ボクは雑草です

シフトクリエイティブ社長のブログです。

首里城が燃えた

2020-07-22 02:14:14 | 報道/ニュース

2019年10月31日、早朝4時ボクは起きていました。何気なく4時50分からのBSニュースを見ようとテレビをつけたら、火事のニュースです。山の上が真っ赤です。大きな建物が燃えています。どこだ、と、スーパーを見てびっくり、沖縄の首里城です。正殿が炎につつまれ真っ赤に燃えていました。首里城が燃えている。信じられません。消防車20台で消火活動中と言っていましたが、すでに正殿が燃え、北殿、南殿も炎が上がっています。山全体が真っ赤です。とても消防車が近づける状態ではない。ボクはテレビをぼうぜんと見ていました。それから6時のニュースになりました。正殿が崩れ落ち北殿にも南殿にも炎は広がっていました。消防に通報があったのが2時41分、その2時間後の4時30分にはほぼ全焼状態でした。沖縄のシンボル首里城がたった2時間で燃え尽きる、信じられません。ショックでした。言葉が出ないと言うのはこういう心情なのかと思いました。

500年の歴史があると言われる首里城は過去3回火事に遭い、建て直されてきました。江戸時代の火事では薩摩藩から木材を送ってもらい、第二次世界大戦後の焼け野原からの再建には台湾から木を送ってもらったと聞きました。首里城に使われている柱はイヌマキというもので成長が遅く使えるようになるまで100年かかるといわれています。沖縄には森はあるけど柱になるようなまっすぐな木がないのです。南の島独特の背の低い木はどれも曲がっています。台風の通り道ということもあるかもしれません。そのため昔の首里城の写真を見ると全体に低い気がします。それでも首里城は威厳がありました。
ボクが最初に首里城へ行ったのは30年以上前です。アメリカの占領から日本に復帰し首里城の再建が始まった頃です。工事のため、中には入れませんでした。守礼門はかろうじて残っていたので記念撮影をしてパンフレットで想像する程度でした。守礼門には生々しい銃弾の痕が残っていました。石の塀にも銃弾、第二次世界大戦が終わった当時のままでした。蜂の巣のように銃弾の痕が残る守礼門の柱。これが戦争か。銃弾のへこみに触れると戦争の音が聞こえてくるようでした。それでも堂々と建っている守礼門には沖縄の意地と強さを感じました。
しばらくして再建工事もほぼ終わり、中へ入れるようになっていました。首里城はピカピカに再建され守礼門もピカピカでした。あまりにもきれいな赤い首里城はなんとなく重みがありません。ディズニーランドにあるお城のようでした。やっぱり写真で見た古い首里城の方がいいな、と思ったものです。それからまたしばらくして首里城へ行くと、風雨にさらされ塗り立ての赤もくすんで重みのある朱色に変わっていました。こうなることを計算して最初の赤にしたのでしょうか、やっぱり首里城はこのぐらいくすんだ赤がいいな、と思っていた矢先の火災消失です。ショックでした。これはどのニュースよりショックでした。
ボクは沖縄へはよく行っていますし首里城へも行きました。しかし残念ながら首里城全体の写真が撮ってありません。ハイビスカスの花とか、王様が飲んだと言われる湧き水などの写真は撮りましたが、首里城はもう少し古さが出てからの方がいいとあえて撮らなかったのです。首里城を撮っておくべきだったと悔やまれます。
あったものがなくなってしまったショックは大きい。もう一回撮ろうと思ってもないのですから、次に再建されたとしてもまたピカピカの赤からスタートですから。くすんだ首里城の朱色はもうないのですから。ショックです。
沖縄もビルやら道路やらどんどん新しくなり、久しぶりに行くと浦島太郎気分になります。でも首里城は変わりません。一般的に観光地化したお城は見てがっかりすることがありますが、首里城は観光の目玉であっても決して派手な飾りつけはしていませんでした。行事以外は横断幕もありません。ゆるキャラもいません。首里城のまわりの公園を整備しても首里城は“首里城”のままなのです。これが良かった。日本に数多くのお城がある中でも“首里城”はやはり特別なお城なのですから。
先日沖縄放送局の番組を放送していました。やはりいつもあった首里城がない。この景色はショックです。心にぽっかり穴が空いたようだと沖縄の人が言っていましたがそれ以外の表現が見つかりませんね。
いつまでもずっとあると思っていたものがなくなることは親、兄弟、友達を亡くす淋しさとも違いますね。富士山がなくることや空気がなくなることに近い、寄りかかっていた心がなくなる、そんな思いでしょうか。
ボクが生きているうちには再建されピカピカの赤がくすんだ朱色の首里城になるまでを見ることはないと思いますが、再建されたら真っ先に写真を撮りに行こう、と今は思っています。
2019/11/02

※この原稿は昨年11月火災直後に書きましたがあまりのショックで最後まで書けませんでした。先日沖縄放送局の番組で首里城をやっていました。あることが当たり前だったものがなくなっている。このショックは言葉では言い表せません。でも再建に向かって歩み始めていることを知り原稿を手直してアップしました。
2020/07/21
好きな歌でエールを送ります。沖縄の子守唄「童神」です。
♪童神(わらびがみ)


PCR検査

2020-07-10 16:39:28 | 報道/ニュース
7月10日時点で新型コロナウイルス(COVID-19)の感染者は世界で1200万人、死者は55万人に達しました。まさに世界的大流行パンデミックです。アメリカ300万人インド・ブラジル200万人の感染者に対して日本はやっと2万人、死者900人。これを見て日本は良くやっているとほめられているとか書いている記事もあったけど、そんな風に思えるのはよほどおめでたい人ですね。感染の確認はPCR検査で陽性と出た人だけ、PCR検査をしなければ永遠に感染者は出ないのですよ。

PCR検査

日本がなぜ感染者が少ないのか、BCG接種だとか習慣だとか言う人がいますが、それだけではこんなに差がでるはずがない。答えはPCR検査ができないからです。出来ない理由はふたつあります。ひとつはPCR検査の出来る人が少ないつまり検査能力がないこと、もうひとつは陽性者が増えると病院が困ることです。300万人が感染したとするアメリカはおそらくその10倍や20倍の検査をしているはずです。それ以上かもしれません。そうなれば3000万人から5000万人が検査を受けたことになります。日本にはとてもそんな検査能力がありません。今回のパンデミックで分かったことは日本が誇る先端医療技術は個々の診療にはあまり役立たないことです。
ちょっと寄り道。富岳とかいう世界一の処理能力を持つスーパーコンピュータを開発したと大騒ぎをしましたが、やっていることは飛まつのシュミレーション、仕切りを10cm上げたらこんなに減るというシュミレーション、あのね、そんな事はコンピユータでなくても分かりますよ。それより学校休みにしてリモート授業するならすべての子どもにパソコンを与えるほうが先でしょう。
話を戻します。日本の感染者数2万人からすればおそらく検査は延べ20万人程度でしょう。アメリカ3億・日本1億の人口だとすると日本は1000万人の検査能力が必要でした。それが日本は当初1日100人程度でしたよ。感染拡大が始まった4月、愛知県で初めてPCR検査をしたとき15人の検査をしてなんと14人の結果を間違えました。陰性を陽性にしてしまったのです。保健所や県の関係職員が7~8人ずらりと並んで誤っている姿はコッケイでしたね。つまり検査のやり方を知らなかったのです。最近になってやっと検査らしいことが出来るようになった、検査キッドもまあまあと言うのが現在の医療現場です。
日本が誇る世界の最先端医療技術も入口の検査が出来なければ使えません。なんでまともな検査技師がいないのかというと、人材にお金をかけられない、かけても地味だし儲からないからです。今回のようなパンデミックは100年に一度、そのためにPCR検査の準備なんかしていなかったのです。ちなみに全国で感染症指定病院は400あるのに感染症専門医は140人ほどしかいませんでした。まさに先日テレビで専門家が言っていた後進国以下でした。
医者も儲からなくなって余っている部署はドンドン切る。誰でも出来る検査は派遣がやる。先日健康診断で胃のバリューム検査をしました。「左を向いてください」と言うのを「右の腰を前へ」と言われてずっこけました。「右手を上にげ、左手を逆手ににぎって・・」とか言い出すので「うつぶせでしょ」と言いました。検査が終わって顔を見たら20代の若い女性でした。胃カメラ検査をしたときも力いっぱい押し込むので食道がキズだらけになりました。検査技師の能力が下がっているのです。しかも経験の浅い若い人ばかり。給料が安いからです。これが医療現場の実態です。
次に検査を増やすとなぜ医者が困るのか、感染症は隔離だけでなく一人の患者に大勢の手が必要になります。人手が足りなくなるのです。他の患者が受け入れられなくなると病院は経営が立ち行かなくなるのです。結果、コロナをなくすことより医療崩壊しないことを優先します。言葉はきつくなりますが人命より病院となってしまうのです。
まだまだ終わりの見えない新型コロナウイルスCOVID-19のパンデミック。この6ヶ月での教訓です。こんな感染症はめったに起きないけど起きたときの備えは必要でした。日本には備えがありませんでした。台風や地震の備えだけでなく感染症パンデミックの備えもただちにやりましょう。今の病院に頼るだけでなく野戦病院のような臨時の病院がただちに出来ること、救急車が足りなくなったら、タクシーが救急車の替わりになるような法律を作ること、使えもしない余ったガーゼのマスクを配るよりこれらを考えるのが政治ですよ。そこのボンボン聞いていますか?
最後にちょっと気になることがあるので記録しておきます。休業要請により生活が立ち行かなくなったのは気の毒ですが、休業要請協力金をあてにしている人が多いのはちょっとマユをひそめますね。家族経営の食堂なんかにはすぐに協力金をあげたいところですが、ホストクラブやキャバクラが金をくれというのはちょっと抵抗があります。これは災害なのだから、休業している間はコンビニでバイトでもしていて欲しい、そのコンビニを顧客に伝えて客離れを防ぐぐらいのことをして欲しい。「オレは月100万稼いでいたから50万くれ」というのはあげたくないね。以上。

2020/07/10
おまけです。
※先日TBS夜のニュースで紹介していましたが、PCR検査についてはすでに千葉県松戸市にあるプレシジョン・システム・サイエンスという企業が全自動PCR検査装置を開発しています。1検体あたりおよそ6時間かかり技術も必要な現在の装置に比べ、ウイルスの抽出から検査まで全自動、12の検体を1度に2~3時間で検査できるすぐれものです。ボタン押すだけで難しい技術も必要なく誰にでも操作が出来ます。すでにヨーロッパを中心に500台以上が稼動。フランス政府から感謝状をもらっています。日本で開発した装置がなぜ日本で使われなかったのか、それは検体に入れる試薬の認可が厚生労働省から下りなかったからです。利権を守ろうとした厚生労働省。しかしここに来て少しずつ日本でも使われるようになりました。厚生労働省が各地方に任せる姿勢に転じたからです。こんなところでも利権を守ろうとする日本の役人のあさましさを知りました。もっと早く使われていたらPCR検査がもっと多くできていたはずなのに。まったくなんてえこった・・