2019年10月31日、早朝4時ボクは起きていました。何気なく4時50分からのBSニュースを見ようとテレビをつけたら、火事のニュースです。山の上が真っ赤です。大きな建物が燃えています。どこだ、と、スーパーを見てびっくり、沖縄の首里城です。正殿が炎につつまれ真っ赤に燃えていました。首里城が燃えている。信じられません。消防車20台で消火活動中と言っていましたが、すでに正殿が燃え、北殿、南殿も炎が上がっています。山全体が真っ赤です。とても消防車が近づける状態ではない。ボクはテレビをぼうぜんと見ていました。それから6時のニュースになりました。正殿が崩れ落ち北殿にも南殿にも炎は広がっていました。消防に通報があったのが2時41分、その2時間後の4時30分にはほぼ全焼状態でした。沖縄のシンボル首里城がたった2時間で燃え尽きる、信じられません。ショックでした。言葉が出ないと言うのはこういう心情なのかと思いました。
500年の歴史があると言われる首里城は過去3回火事に遭い、建て直されてきました。江戸時代の火事では薩摩藩から木材を送ってもらい、第二次世界大戦後の焼け野原からの再建には台湾から木を送ってもらったと聞きました。首里城に使われている柱はイヌマキというもので成長が遅く使えるようになるまで100年かかるといわれています。沖縄には森はあるけど柱になるようなまっすぐな木がないのです。南の島独特の背の低い木はどれも曲がっています。台風の通り道ということもあるかもしれません。そのため昔の首里城の写真を見ると全体に低い気がします。それでも首里城は威厳がありました。
ボクが最初に首里城へ行ったのは30年以上前です。アメリカの占領から日本に復帰し首里城の再建が始まった頃です。工事のため、中には入れませんでした。守礼門はかろうじて残っていたので記念撮影をしてパンフレットで想像する程度でした。守礼門には生々しい銃弾の痕が残っていました。石の塀にも銃弾、第二次世界大戦が終わった当時のままでした。蜂の巣のように銃弾の痕が残る守礼門の柱。これが戦争か。銃弾のへこみに触れると戦争の音が聞こえてくるようでした。それでも堂々と建っている守礼門には沖縄の意地と強さを感じました。
しばらくして再建工事もほぼ終わり、中へ入れるようになっていました。首里城はピカピカに再建され守礼門もピカピカでした。あまりにもきれいな赤い首里城はなんとなく重みがありません。ディズニーランドにあるお城のようでした。やっぱり写真で見た古い首里城の方がいいな、と思ったものです。それからまたしばらくして首里城へ行くと、風雨にさらされ塗り立ての赤もくすんで重みのある朱色に変わっていました。こうなることを計算して最初の赤にしたのでしょうか、やっぱり首里城はこのぐらいくすんだ赤がいいな、と思っていた矢先の火災消失です。ショックでした。これはどのニュースよりショックでした。
ボクは沖縄へはよく行っていますし首里城へも行きました。しかし残念ながら首里城全体の写真が撮ってありません。ハイビスカスの花とか、王様が飲んだと言われる湧き水などの写真は撮りましたが、首里城はもう少し古さが出てからの方がいいとあえて撮らなかったのです。首里城を撮っておくべきだったと悔やまれます。
あったものがなくなってしまったショックは大きい。もう一回撮ろうと思ってもないのですから、次に再建されたとしてもまたピカピカの赤からスタートですから。くすんだ首里城の朱色はもうないのですから。ショックです。
沖縄もビルやら道路やらどんどん新しくなり、久しぶりに行くと浦島太郎気分になります。でも首里城は変わりません。一般的に観光地化したお城は見てがっかりすることがありますが、首里城は観光の目玉であっても決して派手な飾りつけはしていませんでした。行事以外は横断幕もありません。ゆるキャラもいません。首里城のまわりの公園を整備しても首里城は“首里城”のままなのです。これが良かった。日本に数多くのお城がある中でも“首里城”はやはり特別なお城なのですから。
先日沖縄放送局の番組を放送していました。やはりいつもあった首里城がない。この景色はショックです。心にぽっかり穴が空いたようだと沖縄の人が言っていましたがそれ以外の表現が見つかりませんね。
いつまでもずっとあると思っていたものがなくなることは親、兄弟、友達を亡くす淋しさとも違いますね。富士山がなくることや空気がなくなることに近い、寄りかかっていた心がなくなる、そんな思いでしょうか。
ボクが生きているうちには再建されピカピカの赤がくすんだ朱色の首里城になるまでを見ることはないと思いますが、再建されたら真っ先に写真を撮りに行こう、と今は思っています。
2019/11/02
※この原稿は昨年11月火災直後に書きましたがあまりのショックで最後まで書けませんでした。先日沖縄放送局の番組で首里城をやっていました。あることが当たり前だったものがなくなっている。このショックは言葉では言い表せません。でも再建に向かって歩み始めていることを知り原稿を手直してアップしました。
2020/07/21
好きな歌でエールを送ります。沖縄の子守唄「童神」です。
♪童神(わらびがみ)