♪わたしがあなたにほれたのは~♪ちょうどじゅうくのはるで~した。♪いまさらりえんというならば~♪もとのじゅうくにしておくれ~ これは昭和の中頃ヒットした田端義夫さんの「十九の春」です。なぜか鼻歌のように自然とメロディが出てきました。理由は分かりません。歌詞もくわしく知りません。早速ネットで調べてみることにしました。そして何回も聴くといい歌ではないですか
この曲が突然頭に浮かんできたのは沖縄の翁長知事が亡くなった頃からでした。沖縄では新しい知事を決める知事選が9月30日に行われます。亡くなった翁長知事は徹底的に辺野古移設反対を貫きました。もともと自民党で移設賛成の人でしたが、民主党時代の「最低でも県外」が反故(ほご)にされたことや今の総理を始め本土の政治家の沖縄軽視に憤慨して一転反対の旗手となりました。しかし志半ばでガンが発覚、病床からも反対を訴えた続けた政治家でした。なにが彼をそこまで奮い立たせたのか、原点は「十九の春」にありました。
それでは二番からの歌詞を続けます
男:♪元の十九にするならば~♪庭の枯れ木を見てごらん~♪枯れ木に花が咲いたなら~♪十九にするのもやすけれど~
女:♪見捨て心があるならば~♪早くお知らせくださいね~♪年も若くあるうちに~♪思い残すな明日の花
男:♪一銭二銭の葉書さえ~♪千里万里の旅をする~♪同じゴザ市に住みながら♪逢えぬわが身のせつなさよ~
女:♪主さん、主さんと呼んだのに~♪主さんにゃ立派な方がある~♪いくら主さんと呼んだとて~♪一生忘れぬ片思い
男女:♪奥山住まいのウグイスは~♪梅の小枝で昼寝して~♪春が来るよな夢を見て~♪ホケキョホケキョと鳴いていた
沖縄の人や、沖縄に詳しい人なら良く知っている歌ですが、これは古い沖縄の民謡で作者不明、歌詞は自由に変えられて歌われています。言わばみんなの歌です。しかしこの歌詞にはいろんな思いがこめられていました。
女は沖縄の女性でしょう。そして男はアメリカ人、軍関係者または兵士でしょうか。沖縄にいる間だけの恋でした。悲しい恋の物語というにはちょっと複雑です。前半は不倫をしている男女の恋歌のようになっていますが、最後の一説はおもむきが違いますね。春がくるような夢を見て、ホケキョホケキョと鳴いていた。というのは来ないかもしれないけど、いつか来る春(平和)を夢見ていると歌っています。
戦後、沖縄はアメリカの統治下におかれ、日本に返還されたのは1972年でした。お金はドル、車は右側通行でした。つまり沖縄は外国でしたから行くにはパスポートが必要でした。27年間もアメリカでしたから沖縄の人たちはアメリカ人(主に軍関係)との付き合いが普通でした。アメリカ人の経営するお店で沖縄の人が働いている。基地の食堂や掃除などの仕事も沖縄の人たちの大切な収入でした。統治されるということは統治するアメリカが上と言うことです。
1970年、コザ市(ゴザ市とも言います、現在の沖縄市)でアメリカ軍車両や施設に対する焼き討ち事件が発生、ゴザ暴動へと発展しました。横倒しにされた車が燃えている映像は強烈に印象に残っています。これはアメリカ兵士の運転する車が基地で働く沖縄人をはねたことかが発端でした。人権侵害に苦しめられてきた沖縄の人たちが我慢の限界を超え爆発したのです。翌1971年まで続き、コザ市は暴動の街と化しました。基地の街コザ市(今の沖縄市)へ行くと今もアメリカのダウンタウンのようになっている飲食店や商店街を見かけます。そんなお店に入ると日米地位協定に守られて我がもの顔に振舞うアメリカ兵。当時がいかにひどかったか、人権侵害どころか沖縄の人を人間と思っていない様子が浮かんできますよ。
戦後、沖縄のウグイスはずっと春を待ってきましたがどうやらまだ来ていないようです。この歌を聴いてそんな気持ちになりました。
それでは歌をどうぞ
これは新生ネーネーズが歌う「十九の春」一番の歌詞を間違えているものです。
♪十九の春ネーネーズ
こちらは正調「十九の春」です。
♪十九の春
2018/09/22
この曲が突然頭に浮かんできたのは沖縄の翁長知事が亡くなった頃からでした。沖縄では新しい知事を決める知事選が9月30日に行われます。亡くなった翁長知事は徹底的に辺野古移設反対を貫きました。もともと自民党で移設賛成の人でしたが、民主党時代の「最低でも県外」が反故(ほご)にされたことや今の総理を始め本土の政治家の沖縄軽視に憤慨して一転反対の旗手となりました。しかし志半ばでガンが発覚、病床からも反対を訴えた続けた政治家でした。なにが彼をそこまで奮い立たせたのか、原点は「十九の春」にありました。
それでは二番からの歌詞を続けます
男:♪元の十九にするならば~♪庭の枯れ木を見てごらん~♪枯れ木に花が咲いたなら~♪十九にするのもやすけれど~
女:♪見捨て心があるならば~♪早くお知らせくださいね~♪年も若くあるうちに~♪思い残すな明日の花
男:♪一銭二銭の葉書さえ~♪千里万里の旅をする~♪同じゴザ市に住みながら♪逢えぬわが身のせつなさよ~
女:♪主さん、主さんと呼んだのに~♪主さんにゃ立派な方がある~♪いくら主さんと呼んだとて~♪一生忘れぬ片思い
男女:♪奥山住まいのウグイスは~♪梅の小枝で昼寝して~♪春が来るよな夢を見て~♪ホケキョホケキョと鳴いていた
沖縄の人や、沖縄に詳しい人なら良く知っている歌ですが、これは古い沖縄の民謡で作者不明、歌詞は自由に変えられて歌われています。言わばみんなの歌です。しかしこの歌詞にはいろんな思いがこめられていました。
女は沖縄の女性でしょう。そして男はアメリカ人、軍関係者または兵士でしょうか。沖縄にいる間だけの恋でした。悲しい恋の物語というにはちょっと複雑です。前半は不倫をしている男女の恋歌のようになっていますが、最後の一説はおもむきが違いますね。春がくるような夢を見て、ホケキョホケキョと鳴いていた。というのは来ないかもしれないけど、いつか来る春(平和)を夢見ていると歌っています。
戦後、沖縄はアメリカの統治下におかれ、日本に返還されたのは1972年でした。お金はドル、車は右側通行でした。つまり沖縄は外国でしたから行くにはパスポートが必要でした。27年間もアメリカでしたから沖縄の人たちはアメリカ人(主に軍関係)との付き合いが普通でした。アメリカ人の経営するお店で沖縄の人が働いている。基地の食堂や掃除などの仕事も沖縄の人たちの大切な収入でした。統治されるということは統治するアメリカが上と言うことです。
1970年、コザ市(ゴザ市とも言います、現在の沖縄市)でアメリカ軍車両や施設に対する焼き討ち事件が発生、ゴザ暴動へと発展しました。横倒しにされた車が燃えている映像は強烈に印象に残っています。これはアメリカ兵士の運転する車が基地で働く沖縄人をはねたことかが発端でした。人権侵害に苦しめられてきた沖縄の人たちが我慢の限界を超え爆発したのです。翌1971年まで続き、コザ市は暴動の街と化しました。基地の街コザ市(今の沖縄市)へ行くと今もアメリカのダウンタウンのようになっている飲食店や商店街を見かけます。そんなお店に入ると日米地位協定に守られて我がもの顔に振舞うアメリカ兵。当時がいかにひどかったか、人権侵害どころか沖縄の人を人間と思っていない様子が浮かんできますよ。
戦後、沖縄のウグイスはずっと春を待ってきましたがどうやらまだ来ていないようです。この歌を聴いてそんな気持ちになりました。
それでは歌をどうぞ
これは新生ネーネーズが歌う「十九の春」一番の歌詞を間違えているものです。
♪十九の春ネーネーズ
こちらは正調「十九の春」です。
♪十九の春
2018/09/22