さて、テロのついてまとめようとしましたがその前にもうひとつ番組を紹介します。“イラク・終わりなき戦争”バクダッド北部に住むある一家を10年に渡って記録したものです。2014年6月に放送され今年1月に再放送されました。イスラム過激派ISの原点とも言える内容でした。
2003年3月、アメリカは大量破壊兵器を持って他国を侵略しようとしているとしてイラクに侵攻。およそ40日でフセイン政権は崩壊しました。フセインの弟は逮捕その後スンニ派のフセイン大統領も逮捕処刑されました。アメリカ駐留後、シーア派のマリキを首相にスンニ派を副首相にして新政権を樹立、これでフセインの独裁から解放されたイラクは平和になるはずでした。ところがマリキは抑えられていたうっぷんを晴らそうとスンニ派を徹底的に弾圧。これがイラク混迷の原因となりました。
この番組はそんな2003年アメリカのイラク侵攻から始まります。アメリカの空爆は民間人を巻き込みました。バクダッドの病院です。次々と担ぎ込まれる民間人の中に5歳の女の子がいました。爆撃をうけひん死の状態です。付き添いの父親が血のついたシャツでカメラに向かって泣きながら言います。「これがアメリカの言う解放か。この子が何をしたというのだ。誰が責任をとるのか。」女の子は亡くなりました。父親の名前はアリ・サクバン31才。番組はサクバン一家を訪ねます。アリは爆弾の落ちた場所を指し「ここにいたんだ。ここに爆弾が落ちた。」それは民間の居住地でした。コンクリートを突き破って地面がえぐられています。アリ・サクバンは妻と子ども4人そして両親と弟の9人で住んでいましたが今回の爆撃で3人の子どもを亡くしました。
アリは仕事をする気力もなく隣の家のがれき片付けなどでわずかな収入を得るだけでした。多国籍軍の事務所に行き賠償を訴えましたが聞き入れられませんでした。1年後ひとり娘となったゴフランは小学1年生になっていました。仕事の見つからないアリはゴフランの成長だけが心の支えでした。2年後に尋ねるとアリには1歳の女の子ファティマができていました。政府や軍の仕事にはつきたくないと近くの市場で小さな八百屋を営んでいました。その間イラクは反米感情と宗派対立が激化。追い打ちをかけるようにファルージャでアメリカの車が襲撃され再び戦闘状態となり、それはバクダッドにも及んできました。反米とシーア派スンニ派の報復合戦でバクダッドは内戦状態。その撮影の1か月後、アリがもっとも頼りにしていた弟のラエードが武装集団に銃撃され殺害されました。アリは弟の家族の面倒も見なくてはなりませんでした。それから2年後状況はますます悪化、撮影に来た外国人がアリの自宅まで入れません。そのためアリがゴフランとファティマを連れホテルまで出てきて話を聞きました。「これが最後の戦争にしてほしい。こんな残酷で悲惨なことがあってはならない。イラクでもアフガニスタンでもあってはならない。時代はどんどん悪い方向に向かっている。恵みはどこにあるのだろうか。」その数か月後今度はアリ自身が銃撃により殺害されてしまいます。
番組はその後も追いました。戦争が始まって11年、アメリカ軍が撤退して4年、イラクの混迷は続きます。アリとラエードを失ったサクバン一家は両親だけがひっそりと暮らしていました。アリとラエードの妻と子どもたちは実家へ帰っていましたが撮影のため出てきてくれました。18才になったゴフラン、優しくしてくれた父アリとの思い出を話しました。「いまでも覚えていますが父はもういません・・」
バグダッドは今もテロが頻発。中古車販売店や露店が4回も爆発されました。撮影スタッフが婦人に聞きました。「これはジハードですか?」婦人は答えます。「犯人はテロリストかもしれない。でも私の友人や知り合いかもしれない・・」
番組の最後はアリ・サクバンの心からの叫びでした。「戦争の前は仕事から帰ると子どもたちが出迎えてくれました。今思えばそれが本当の幸せなんだと思います。人間は戦争をするために神につくられたのではない。」(つづく)
※これは映画でもない小説でもないイラクの現実です。
2015/02/22
2003年3月、アメリカは大量破壊兵器を持って他国を侵略しようとしているとしてイラクに侵攻。およそ40日でフセイン政権は崩壊しました。フセインの弟は逮捕その後スンニ派のフセイン大統領も逮捕処刑されました。アメリカ駐留後、シーア派のマリキを首相にスンニ派を副首相にして新政権を樹立、これでフセインの独裁から解放されたイラクは平和になるはずでした。ところがマリキは抑えられていたうっぷんを晴らそうとスンニ派を徹底的に弾圧。これがイラク混迷の原因となりました。
この番組はそんな2003年アメリカのイラク侵攻から始まります。アメリカの空爆は民間人を巻き込みました。バクダッドの病院です。次々と担ぎ込まれる民間人の中に5歳の女の子がいました。爆撃をうけひん死の状態です。付き添いの父親が血のついたシャツでカメラに向かって泣きながら言います。「これがアメリカの言う解放か。この子が何をしたというのだ。誰が責任をとるのか。」女の子は亡くなりました。父親の名前はアリ・サクバン31才。番組はサクバン一家を訪ねます。アリは爆弾の落ちた場所を指し「ここにいたんだ。ここに爆弾が落ちた。」それは民間の居住地でした。コンクリートを突き破って地面がえぐられています。アリ・サクバンは妻と子ども4人そして両親と弟の9人で住んでいましたが今回の爆撃で3人の子どもを亡くしました。
アリは仕事をする気力もなく隣の家のがれき片付けなどでわずかな収入を得るだけでした。多国籍軍の事務所に行き賠償を訴えましたが聞き入れられませんでした。1年後ひとり娘となったゴフランは小学1年生になっていました。仕事の見つからないアリはゴフランの成長だけが心の支えでした。2年後に尋ねるとアリには1歳の女の子ファティマができていました。政府や軍の仕事にはつきたくないと近くの市場で小さな八百屋を営んでいました。その間イラクは反米感情と宗派対立が激化。追い打ちをかけるようにファルージャでアメリカの車が襲撃され再び戦闘状態となり、それはバクダッドにも及んできました。反米とシーア派スンニ派の報復合戦でバクダッドは内戦状態。その撮影の1か月後、アリがもっとも頼りにしていた弟のラエードが武装集団に銃撃され殺害されました。アリは弟の家族の面倒も見なくてはなりませんでした。それから2年後状況はますます悪化、撮影に来た外国人がアリの自宅まで入れません。そのためアリがゴフランとファティマを連れホテルまで出てきて話を聞きました。「これが最後の戦争にしてほしい。こんな残酷で悲惨なことがあってはならない。イラクでもアフガニスタンでもあってはならない。時代はどんどん悪い方向に向かっている。恵みはどこにあるのだろうか。」その数か月後今度はアリ自身が銃撃により殺害されてしまいます。
番組はその後も追いました。戦争が始まって11年、アメリカ軍が撤退して4年、イラクの混迷は続きます。アリとラエードを失ったサクバン一家は両親だけがひっそりと暮らしていました。アリとラエードの妻と子どもたちは実家へ帰っていましたが撮影のため出てきてくれました。18才になったゴフラン、優しくしてくれた父アリとの思い出を話しました。「いまでも覚えていますが父はもういません・・」
バグダッドは今もテロが頻発。中古車販売店や露店が4回も爆発されました。撮影スタッフが婦人に聞きました。「これはジハードですか?」婦人は答えます。「犯人はテロリストかもしれない。でも私の友人や知り合いかもしれない・・」
番組の最後はアリ・サクバンの心からの叫びでした。「戦争の前は仕事から帰ると子どもたちが出迎えてくれました。今思えばそれが本当の幸せなんだと思います。人間は戦争をするために神につくられたのではない。」(つづく)
※これは映画でもない小説でもないイラクの現実です。
2015/02/22