、物乞いはしない”強がって言っているように見えますが中国にサインを送ってアピールしていると考えるとすべてが当てはまりますね。
アメリカ嫌いのデゥテルテさんが中国と手を組むと南アジアの情勢は大きく変わります。大国のエゴを振りかざしてきたアメリカのツケが回ってきました。

2016/10/09
※2012年にモロ・イスラム解放戦線と政府の間で和平合意が署名され今年2016年に自治政府を創設することとしましたが、反発するゲリラ組織も多く真の和平が実現するかどうかわかりません。

史上最低の大統領選挙

2016-09-28 18:21:54 | 報道/ニュース
アメリカの歴史で最も人気のないふたりの大統領候補が26日はじめてテレビ討論をしました。共和党はトランプさん、民主党はヒラリーさんです。全米で中継され1億人が見たとされています。「これ、他の国の人も見るんですよね。恥ずかしいです。」予想通りアメリカ国民もあきれる低レベルでした。かたや政治の知識のかけらもない老人、こなた賞味期限の切れたおばさん、まさに老人クラブのクリスマスパーティさながらでした。
案の定トランプさんはマイクが悪かったとか司会者が悪いとか、ヒラリーさんはドナルドが税金払った証明書を公開していないとか、そんなにお金持ちではないとか、おいおいまともに討論せんかいとフラストレーションがたまるだけでした。
とは言え11月にはこのどちらかで大統領が決まります。アメリカ合衆国の大統領と言えばもう少し品も格もありました。少なくともブッシュの後のオバマさんには期待がかかりました。しかし全くの期待外れ。それがこのような“どちらを選ぶかではなくどちらがよりダメかを選ぶ”選挙になってしまった。二代目ブッシュとオバマさんの責任は大きい、そう感じますね。
アメリカの政治家がどうしてこんなになっちゃったかと言うと、ズバリ人材不足です。まったく政治経験のない人がテレビのバラエティで人気が出たからと言って立候補する、30年間政権の中枢にいた人がまた立候補する。そしてその両方が民主・共和両党の大統領候補になっちゃう。ほかにいないの。と思うのはアメリカ国民だけではないでしょう。もうひとつは選挙期間が長すぎます。一年半もやっていては息切れします。国民もいい加減聞き飽きます。そしてなんと言っても選挙費用が膨大です。国土が広いアメリカですみずみまで回ろうとすると半端な費用ではすみません。巨額の資金支援者や献金者がいないと続けられません。そして資金が多い方が最後は残るという金集めサバイバルゲームになりました。オバマさんは草の根運動で広く資金を集めたと言われますが、そのオバマさんがダメだったのでこういう選挙はもうできなくなりました。
そうは言っても4年に一度の大統領選挙はアメリカでは大きなお祭りイベントです。面白ければいいのです。でなければ1年半もやっていません、これを楽しみにしている人も多くいます。他の国の人間がとやかく言うのは意味のないことですが、トランプさんのようにとんでもない部外者が大統領候補になっちゃったことから、日本はどうなるの、と関心を持たざるを得ません。結局トランプはなれないよとみんな思っていますが、1年前を振り返るとトランプさんが大統領候補になるなんて誰も思ってもいなかった。それがなっちゃったのですから、もう分かりませんね。
しばらくは嫌われ者どうし悪魔と魔女の舌戦を見せられるのか、いやもうテレビ中継や討論会は見ないと思うよ。なにも新鮮味のない討論になるのは想像できるし、なんと言ってもこのふたり、大統領になったころにはエネルギーを使い果たしてなにも残っていないと思うよ。絞りカスのような人間が来年2月アメリカ第45代大統領として宣誓している、そんな風景のワシントンでした。

2016/09/28

ロシアのプーチンさん

2016-09-24 17:26:53 | 報道/ニュース
ロシア下院議会議員選挙が18日行われました。ロシアでは上院、下院がありますが、上院は選挙がなく各地方からの代表で任期もありません。そのため選挙が行われるのは5年に一度の下院だけです。450名の定数で結果はプーチン率いる与党「統一ロシア」の圧勝でした。しかも3分の2を上回る343議席獲得です。プーチンさんの支持率も80%を超えています。なんでこんなに人気があるかというと、それには“しかけ“がありそうです。
プーチンさんはKGBの出身つまりスパイです。で、いつごろからスパイになりたかったかというと、14才、日本で言うと中学3年生の時にKGBにあこがれて支部を訪問しています。そこで言われた法学部に入ること、スポーツをやることなどを忠実に実行し1975年大学卒業と同時にKGBに就職しました。KGBに入ってから諜報活動の訓練を受け1985年に当時の東ドイツへ派遣されます。スパイですからそこで何をしていたかは誰も知りません。そして1990年レニングラード市議長の顧問となり議長が市長になるとプーチンさんは対外委員会議長となります。そしてレニングラードはサンクトペテルブルクと名前を変えました。その市長が選挙で敗れました。するとロシア大統領府局長から抜擢され局次長としてモスクワへ異動となります。その後はエリツィンから信頼を得て後継者となり2000年ロシア大統領となります。こう見ると一度も挫折のないエリート街道まっしぐらですが、なんと言ってもこの人はスパイです。どんな手を使ったのか誰も分かりません。
プーチンさんは政治活動もスパイのひとつと考えています。スパイは表の顔と裏の顔を持ちます。人をあざむく(だます)ことが本業です。そのため記憶力が良くないと出来ません。プーチンさんは子どものころから記憶力は抜群でした。そして悪ガキでした。KGBにあこがれたのは自分の特性を知っていたからです。そして大統領になった今も諜報活動には誰よりも力を入れています。まず全国の知事を選挙ではなく大統領の任命制に改めました。2008年2期8年の任期が終わると番頭のメドベージェフを大統領に自分は首相になり、今度は知事を国家公務員に変えて首相の管轄下に置きます。全国に自分の配下がいることは諜報活動に必要です。政敵の動静をつかみいち早く追放。殺される前に殺す。それはスパイの鉄則です。大統領の任期も6年に延長し2012年大統領に再任されます。そして永遠の大統領が誕生しました。
とは言っても一応選挙で選ばれたことにしなくはなりません。それではいよいよ“しかけ”の話です。まず選挙は不正をします。2012年の大統領選挙では圧倒的支持率で大統領に選ばれましたが、これは不正でした。しかもスパイのプーチンはこの不正の場面をあえて撮影させます。それをネットにアップさせます。それは投票箱に大量の投票用紙を入れるという誰にも分かるやり方でした。「統一ロシア」は国家公務員が母体です。選挙管理者はすべて国家公務員ですから簡単です。国民はこんな不正があったとネットで騒ぎます。もうひとつは選挙結果です。各政党の得票率を国営テレビで放送するのですが、これをすべて足すと143%にもなってしまいます。得票率はすべて足すと100%でなければなりません。こんな計算は誰にでもできます。これはあえて変な数字を国営テレビで流すことにより、選挙は不正ということを公然と知らしめるためです。実はこれがスパイ、プーチンの思惑でした。不正の選挙をあえて見せることで選挙に行く気をなくします。どうせ行っても意味がないと思わせ投票率が下がります。結果、選挙は国家公務員だけが行きプーチン派の圧勝となる訳です。国民が選挙は不正だと訴えても裁判所はみんなプーチン派です。無効になるはずがありません。こうして下院議員の4分の3を獲得、支持率は80%超えという人気ぶりを作り上げました。
国営テレビでやっている「プーチンと直接回線」は国民からの困りごとに直接答える“しかけ”です。「道路がボコボコで車がすぐ壊れる」といった苦情を受けその場で役人を叱り飛ばします。国民生活の隅々まで目を届かせてくれる聡明な指導者を印象づける茶番です。大統領が答えなくてもいい事ばかり3時間40分も延々とやっています。
プーチンさんは側近を諜報部員で固めています。人をあざむくプロばかりです。そのプーチンさんと日本の安倍さんが12月に日本で会談します。すでに14回も会っています。安保法案強行採決以外これと言った実績の上がらない安倍さんは北方領土で点数を稼ぎたい。ロシアはいまクリミアとシリアで西側諸国と戦い日本も西側に加わっています。そのためアメリカは日本での会談を止めました。裸の王様のような日本の総理では太刀打ちできません。プーチンは大統領に変身したスパイなのですから。

2016/09/24

スマホの動画はタテかヨコか?

2016-09-19 17:56:39 | 報道/ニュース
先日、スマホの動画はタテかヨコかというアンケート結果がネットに載っていました。写真の場合は状況に合わせてタテにしたり、ヨコにしたりするのですが、動画はヨコ、と思って結果を見たら、なんと若者の半数以上がスマホの動画をタテで撮っています。そういえば事件やテロ、隕石落下などの投稿動画はタテですね。これはとっさの時、ヨコにしている時間がなくタテで撮っていると思っていましたが、どうやらそうでもなく普通の時もタテイチで撮っているのです。
ではなぜ動画はヨコという概念があるのでしょう。それはテレビや映画がヨコだからです。テレビや映画が今のサイズになった歴史を振り返ってみましょう。
テレビが普及したのは60年ほど前です。対して映画は100年以上の歴史があります。そのため当初テレビも映画と同じフィルムでした。35ミリフィルムのサイズがおよそ4対3でした。テレビはそれに合わせたものです。それがデジタルになってハイビジョンになって今の16対9になりました。細かいところは省略するとざっとこんな歴史です。
問題はなぜ横長になっていったのか、というところです。人間の目は両目で見るとき視野角度はだいたい左右120度、上下75度と言われています。実際はもっと見えているのですが、いずれにしてもヨコの方が多く見えています。そのためヨコを拡げるほど臨場感が出ます。テレビはデジタルで画像をつくっていますのでサイズはいくらでも変えられますがこれもフィルムのサイズに合わせて気持ちの良いところで16対9がテレビの標準サイズになりました。
そうなってくるとやはり人間の目に合わせたヨコ長の方がしっくりくるのではと思いますが、いまや動画はテレビや映画だけではありません。監視カメラやドライブレコーダー、お店のPOPなども動画です。そして一番の影響はゲームです。ゲームはタテもヨコもありません。正方形だってかまいません。これが動画はヨコという概念を変えました。テレビや映画がヨコでもスマホはタテで違和感はないのです。いま流行っているポケモンGOだってタテの方がやり易いし、まんがのコマ割りにいたってはもうタテやらヨコやらありません、思いっきりナナメなんてものもあります。概念は周りの環境で変わってしまうのです。
でもね。ひとこと言いたい。では構図はどうするの?絵画だってタテもあればヨコもある、でもそれぞれ構図が決まっています。タテの構図、ヨコの構図、構図の良いことが絵画の価値を高めます。動画だって同じです。構図を考えたらやっぱり動画はヨコでしょう。なんて言っていると、“この人、変。“と言われそうなので、今日はおしまい。

2016/09/19

※映画のサイズはもっとヨコ長のものもありますが効率的に16対9となりました。

G20サミット&ASEAN10

2016-09-09 19:01:34 | 報道/ニュース
この40年間、先進国と言われた国々は人件費の安い途上国に工場をシフトし利益を得てきました。結果、途上国は儲かり、先進国は自国の生産を失い、失業者を増やしました。中国は世界の工場と言われ、衣料からパソコン・スマホまで先進国のブランドはほとんどMade In Chinaに変わりました。中国のバブルです。中国はその莫大な利益で周辺国に強力な影響力をもちました。そしてその中国・杭州ではじめてのG20が開かれました。
G20サミットは金融・世界経済に関する首脳会合です。リーマンショックがきっかけで世界経済をみんなで話し合おうと2008年に始まりました。そのおよそ30年前、1975年にはオイルショックがあり、これは大変なことになると当時先進国と言われていたアメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・イタリア・カナダ・日本が集まりG7サミットが行われました。GはGroup、サミットは頂上と言う意味です。その後ロシアが加ってG8となります。この30年間になにがあったかと言うと、下請けであった新興国が急成長したことです。世界経済はもはやG8だけでは解決できなくなり、中国・インド・ブラジル・メキシコ・南アフリカ・オーストラリア・韓国・インドネシア・サウジアラビア・トルコ・アルゼンチンとEUを加えた20の国・地域で世界経済を考えようとなりました。これがG20です。この20か国で世界のGDP(国内総生産)の90%を占め、総人口は世界の3分の2になります。
ならもうG7なんて要らないじゃん、毎年やっていたらお金もかかって大変じゃん、と思うのですが、政治家は目立つことが好きです。やめようとは誰も言い出しません。G20にしたって多すぎます。20も集まったらまとまる話もまとまりません。結果、G7もG20も形式だけの集まりとなってしまいました。
もともと世界的経済危機が起こった時、各国が集まって解決しようと始まったこれらの会合は、近年情勢が一変しました、肥大化した中国の景気が世界に影響を与えるようになってしまったのです。各国は自国の利益を守ることに精いっぱいで他人の事を考える余裕がありません。
アメリカは任期わずかのオバマさん、8年間ほとんど何もしてこなかったオバマさん、もう首脳会合の中心ではありません。イギリスのメイさんはEU離脱で大忙し、ドイツのメルケルさんは国内の難民問題にかかり切り、フランスのオランドさんはテロとの戦いで人気回復をもくろみますが支持率最低の10%台、ブラジルのルセフさんはなんと罷免されてしまいました。やたら元気なのがトルコのエルドアンさん、クーデター未遂の後、アメリカに亡命している政敵ギュレンさんの引き渡しを求めてもアメリカが応じないためシリアで戦っている敵のロシアに接近、何ともややこしい構図が生まれています。こんな状況でニヤリとしているのがロシアのプーチンさんと中国の近平さん。一党独裁で安定だからです。プーチン大好きの安倍さんは相変わらず存在感なし。中国の海洋進出はけしからんと言っても同調するのはアメリカだけ。中国から“関係ない国は口出すな、“と言われる始末。直後に開かれたラオスでのASEAN東南アジア諸国連合首脳会議ではほとんどの国がやっぱり中国サマサマ、フィリピンは仲裁裁判所の決定まで取っているのに強く言えません。結局共同宣言にも盛り込まれず、中国のひとり勝ちでした。景気減速といっても世界第二位の中国です。経済力には勝てないのです。
第二次世界大戦後はアメリカのひとり勝ちでした。ベトナム戦争でちょっとコケましたが、世界ダントツの経済力を保ちアメリカが世界のリーダーでした。ところが9.11後ブッシュさんのIt’s a War !でコケました。さらに間違った戦争イラクで大コケしました。アメリカ経済は疲弊しきってブッシュさんの後のオバマさんは“もう世界の警察官はやめる”とあっさり引き上げました。これが世界を大混乱させました。ISの台頭でシリアはぐちゃぐちゃです。トルコやヨーロッパも難民でギュウギュウです。当のアメリカは“ムスリムは出ていけ”と叫ぶマッドな大統領候補が現れる有様です。
このごちゃごちゃの中で着々と勢力を拡げているのが中国とロシアです。中国はチベットから東南アジア・アフリカをすでに押えました。ロシアはウクライナからクリミアを獲りました。アメリカの影響力は下がる一方です。トルコのロシア接近に関してアメリカCIA元高官が言いました。“同盟なんていつなくなるか分からない。保障されたものではない。”。経済政策を誤った日本は心して聞きたいものです。経済力は軍事力より勝ることを。(マジメです)

2016/09/09

オリンピックの解説~吉村祥子さんに金メダルを~

2016-08-24 22:48:18 | 報道/ニュース
オリンピックはいろんな競技がありますから、解説の人が慣れている人とそうでない人がいます。ヨットなど普段あまりテレビ中継しない競技は解説の人も慣れていません。ぼそぼそ話していますが何を言っているのか分かりません。もう少しマイク慣れしてから解説して欲しいと思いました。サッカーではテレビ中継に慣れているはずなのにちゃんとできない人がいました、とにかく遅いのです。たらたら説明しようとするから、試合はとっくに次の場面に進んでいるのに延々と前の事を話しています。実況アナも聞いていられないのでどんどん試合に合わせていきます。これもダメですね。競泳の宮下さん、しゃべりすぎです。
なかなか難しいもんだなあ、と思っていたら、なんじゃこりゃ、すごい人がいる、と解説にクギヅケになった人がいますので記録しておきます。
それは女子レスリングの吉村祥子さんです。知らなかったので調べてみたらなんと女子レスリン界の第一期生、創生期の世界チャンピオンではないですか。世界選手権で5回も金メダル、1986年から2004年までタイトルを取りつづけていた日本の軽量級第一人者です。ぎゃあ、すごい人がいたもんだ。ボクは女子レスリングと言ったら栄監督ぐらいしか知りませんでした。選手も吉田沙保里さんから知ったようなものです。その前にもやっぱりいたんですね、こういう人がいて今の女子レスリングが世界一になったんですね。いまでは女子のレスリングも普通ですが当時は女子がレスリングなんて、という時代。柔道がやっと女子もやるようになった時代、そんな時代に女子でレスリングをやって世界選手権で優勝なんて知らなかったなあ。吉村さんは1968年生まれで47才、今もコーチで自身も毎日トレーニングしています。
でもってこの吉村さんの解説のどこがすごいかって、この人試合に夢中になると選手に乗り移っちゃうんです。解説者であることを忘れて自分が戦っている気分になっちゃうんです。
「ここは気をつけて、そう、足を見て、足を、」「いいですねえ」「右へ回る、回って右へ、右、右、離しちゃだめ、手を離さない、離さない」「サラ、がんばれ、がんばれ、足引いて、あと少し、いいですよ、」「いやあ、強い、強かった」「よかった、」と言った具合です。見ているこちらまで思わず力が入ります。こんな解説聞いたことがありません。でもそれが良かった。実況アナも、吉村さんがセコンドのようですねえ、と言うと吉村さんも笑っていました。
ややもするとレスリングの試合は、実力が接近している場合、にらみあい組み手争いで3分間過ぎてしまうことがあります。ちょっとした注意で勝負がつくこともあります。微妙な駆け引きが分かりません。でも吉村祥子さんの解説にはそれがありません。すべて話してくれるのでいま選手が何をしているのか、どうしたいのか分かります。「狙っていますね。」「いきますよ、」「足を取るといいですね、」「相手は上半身の力が強いですからね、」「そうだ、そこだ、」「取った、取った、」「よし、」一緒に戦っている緊張感が試合中続きます。本当にレスリングが好きなんだなあ、選手の気持ちが分かるんだなあ、と思いました。何より言葉に心があります。「本当に良く頑張りましたね。ここまでの道のりを考えると本当に良く頑張りました。」解説者の金メダルがあるなら吉村祥子さんに一票!いやあ、良かった。良かった。

2016/08/24
※ちなみにサラとは土性沙羅選手です。

リオ・オリンピック~吉田沙保里敗れる~

2016-08-21 18:32:28 | 報道/ニュース
「最後の最後には勝てると思ったんですけど・・取り返しのつかないことになってしまって・・自分の力が出せなくて申し訳ないです・・」女子レスリング4連覇がかかっていた吉田沙保里選手(33才)にとって銀メダルは目指していたものではありませんでした。そして“吉田沙保里敗れる”は世界にトップニュースで配信されます。負けてトップニュースになるなんてそうあることではありません。金メダルを取ることが当たり前と本人も思っていた、そこが吉田選手の言う“落とし穴”でした。
4年に一度のオリンピック、そこで4連覇するということは並みの事ではありません。吉田沙保里選手は18才でジュニア世界一になりそのまま連戦連勝。こんなに強い人はそういない、柔道のヤワラちゃんだってオリンピックは5回出て2回しか金メダルを取っていないのですよ。3連覇中の吉田沙保里がいかに強いかは想像できますね。
レスリングと柔道では少し違うけど、ヤワラちゃんには柔道を超えたタレント性があり、タレント扱いされていました。今で言うと福原愛ちゃんに近い感じです。それに対して吉田選手はレスリングひとすじ、ちゃらちゃらしていません。サッカーの澤さんのようにです。ボクはどちらもすごいと思うけど、やっぱり吉田沙保里選手や澤穂希さんを忘れてほしくないな。国民栄誉賞もいいけどもっと立派なものをあげてくれい、という心境ですね。
外国の反応であれ?と思うことがあったので、記録しておきます。吉田選手が負けて何度も「すみません」とか「申し訳ない」とあやまっているのはヘンと外国の人が言っていると言っている人がいましたが(ややこやしい)「負けてしまってすみません。」は日本人の感性かもしれません。それを聞いたファンは「何も謝ることなんかないよ。よく頑張ったよ。」と言って一緒に涙する。これが日本の美学なんですね。外国の人には分かりにくい美学です。では外国ではなんと言うか。まず敗因を言います。相手が強かったとか自分に力が足りなかったとは言いますが、「負けてすみません」とは言わないのです。なるほどね。でもね吉田選手の「すみません」にはただあやまっているだけの意味ではないもっと多くの心情が詰まっているのです。期待に沿えなくてすみません、亡くなったお父さんや応援してくれた人たちにすみません、なのです。外国の人には理解できないでしょうね。霊長類最強などと言われていましたが吉田沙保里選手はやっぱり日本人でした。
吉田沙保里選手が日本のファンに残してくれた記憶は永遠ですが、なんと言っても決勝で吉田選手に勝ったアメリカのヘレン・マルーリス選手(24才)に与えたものは計り知れなく大きな記憶でしょう。吉田選手にあこがれてレスリングを始めた8才の少女がとうとうあこがれの偉大な選手を破ったのです。これ以上の記憶はありません。吉田沙保里選手にとってもヘレン・マルーリス選手にとっても一生忘れることのないオリンピックになりましたね。
マットに伏せて泣いている吉田沙保里選手の映像はおそらくみんな忘れることはないでしょう。これは誰もが人生で一度は経験する姿なのですから。さあみんなで拍手を送りましょう。

2016/08/19

※澤穂希さんは女子サッカーの道を拓(ひら)き、吉田沙保里選手は女子レスリングを世界一にしました。女子サッカーにとって女子レスリングにとってふたりはパイオニアでありそしてレジェンドです。