ボクは雑草です

シフトクリエイティブ社長のブログです。

オリンピックの解説~吉村祥子さんに金メダルを~

2016-08-24 22:48:18 | 報道/ニュース
オリンピックはいろんな競技がありますから、解説の人が慣れている人とそうでない人がいます。ヨットなど普段あまりテレビ中継しない競技は解説の人も慣れていません。ぼそぼそ話していますが何を言っているのか分かりません。もう少しマイク慣れしてから解説して欲しいと思いました。サッカーではテレビ中継に慣れているはずなのにちゃんとできない人がいました、とにかく遅いのです。たらたら説明しようとするから、試合はとっくに次の場面に進んでいるのに延々と前の事を話しています。実況アナも聞いていられないのでどんどん試合に合わせていきます。これもダメですね。競泳の宮下さん、しゃべりすぎです。
なかなか難しいもんだなあ、と思っていたら、なんじゃこりゃ、すごい人がいる、と解説にクギヅケになった人がいますので記録しておきます。
それは女子レスリングの吉村祥子さんです。知らなかったので調べてみたらなんと女子レスリン界の第一期生、創生期の世界チャンピオンではないですか。世界選手権で5回も金メダル、1986年から2004年までタイトルを取りつづけていた日本の軽量級第一人者です。ぎゃあ、すごい人がいたもんだ。ボクは女子レスリングと言ったら栄監督ぐらいしか知りませんでした。選手も吉田沙保里さんから知ったようなものです。その前にもやっぱりいたんですね、こういう人がいて今の女子レスリングが世界一になったんですね。いまでは女子のレスリングも普通ですが当時は女子がレスリングなんて、という時代。柔道がやっと女子もやるようになった時代、そんな時代に女子でレスリングをやって世界選手権で優勝なんて知らなかったなあ。吉村さんは1968年生まれで47才、今もコーチで自身も毎日トレーニングしています。
でもってこの吉村さんの解説のどこがすごいかって、この人試合に夢中になると選手に乗り移っちゃうんです。解説者であることを忘れて自分が戦っている気分になっちゃうんです。
「ここは気をつけて、そう、足を見て、足を、」「いいですねえ」「右へ回る、回って右へ、右、右、離しちゃだめ、手を離さない、離さない」「サラ、がんばれ、がんばれ、足引いて、あと少し、いいですよ、」「いやあ、強い、強かった」「よかった、」と言った具合です。見ているこちらまで思わず力が入ります。こんな解説聞いたことがありません。でもそれが良かった。実況アナも、吉村さんがセコンドのようですねえ、と言うと吉村さんも笑っていました。
ややもするとレスリングの試合は、実力が接近している場合、にらみあい組み手争いで3分間過ぎてしまうことがあります。ちょっとした注意で勝負がつくこともあります。微妙な駆け引きが分かりません。でも吉村祥子さんの解説にはそれがありません。すべて話してくれるのでいま選手が何をしているのか、どうしたいのか分かります。「狙っていますね。」「いきますよ、」「足を取るといいですね、」「相手は上半身の力が強いですからね、」「そうだ、そこだ、」「取った、取った、」「よし、」一緒に戦っている緊張感が試合中続きます。本当にレスリングが好きなんだなあ、選手の気持ちが分かるんだなあ、と思いました。何より言葉に心があります。「本当に良く頑張りましたね。ここまでの道のりを考えると本当に良く頑張りました。」解説者の金メダルがあるなら吉村祥子さんに一票!いやあ、良かった。良かった。

2016/08/24
※ちなみにサラとは土性沙羅選手です。

リオ・オリンピック~吉田沙保里敗れる~

2016-08-21 18:32:28 | 報道/ニュース
「最後の最後には勝てると思ったんですけど・・取り返しのつかないことになってしまって・・自分の力が出せなくて申し訳ないです・・」女子レスリング4連覇がかかっていた吉田沙保里選手(33才)にとって銀メダルは目指していたものではありませんでした。そして“吉田沙保里敗れる”は世界にトップニュースで配信されます。負けてトップニュースになるなんてそうあることではありません。金メダルを取ることが当たり前と本人も思っていた、そこが吉田選手の言う“落とし穴”でした。
4年に一度のオリンピック、そこで4連覇するということは並みの事ではありません。吉田沙保里選手は18才でジュニア世界一になりそのまま連戦連勝。こんなに強い人はそういない、柔道のヤワラちゃんだってオリンピックは5回出て2回しか金メダルを取っていないのですよ。3連覇中の吉田沙保里がいかに強いかは想像できますね。
レスリングと柔道では少し違うけど、ヤワラちゃんには柔道を超えたタレント性があり、タレント扱いされていました。今で言うと福原愛ちゃんに近い感じです。それに対して吉田選手はレスリングひとすじ、ちゃらちゃらしていません。サッカーの澤さんのようにです。ボクはどちらもすごいと思うけど、やっぱり吉田沙保里選手や澤穂希さんを忘れてほしくないな。国民栄誉賞もいいけどもっと立派なものをあげてくれい、という心境ですね。
外国の反応であれ?と思うことがあったので、記録しておきます。吉田選手が負けて何度も「すみません」とか「申し訳ない」とあやまっているのはヘンと外国の人が言っていると言っている人がいましたが(ややこやしい)「負けてしまってすみません。」は日本人の感性かもしれません。それを聞いたファンは「何も謝ることなんかないよ。よく頑張ったよ。」と言って一緒に涙する。これが日本の美学なんですね。外国の人には分かりにくい美学です。では外国ではなんと言うか。まず敗因を言います。相手が強かったとか自分に力が足りなかったとは言いますが、「負けてすみません」とは言わないのです。なるほどね。でもね吉田選手の「すみません」にはただあやまっているだけの意味ではないもっと多くの心情が詰まっているのです。期待に沿えなくてすみません、亡くなったお父さんや応援してくれた人たちにすみません、なのです。外国の人には理解できないでしょうね。霊長類最強などと言われていましたが吉田沙保里選手はやっぱり日本人でした。
吉田沙保里選手が日本のファンに残してくれた記憶は永遠ですが、なんと言っても決勝で吉田選手に勝ったアメリカのヘレン・マルーリス選手(24才)に与えたものは計り知れなく大きな記憶でしょう。吉田選手にあこがれてレスリングを始めた8才の少女がとうとうあこがれの偉大な選手を破ったのです。これ以上の記憶はありません。吉田沙保里選手にとってもヘレン・マルーリス選手にとっても一生忘れることのないオリンピックになりましたね。
マットに伏せて泣いている吉田沙保里選手の映像はおそらくみんな忘れることはないでしょう。これは誰もが人生で一度は経験する姿なのですから。さあみんなで拍手を送りましょう。

2016/08/19

※澤穂希さんは女子サッカーの道を拓(ひら)き、吉田沙保里選手は女子レスリングを世界一にしました。女子サッカーにとって女子レスリングにとってふたりはパイオニアでありそしてレジェンドです。

リオ・オリンピック~難民選手団~

2016-08-11 03:39:03 | 報道/ニュース
1908年ロンドンオリンピック綱引き競技でアメリカチームが運動靴に対しイギリスチームがスパイクを履いていたことでアメリカがボイコット。そこからアメリカとイギリスの対立は深まり陸上800メートルでは“押した押さない”で乱闘寸前にまで発展。見かねた教会はミサで「オリンピックで重要なことは勝利することよりむしろ参加することであろう」と諭(さと)しました。これを聞いたIOC第二代会長クーベルタン男爵は立派なひげに手をやり「至言である。人生において重要なのは成功することではなく努力することである。オリンピックの意義は征服したかどうかではなく、よく戦ったかどうかにある。」これ以来「オリンピックは参加することに意義がある」となったそうです。勝負にこだわってケンカするのはやめましょう。と言うことだったのです。
ケンカをしないためのこの言葉“参加することに意義がある”が今回は大変重要な意味になりました。難民選手団の登場です。世界にいまや6500万人の難民がいると言われています。イギリスやフランスの人口に匹敵します。紛争などで国を追われた難民にとってはオリンピックどころではありません。そこで各国の難民が集まって代表団を作りました。南スーダン・コンゴ・シリア・エチオピア出身の難民10人です。そのうちの2人はコンゴからの難民でブラジル在住です。難民の数からみたらとても少ないけど難民の事を知ってもらうキッカケにはなります。選手たちには励みになります。難民の人たちには世界が注目しているぞ見捨てていないぞ、というサインにもなりますね。バッハ会長の人気取りと言われるかもしれないけどひとまず実現したことは称賛に価しますね。
以下、5人の難民選手の言葉を残しておきます。
「私たちの姿を通して避難を強いられている他の難民に希望を与えたいです。そして世界中の人々に、難民はあなたと何ら変わらない同じ人間であるということを伝えたいです。私は故郷の人々の代表としてリオに立ちます。そして、この挑戦が成功したら平和のためのレースを故郷で開きたい」(南スーダン出身ローズ・ナティケ・ロコニエン選手:女子陸上800メートル)
「シリアの国旗を背負って出場しているわけではないので開会式は複雑な気持ちでした。2020年、東京でオリンピックが開催される頃には紛争が終わりシリア代表として出場できることを心から願っています。(シリア出身ラミ・アニス選手:男子競泳100mバタフライ)
「すべての難民に希望を与え、悲しみを取り払うために、メダルをとって捧げたい。」(コンゴ出身ポポレ・ミセンガ選手:男子柔道90キロ級)
「私の家族が会いに来てくれて、再会できるかもしれない」(コンゴ出身ヨランデ・マビカ選手:女子柔道63キロ級)
「私はすべての難民を代表したい。どんな困難も、嵐のように辛い日々も、いつかは落ち着くと伝えるために。」(シリア出身ユスラ・マルディニ選手:女子競泳100mバタフライ)
そして最後に難民選手団みんなの言葉です。
「東京五輪には、自国の旗で参加できるようになりたい。」

2016/08/10

開会式の時、難民選手団に大きな拍手がわきました。でも本当は彼らは自分の国の代表として国旗をもって参加したかったのです。一日も早く紛争が終わって希望が叶いますように。