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ボクは雑草です

シフトクリエイティブ社長のブログです。

青森県黒石よされ写真コンテスト

2016-10-22 06:23:06 | 報道/ニュース

かわいい女の子が津軽手踊りのきれいな着物を着て真っ赤な傘をさしあでやかな笑顔で微笑んでいます。周りの緑と傘の赤のコントラストがひときわ美しさを引き立てています。黒石よされ実行委員会は2016年10月11日この写真を黒石市長賞に決定しカメラマンと写真の本人に伝えようとします。そこでこの女の子が青森市立浪岡中学校2年生の葛西りまさん(13才)と分かります。りまさんはこの写真が撮られた8月15日の10日後に線路に飛び込み自殺していました。原因は「いじめ」です。困惑した実行委員会は遺族の了承があれば良いのではと遺族に受賞の内定を伝えます。遺族は大いに喜び受賞や写真の公表を快諾しました。
そして公表の前日13日夜、いきさつを知った黒石市市長が「そういう子でいいのか。」と疑問を投げかけ、「亡くなった人の写真を審査対象にするべきではない。」となります。コンテストの責任者は内定の取り消しを決め、該当者なしに変更しました。
それを聞いた遺族は「家族みんなで喜んだのに突き落とされた思い。」とこの写真を17日にマスコミに公表しました。そこから日本中が大騒ぎとなりました。なんで取り消すんだ。面倒に巻き込まれたくないとしか思えない。市長はいじめが分かっていない。青森市は知っているのか。などなど取り消した黒石市長に大バッシングが起こりました。そこで一転市長賞に決定し市長が陳謝しました。
この騒動にはたくさんの「もし」が頭をよぎります。もし、この写真が撮られていなかったら、もし、コンテストで最優秀賞に選ばれなかったら、もし、女の子が黒石よされに行っていなかったら・・いじめで自殺という小さなニュースで終わっていたかもしれません。しかしお父さんがマスコミに公表しマスコミが取り上げたことにより、日本で一番有名な写真となり、全国の人が「いじめ」の実態を知ることになりました。
黒石市長は会見で「取り消しは葛西さんの人権に配慮した苦渋の決断だった」と述べましたがお父さんは逆でした。むしろこういうことがあったんだと知ってほしかったのです。いまさら人権と言われてもと思ったかもしれません。子どもの死を無駄にしないためにも二度と起きないよう公表を望んだのです。
いじめは欲求を満たすために起こります。いじめる対象が見つかった時、快感を味わっているだけです。いじめられる人の人格・人権は頭にありません、レイプと同じです。レイプや盗撮が犯人の名前が公表されるのにいじめは犯人がこどものため公表されません。今回の騒動ではっきり分かりました。いじめこそ犯人の名前を公表すべきです。刑法上はおおきな罪ではないけど自殺に追い込まれたら殺人です。教育委員会が悪いとか学校がかくすとか言っている場合ではありません。どんどんネットで公表しましょう。いじめるとこうなるぞと知らしめるのです。今回はお父さんの勇気で遺書も公開され名前は黒塗りされていますが地元の人には分かります。これでいいんです。

これを書いているいまも全国にはいじめで苦しめられている子どもがいっぱいいます。思いっきり犯人の名前を出しましょう。みんながやればできますよ。文部科学省や厚生労働省はこの写真を「いじめをなくそう」キャンペーンや「自殺防止」キャンペーンに使いましょう。AKBのおかしなポスターに5000万円かけているよりはるかにインパクトがありますよ。

2016/10/22
※写真にある文部科学省はこちらで入れました。
※このブログは重い内容でためらいましたが、“いじめはやめて”と訴え、命をかけ犯人と戦った13才の女の子の死を無駄にしないため書くことにしました。ネットには遺書に書かれていた犯人6名の実名がアップされています。
※こちらはYouTubeで見られるりまさんです。昨年優勝した時のものです。第15回青森県ちびっこ手踊り王座決定戦 組踊りの部 優勝 
※こちらは写真の衣装と同じ今年のものです。 第16回青森県ちびっこ手踊り王座決定戦 組踊り第3位
追記
※青森市はこのニュースを受けていじめ防止対策委員会を立ち上げ、調査しましたが、いじめが自殺の原因とは報告されませんでした。納得できないお父さんは抗議します。翌2017年4月20日、委員会の委員総入れ替えを行い、新しい対策委員会で再調査します。そして1年3か月後、2018年7月15日、お父さんの葛西剛さんのもとに最終報告書が届きます。その中には「自殺の主な原因はいじめである。」と明記されていました。8月3日のニュースはお父さんが記者会見し報告書の内容を発表、娘の思いが詰まっていると評価、これからも声を上げ続けると誓っていました。事件が起きて2年が経っていました。
学校、教育委員会、青森市、関係者はいじめによる自殺である、と言うのになぜこんなに時間がかかったのか、2年間も戦うことが普通の親にできるだろうか。この記者会見を見たとき、お父さんによくやった、という気持ちと、責任をあいまいにする日本社会の悪い風習、そして連綿と続く引き継ぎ主義をなんとかしなければ、という気持ちが同時に沸きました。お父さん、よく頑張りましたね。

2018/08/04

フィリピンのデゥテルテさん

2016-10-09 15:02:04 | 報道/ニュース
いやまあこの人、麻薬中毒者を問答無用で殺す、2か月で2000人とも3000人とも。殺した警察官には報奨金を出す。国連やアメリカから人権問題と言われると猛反発。“国連なんか脱退してやる”“アメリカの特殊部隊は出ていけ”“米比合同軍事演習は今年限りで来年以降やらない”“アメリカとは手を切る”言いたい放題に見えますが、よく聞くと一貫しています。反米と反西欧。そのため中国の海洋進出には文句を言っていません。
フィリピンがアメリカの同盟国だなんてアメリカが勝手に思っているだけだったのです。歴史を振り返りましょう。
フィリピンはもともとスペインの植民地でした。300年も続きました。その後アメリカとスペインが戦争になり、アメリカからフィリピンの革命家たちに、協力してスペインをやっつけないかと持ちかけられます。それに応えた革命軍はフィリピンに駐留しているスペイン軍を破り1898年独立します。ところがアメリカとスペインは2000万ドルでフィリピンをアメリカに譲渡する講和をしてしまいます。フィリピンはアメリカのものになってしまいました。怒ったフィリピン軍はアメリカと戦争を起こしますが、軍事力の差で3年後1901年負けてしまいます。それから第二次世界大戦までアメリカの占領地でした。日本が一時的に占領しますがその日本もすぐに降伏、1946年アメリカ主導によるフィリピン第三共和国が誕生します。
経済的、軍事的にアメリカの支援を受けるフィリピンはマルコスというとんでもない大統領を生んでしまいます。1965年から86年まで20年以上独裁を続け政治の私物化と腐敗が蔓延しました。アメリカの支援はほとんどマルコス一族がかすめとったのです。これではフィリピンはいつまでたっても貧しいまま。その余韻が今も続いています。
主な産業は農業・漁業ですが、大半は出稼ぎ収入です。出稼ぎと出稼ぎの間、やることがないので麻薬です。そのお金はこれまた役人や警察のワイロとなり汚職と犯罪が絶えません。そうして登場したのがデゥテルテさんです。
デゥテルテさんはミンダナオ島ダバオの市長を20年以上やってきました。大小7000の島々から成るフィリピン。一番大きいのがマニラのあるルソン島、その次が南のミンダナオ島です。インドネシアに近く古くからイスラムの影響を受けイスラム教徒の多いところです。デゥテルテさんもイスラム教徒です。フィリピン全体ではキリスト教徒が多いためミンダナオ島ではフィリピンからの独立を求め長く反政府ゲリラ闘争をしてきました。今も島の西半分はモロ解放戦線、アブサヤフといった過激派武装組織が治めています※。フィリピンの人でさえ立ち入ることのない危険な場所、その中にあって東のダバオ市は比較的治安も良いとされています。
銃弾の飛び交う地方で「麻薬・汚職・犯罪は許さん」と立ち上がってきたデゥテルテさん、犯罪者を殺しまくって治安を良くしてきました。71才のおじさんには絶対の自信があります。“オレのやり方に口出すな”というのはフィリピンをだましたアメリカは許せないという意地もあります。
元々フィリピンの基地にはアメリカ軍がいましたが、フィリピンが追い出しています。ところが中国が南沙諸島に軍事施設を作りフィリピンの漁船を締め出すようになって再び2012年アメリカ軍の駐留を認めました。
フィリピンは世界で最も弱い軍隊しかなく、経済的にも貧しく、優秀な人材は国外へ流出してしまいます。そのためアメリカに頼よらざるを得ないところもありましたが中国がこれだけ成長してくるとアメリカを切って中国と手を結んでもやっていける、デゥテルテさんはそう踏んでいます。
“オバマは地獄へ落ちろ”“アメリカが武器を売らないと言うなら中国・ロシアから買うだけだ。”“EUの支援なんか要らない、物乞いはしない”強がって言っているように見えますが中国にサインを送ってアピールしていると考えるとすべてが当てはまりますね。
アメリカ嫌いのデゥテルテさんが中国と手を組むと南アジアの情勢は大きく変わります。大国のエゴを振りかざしてきたアメリカのツケが回ってきました。

2016/10/09
※2012年にモロ・イスラム解放戦線と政府の間で和平合意が署名され今年2016年に自治政府を創設することとしましたが、反発するゲリラ組織も多く真の和平が実現するかどうかわかりません。