やさしい時間

「写真でブログ」タイトルを変更しました
何気ない日常を写真とともに綴ります

今年もコスモスが咲いたよ

2014年10月21日 | 介護
母は7月に意識障害、9月に痙攣を起こし入院治療しましたが、
退院して間もなく呑み込むことが出来なくなり、
また入院する事になりました。


今は、食事をすることも、歩くことも
座位になる事も出来ません。
座位になると意識消失したり、痙攣を起こす
危険性があるからです。

一時は、
「いつ急変するか分かりません」
と言われ覚悟もしました。

でも、生命力があるのでしょうね、
寝たきりにはなりましたが、
鼻腔からの経管栄養と水分で、
今はすっかり安定しています。


考えたら、去年の今頃は車椅子に乗り、
孫たちと彼岸花やコスモスを見に行ったりして
楽しく過ごしました。
月1回の定期受診後の外食も二人の楽しみでした。



先日、私の子供たちや孫が勢ぞろいして
賑やかに過ごしました。
いつもは視線が合わない事もある母ですが、
ひ孫を見ると少し笑います。
何か言おうとします。

それだけで、皆んな笑顔になります。
いつまでも、私たちの側にいてほしい・・・
皆んなの想いが届き、一日でも長く
生きていてほしいと願っています。






迷い

2014年09月08日 | 介護
先週、痙攣発作を起こして 母はまた入院していた。


トイレで急に痙攣が始まり、

私の腕の中で意識を失くしてぐったりとした時には、看護師の私でも 

『このまま逝ってしまうのではないだろうか…』とちょっと不安になった。

幸い 妹がいて

『痙攣が始まったから、救急車を呼んで』という声で

冷静に救急の電話対応をしてくれた。


一人だったら、どうしただろうと ずっと考えていた。

母は意識を失ってグニャグニャ状態で、寝かせようにも

トイレの入り口は車椅子で塞がっていた。

しかも最悪の事に、その時電話も持っていなかった。


多分、出来るだけの事をして 救急搬送するのだろうけど、

これからの指針を沢山残してくれた出来事だった。


いつもは一人なのだから、常に携帯電話を持っておく事、とか

車椅子は少し離して置いておく事、とか…



母は無事に退院したのだけど、たった5日の入院で

立つことができなくなった。


今日は、退院したばかりの一番大変な一日だというのに

妹が一人で看なければならなくて、

本当に大変な思いをさせてしまったんだと

夜、一日の出来事を話をしていて気づいた。

私でさえ抱えるのが大変なのに、

怖かっただろうな…と思う。


自分がしてきたことが、誰にでも出来る事ではないと

改めて思い知る。

看護師だから、訪問看護をした経験があるから、

今もデイサービスで様々な利用者さんを介護しているから…

そういった色々な経験があるから、在宅に拘ってしまう。


入院して動けなくなるより、在宅にいて

出来るだけ人間らしい生活を送ってほしい。


そんな私の我儘が、周りの人を混乱させているのかもしれない。



『その時』

が刻々と迫ってきているのは事実だ。



母の静かな息遣いに、ほっとしながら…



<名前の分からない花がまた咲きました>






日曜日

2014年08月10日 | 介護



8月なのに、梅雨のような雨の毎日。
台風が次々にやって来ては、各地に爪跡を残して行く。


リフトに乗ってしか階段移動が出来なくなった母を
毎日デイに連れて行くのが一苦労で、
ましてや雨ともなると、どうしたものかと思案する。

カッパを着せて、車椅子で玄関を降りると、
「行かなくちゃいけないかな?」
そう言う母を言いくるめてリフトに乗せる。


たった1週間の入院で歩けなくなってしまった母は
また少し痩せて小さくなった。

毎日毎日、小さい母に激を飛ばし、
立たせ、歩かせる。
そうしないと寝たきりになってしまう。

退院して3日すると一人で立っていられるようになった。
背もたれなく座っていられるようにもなった。
介助すれば歩けた。

「やれば出来るじゃない」そう言って褒めながら
またトイレに立たせる。


どんなに非難されようと、
母には動ける身体でいてほしい。
寝たきりになってしまったら、
私との生活はそこで終わってしまう。


『出来るだけ在宅で』と願う。


無理になる時がきっと来る。
だけどそれまでは、出来るだけの事をしたい。








私のピンチに集まってくれる
頼もしい娘たちや相談に乗ってくれる妹に感謝しつつ
のんびりした日曜日が過ぎていく。




<北九州 菅生の滝>




階段昇降機を付けて、毎日快適

2014年04月11日 | 介護




骨折して階段が上がれなくなった母を
何とか家に連れて帰ろうと、
家の前の階段にリフトを付けました。

支度を終えた後、車を出したり、リフトのセットをする間、
玄関に出した椅子に座ってもらいます。

『待っていてね』が聴けない母は、
車を出しているうちに立ち上がって
玄関の手すりにすがって立っています。

待ち切れないのか、心配なのか、
私に手間を取らせないようにしているのか、、、

立位保持も長時間は心配なのに、
毎朝ハラハラさせられています。

そうして、快適なリフトに乗っかって
ゆっくり降りていると
「ねえ、みんなこっちを見ていくね」
なんて言って、ちょっとご機嫌です。







介護は思うようにはいきませんが、
母が笑顔でいられたら、それが一番なのかもしれません。


埼玉の妹が2日前から来てくれて、
あれやこれやと気を使ってくれています。

介護は365日、24時間。
適当に頑張っているつもりだけど、
最近いろいろと疲れ気味だったから、
妹がいて本当に良かったと思います。

母の表情もいつもより明るいように感じます。


少しだけ気持ちが楽になりました。


DVD「わが母の記」を見て

2013年06月13日 | 介護
「わが母の記」というビデオを見ました。
認知症の母親を介護する苦しみと、
母に対するそれぞれの子供の思いと、
記憶が消えていく中でも残る母の思い、、、
それぞれの葛藤の中で、人生を全うしていく母。
胸に刺さるものがありました。






最近、家に帰ると毎日母の反応が違う。
ある日は、
「帰ってきてくれて良かった。誰もいなくて寂しかった」と泣いた。
ある日は、
「今日はあなたが来る日なの?」と終始丁寧語。
そして、ある日は、
「今日私が来ることを忘れてたでしょう?」と言う。

娘だと認識している時と、ヘルパーの時と
自分がどこにいるのか分からなくて混乱している時も。

食事を食べたのを忘れてしまうことは度々だけど、
徐々に進んでいく、体力と認知能力の低下に悲しくなる。


終わりの見えない介護。
今しか出来ない事をさせてもらえる喜びを感じながらも、
窮屈な毎日に疲れていく。


もう少し楽しみながら、
一緒に暮らして行く方法を模索しよう。