ボクは雑草です

シフトクリエイティブ社長のブログです。

アリとキリギリス

2009-02-21 22:56:45 | 報道/ニュース
ブラジルのルーラ大統領は金融危機を心配するブラジル経済人の前でこう言いました。「先進国のキリギリスたちがのどかに歌っている間、私たちはアリのようにせっせと働いて蓄えてきたじゃないか。だからわが国は大丈夫なんだ。」貧しい農村出身の大統領は強力なリーダーシップで、過去1000%を超えるインフレなど貧困に苦しんだブラジル経済を立て直し、いまや世界4大新興国に成長させ、国民からの支持率83%という圧倒的人気を得ているリーダーです。まさに今金融バブルを謳歌してきた先進国が厳寒の冬に直面し食べ物もなく餓死寸前の状態での発言でした。「おーい、アリくんそんなに汗かいてどうしたんだい?」「これはキリギリスさん、私たちは食べ物を運んでいるんですよ。」「だけど今は夏で食べ物なんかいっぱいあるんじゃないか、お腹がすいたらその辺にあるもの食べて楽しく歌ったり遊んだりいていればいいじゃないか。どうして家に食べ物を運ぶんだい?」「でもキリギリスさん、今は夏だから食べ物があるけど、冬が来たらなくなってしまいます。今のうちに食べ物を集めておかないとあとで困りますよ。」これを聞いたキリギリスたちは笑ってこう言いました。「まだ、夏は始まったばかり、そんなことは冬が来てから考えればいいのさ。」と。そして冬が来ました。草はすっかり枯れてまわりには食べるものが何もありません。お腹がすいたキリギリスはアリに蓄えていた食べ物をもらいに行きますが家族分しかないと断られます。ここから先は日本と他の国では結末が違います。日本では見かねたアリがかわいそうなキリギリスに食べ物を与える慈悲で終わりますが、他の国では餓死したキリギリスをアリが食い尽くすことになっています。もちろんブラジルでも。
さて、いま、世界のお腹がすいたキリギリスはどうするんでしょう。こつこつ働いてきたアリに哀れみを乞うて食べ物をもらうんですか?それとも餓死してアリに食い尽くされますか?どちらにしてもさんざん怠けてきた報いをいまアメリカをはじめ先進国すべてが受けていることに違いはありません。ブラジルの大統領から指摘される前にすべての先進国が考えておかなければならなかったのです。暑い夏の後には寒い冬が来ることを。

ちなみにブラジル経済は今回の危機で先進国のような激しい落ち込みはなく、成長率が5%台に下がったとは言え依然成長を続けています。先進国が半減している車の生産・販売も値引きなどで維持しています。ブラジル通貨レアルが対ドルで下落しているのは気がかりですが。

事件報道の見直し

2009-02-21 22:56:03 | 報道/ニュース
先日、ある新聞にまもなく始まる裁判員制度を前に事件報道のあり方を見直すとの解説がありました。全般的には加害者を逮捕時点で犯人扱いしない、無罪推定の原則を尊重、事件で苦しむ被害者・遺族を傷つけるいわゆる二次災害は絶対にしない、容疑者の写真はあえてふてぶてしく見えるようなものを使わない、裁判報道では検察側の主張と弁護側の主張の双方を報じる、などあくまで公正にというものでした。ボクはこれを見てなんだこりゃ?と思いました。じゃあ今までは公正でなかったのか、容疑者イコール犯人扱い、写真はあえてふてぶてしく、悲しんでいる被害者にどっと押しかける、そんなことをしていたんだと思いました。量刑を決めるだけの裁判員制度なんて意味ないじゃん、と思っていたら意外なところで効果が現れましたね。ところがよく読んでみると裁判員制度の制定過程で事件報道を法的に規制する動きがあり、これに反発した日本新聞協会が協議し昨年1月にまとめた指針に沿ったものでした。う~ん残念。こんなこと各新聞社で決められないのでしょうか。横並びで仲良しこよしの報道をしていてはいけません。いまや事件報道は新聞だけではないのです、テレビ、ラジオ、雑誌にインターネットとあらゆるメディアが世界中を駆け巡っています。“テレビ政治と世論調査による首相選びがまかり通っているなかで新聞の役割が問われている”と言うならもう少し独自性も必要なのではないのでしょうか。テレビやインターネットは考える間もなくただあらすじを知るだけですが、踏み込んだ内容はやはり新聞なのです。長く続いた特権意識はもう捨てましょう。すでに新聞は数多いメディアのひとつなのです。どのメディアを選ぶかはユーザーが決めることなのですから。これを機会に偏見報道もやめましょう。

品のないNHK

2009-02-19 13:19:05 | 報道/ニュース
イカッタついでにNHKの記者にも一言苦言を残しておきましょう。ヒラリーさんは来日中に各報道機関とのインタビューにも個別に応じていました。ボクはヒラリーさんに特別な思いを持っているわけではありませんが、少なくとも只のおばさんではありません。アメリカの国務長官は日本の閣僚で言えば外務大臣と防衛大臣を兼ねている強力なポストなのです。イラク侵攻の理由を国連で述べたのも当時のパウエル国務長官でした。いわばアメリカを代表する象徴的なポストなのです。そのヒラリー新国務長官にNHKのインタビュアーは「日本の大臣が先程飲んだくれていたことによって辞任しましたがどう思いますか。」などと聞いていました。この質問ほどくだらないものはありません。まるで我が家の女房が酒癖が悪く家出しましたがどう思いますか、と聞いているようなものじゃないですか。人の家のごたごたなど突然には答えようがありません。個人的に聞くならまだしも放送されることが分かっている場面で聞くことではないのです。しかもNHKは日本を代表する放送局です(いい事か悪い事か分かりませんが)。国務長官がアメリカの代表ならNHKは国民視聴者の代表です。最低の礼儀ぐらいはわきまえて欲しいものです。下等な質問をしたNHKの記者とそれをおもしろおかしく放送したニュース番組担当者に猛省を求めます。NHKは民放のまねなどしなくていいのですから。

報道の烏合(うごう)化

2009-02-18 21:25:54 | 報道/ニュース
今朝の新聞各紙を見て驚きました。すべて一面トップは中川なんたらの辞任です。申し合わせたように横イチ黒の塗りつぶし、まるで鬼の首でも取ったような大騒ぎです。画一的な報道はするなと忠告しているにもかかわらず、何たる有様でしょう。何度も言っていますがニュースの最初は新鮮ですが同じ事を繰り返すと読者はマヒしてしまい新鮮味がなくなるのです。「ああまたか。」なのです。これでもう昨年から何人の大臣が辞任したんですか。残り4日しかない太田なんたらの農水大臣から始まって、次は絆創膏の大臣、国土交通大臣が教育についての持論をぶち上げ5日で辞任。もう国民はうんざりなのです。いまや大臣の辞任で大騒ぎしているような経済状況ではありません。それと今回のへべれけ大臣、酒飲んで眠っているのは今回だけではないのは同行記者なら何度も見ているはずです。こんなに大騒ぎするような人物ではありません。しかも昨日はアメリカ・ヒラリー・クリントン新国務長官が初の外国訪問国として日本を訪れていた一日です。アジア各国に行くついでとは言えその第一歩が日本だったのです。そのうえ日本の総理大臣をオバマ新政権初のホワイトハウスへ招待というお土産を持参しての訪問でした。日本はこの儀礼に対してどう応えるのか、へらへら笑ってホワイトハウスで記念撮影をしている場合ではないのです。アメリカとの関係は沖縄基地問題だけではなく、北朝鮮はもちろんアフガニスタンやソマリアなど重要な軍事外交問題や、経済危機の克服問題など国民に直接かかわるデリケートな問題が山積です。そのアメリカから新国務長官が来日して精力的に外交をしているのに一面にヒラリーさんの写真すら載せていない新聞までありました。ボクはこの扱いにどう考えてもヒラリーさんはもちろんオバマ新大統領に失礼ではないかと感じました。へべれけ大臣の辞任は日本の政局にとって大きな局面ではありますが、たとえこの辞任で日本の政権が変わろうともアメリカのオバマ政権は変わりません。それを考えればこんな人物の辞任とヒラリーさんの来日のニュースは一面の半々でもまだヒラリーさんに失礼です。新聞がこんなに烏合化してはますます読む気がなくなります。

日本のへべれけ大臣とヒラリー・クリントン

2009-02-17 22:55:43 | 報道/ニュース
もうどうでもいいや、と関心すらなかったのですがここまでひどいと記録しておかざるを得ませんね。本日午後中川昭一という財務大臣が辞任しました。何でも14日イタリア・ローマで行なわれた財務相・中央銀行総裁会議(G7)後の記者会見でへべれけに泥酔し記者の質問にまともに答えられなかった様子が世界中のメディアで放映され、未曾有の金融危機の最中に何たる醜態ということで責任を取って辞任したんだそうです。これだけ総理大臣がころころ変わる国もありませんし、大臣辞めれば責任を取ったことになるなどと考えている国もめったにありません。語るに足りずとはこのことでしょう。ましてや今日2月17日はアメリカ・オバマ新大統領政権のヒラリー・クリントン新国務長官が来日している時です。やれやれなんというとんでもなく恥ずかしい辞任をさらしてしまったんでしょう。類は友を呼ぶなどと言いますが、この中川昭一くんはあの太郎くんと仲がいいんだそうです。漢字が読めない仲間とでも国会の議事録に記録されるんでしょうか。それにしてもヒラリーさんは輝いていました。日本の外務大臣との協定、皇居へ行って明治神宮から東京大学で講演、さらに拉致被害者家族と面談、これだけでもう国務長官としての任務は十分果たしているのでしょうが、そのうえ世界の首脳で初めて日本の総理大臣をホワイトハウスへ招待というビッグなお土産まで持参して乗り込んできたのです。ボクはこれを聞いたとき顔から火が出るほど恥ずかしくなりました。すみませんがヒラリーさん、今日本の総理大臣はオバマさんとはちょっといやあまりにも役者が違います。まるで一流のオペラ歌手と学芸会の小学生、いやもっとです。お言葉は嬉しいんですがもうちょっと日本がちゃんとするまで待ってはもらえませんでしょうか。思わずボクはこんな気持ちになりました。う~ん、もうどうでもいいや、書いているのもいやになります。きっと太郎くんは、世界の首脳で自分が初めてアメリカ・ホワイトハウスへ招待された、ってことを代々子孫にまで永遠に「自慢」するのでしょう。でもそれは世界の誰もが永遠に認めない「自慢」でしょうけどね。

人事院の役割

2009-02-06 21:50:41 | 報道/ニュース
近頃話題がないなあ、何んでだろうと考えてみると、ニュースは毎日不況のことばかり、内定取り消し100万円で有名になった不動産屋はあっけなく倒産。家は売れない、車も売れない。悪いニュースばかりつづくと新鮮味がないのです。政治は相変わらずの体たらく、もはやダボスで太郎くんが漢字を読み間違えてもニュースにもなりません。あれほど大騒ぎした郵政民営化を現総理が、「ボク実は反対だった。」と言っても「ふ~ん。」という感じ。もう君たちのことはどうでもいいんです。お子ちゃまの事など気にしていられないのです。今、国民は大変な状況になっているのですから。

天下りの渡りの人事院総裁

どうやって毎日の生活を切り詰めるんだと思っていたら、先日、人事院の総裁と言う人がテレビのワイドショーでしゃべっていました。どうやら人事院の権利を政府に取られたくなくて人事院の中立性がそこなわれるなどと主張していました。ちょっとおっさん、もうちょっと世の中見た方がいいじゃあないですか、天下りや渡りを繰り返して3億3000万円も不当に所得を得ている公務員のなれの果てを弁護する人がいまこの日本にひとりでもいるとでも思っているのですか、おっさん、寝言いっているんじゃあないよ。そもそも天下りをやめようなんていうのは30年も前から国会で決まっているんです。なぜ今も堂々とやっているんですか。人事院の中立性を保ちたいのなら元凶の天下りをどうしたらやめさせられるかそれを考えるのが人事院の仕事ですよ。やることやらないで自分の権利だけを守ろうなんて東京大学の法学部を出たおっさんが言う言葉ではありません。もっとも自分が天下って渡りの繰り返しでは何も出来ないでしょうけどね。以前テレビに出て自分の持論を話したくて大臣辞めたこどもみたいなおっさんもいました、まあ、いい勝負ですね。そう言えばあちらのおっさんも官僚出身でした。どうしてこうも官僚出身はレベルが低いんでしょう。ヤッパリ自分は偉い、他人はすべて自分より劣っているという間違った観念がインプットされているとしか考えられません。ずばり言いましょう。そう思っているやつが一番劣っているのです。なぜなら本当に向上心があって、より自分のレベルを高めたいと考える人は必死になって勉強します。するといくら自分が最高になったとしてもさらに自分の上を行く人に出会うのです。そしてその偉人に追いつこうとしてさらに勉強を続け、ますますレベルを上げてもさらに自分よりもっと上がいる、こうしていつまで経っても自分が一番偉く、他人が劣っているなどとは思えない、これが本当に向上心のある立派な人間なのです。君たちは大学に入ってひと安心、官僚になってまたひと安心、出世が出来てもう安心。そこで成長が止まっているのです。
人事院が中立などという当たり前の理屈をいくら繰り返して正当性を主張しても、ただ権利を守ろうとしているだけとしか映りません。テレビに出れば自分の主張が通るなどと言うのは15年古い考えですし、いまや異常に優遇されているに日本の公務員の待遇のことなど、一般国民があらためて知らされても腹が立つばかりです。テレビ局にジャーナリスト魂のかけらでも残っているなら、100年に一度あるかないかのこの大不況に人事院総裁を呼んだなら、公務員の給料は半額に減額したらどうか、国会議員も半分にしたらどうかといった思い切った提言をするべきなのです。天下りと渡りで3億3000万などと人の懐の話などどうでもいいのです。

リトルロック クライシス

2009-02-06 19:53:43 | 報道/ニュース
「ハイスクールミュージカルザ・ムービー」が日本でも明日から公開されます。これは2006年1月から全米で放映され大ヒットとなり、その後世界100カ国で1億40万人が感動したと言われる「ハイスクールミュージカル」の劇場版です。日本でもNHKが2007年5月に放映しました。学園ものミュージカルの傑作でした。さて、このドラマの登場人物に注目してみましょう。主人公のトロイとガブリエラは白人とメキシコ系、それぞれの親友は黒人、校長先生はアジア系、いじわる姉弟は白人、イタリア系やドイツ系の先生、といった具合にあらゆる人種がうまく配置されているのがわかります。まさにアメリカであり、この多様な人種構成がこのドラマをより味わい深いものにしているのです。ところが今から60年前、アメリカの人種は主に白人と黒人となっていました。そして黒人は水を飲むところもバスの座るところも分けられていました。同じ高校に通うということはもちろんありませんでした。信じられないかもしれませんが黒人は黒人専用の高校にしか行くことが出来なかったのです。つまりハイスクールミュージカルのような高校はなかったのです。

リトルロック クライシス

モンゴメリのバスボイコット運動から始まった黒人の公民権運動はすこしずつ認められ、およそ50年前、連邦政府により公立学校も人種統合となりました。ところが南部のアーカンソー州では黒人が白人の学校へ入ることは住民がどうしても許せませんでした。1957年、選ばれた10人の黒人が白人の通う州都リトルロックのセントラル高校へはじめて編入することになりましたが、これに対してなんと知事をはじめ白人が激しく反対し黒人と殴りあう大騒動となりました。この知事は黒人を白人の学校へ入れさせないことを公約に当選したからです。州兵まで出して黒人の登校を阻止しました。今で言えば連邦政府と地方のねじれ現象ですね。あまりの反対にひとりがあきらめ、残る9名はとうとう連邦政府の陸軍に守られて登校する事態となり、その模様はテレビでも取り上げられ、リトルロッククライシスと言われる大きなニュースとなりました。そしてさまざまないじめや妨害にあって登校する9名は、後にリトルロックナインと呼ばれ今も社会の第一線で活躍しています。アーカンソー州知事から大統領になったクリントン氏からアメリカでもっとも名誉ある勲章も授与されました。
リトルロッククライシスから50年、2007年9月、セントラル高校では人種統合50周年を祝う式典がクリントン元大統領とリトルロックナインを招いて盛大に行われました。ところがナインのひとり、ミニジーン・トリッキーさんは50年ぶりにセントラル高校を訪れ愕然(がくぜん)とします。今では白人と黒人がおよそ半々なのに差別格差は50年前となにも変わっていなかったのです。貧しい黒人はより貧しく、スクーバスに乗るのは黒人で白人は自家用車で通学しています。教室でも白人と黒人は左右に分かれて間を空けて座っています。食堂でも遊びでも白人と黒人は決して交わろうとしていません。黒人のほとんどが母子家庭か生活保護を受け家賃が払えず水道も直してもらえません。とても50周年を祝う状況ではなかったのです。NHKはこれを「50年目のリトルロック」というドキュメンタリーとして放送しました。黒人生徒は「白人は生まれたときからすべてが揃っているけど、黒人には生まれたときから何も無い。」と言い、白人生徒は「黒人は麻薬とギャングばかりでとても仲良くなんかできない。」と言います。白人と黒人のギャップはますます大きく広がっていたのです。ミニジーン・トリッキーさんはこの現状を見て「私たちの苦労は何んだったんだ。」と泣いている姿が印象的でした。
「ハイスクールミュージカル」がアメリカなら、今も白人と黒人が交わらない「セントラル高校」もまたアメリカなのです。