やさしい時間

「写真でブログ」タイトルを変更しました
何気ない日常を写真とともに綴ります

小さなお客様

2011年06月30日 | お仕事
先週の金曜日、娘が友達から可愛い子を預かった。

2~3日前の朝、突然足元に落ちて来た、とのこと。
皆で順番に家に持って帰ってお世話をしたのだけれど、
本当の所、どうして良いのか分からない、と。

それなら、私の職場に鳥好きがいるし、
見せてあげましょうと、土曜日に職場に持って行った。
小さな箱に入れて、大切に持って歩いたけれど、
随分揺れて不安だったかもしれない。
しばらくはじっとしていたけれど、
そのうち自分から顔を出して動き回るようになった。


スズメの赤ちゃん。






嘴が黄色いのはまだ生まれて間もない子供の印。
出勤して来たスタッフが
「あらま~、小さいのね~」と
手に載せたりして、騒いだ後、カメラを取りに帰った。

代わりに、娘さんとお孫さんがやって来て、
「電話で聞いたのだけど見せて~!!」
とこれもまた大騒ぎして
「可愛い~!!」とひとしきり遊んで行った。





スズメを見ているあなた達も可愛いよ!
私はデジカメで写真をパシャパシャ撮らせてもらった。

スタッフはやっぱり鳥好きだけあって、いろいろ知っている。
「昔、野鳥やスズメも育てた事があるのよ。
 だけど、自然に帰すのがやっぱり難しいのよ」

スタッフに教えられて、餌になる「あわ玉」や「ミルワーム」
を買って来てもらった。
「あわ玉」を少しずつ食べている。
「ミルワーム」も最初だけ半分に切ってあげたけれど、
次には1匹丸のまま飲みこんでしまって、
『恐るべし、野生だ…』と心の中で思ったのでした。

そして、ずっとピーピー鳴いていたけど、
お腹がいっぱいになると少し大人しいのも分かった。


安心して辺りを歩き回るようになって、
利用者さんもじぃ~っと観察している。
スズメのお世話を利用者さんと一緒にするのが
その日のメニューになった。
利用者さんの中にもスズメを飼った事がある人がいて、
「私ゃ、食べるためにスズメを捕って来たもんだ」
なんて人も。
「結構おいしいよ」
いやいや、食べないでおくれね。


そうこうしているうちに、ちょっと何か変な事に気がついた。
スズメの足が気持ち曲がっているような、、、?

スタッフに聞いてみると、
「あぁ、そうだった。こうしなくちゃ」
そう言って、あっという間に素敵な止まり木が出来上がった。





まだちょっと心もとない止まり方だけれど、
一日経つと、しっかり握るようになり、
足も曲がりが目立たなくなった。
そのままにしていたら足が曲がってしまい、
生きて行くのが困難になる所だった。





車いす生活で、手も悪く、話もあまりされない利用者さんが
自分から手を出して、ちょっかい出してくる。
スズメの赤ちゃん効果で、リハビリにもなり、
皆さんを癒してくれたのでした。



その後、スタッフが持って帰り、
竹かごに入れて管理、育てています。
毎日かごに入れて持ってきてくれています。
名前はお孫さんが、「リン」ちゃんと付けました。
スズメ→スズ→リン だそうです。

また、少しずつ大きくなっているリンちゃんの写真を
皆さんにもお見せしましょうね~!






帰る日

2011年06月27日 | 私ごと


朝から暑い一日だった。

早めに帰り仕度をして、母とさよならした後、品川駅へ向かった。
ママ友の一人が4月から家族の転勤で東京に来ている。
最後の日に時間を作ってもらっていた。
品川駅は広すぎて分からなくなってしまうかもしれない、
二人の危惧から、分かりやすい場所を選んだ。
新幹線改札口の前にあるカフェで喉を潤す。

コーヒーを飲みながら、有効に仕事が出来るようにと
選んだ本を読んでいると、ほどなく彼女が現れた。

彼女とは何年振りだろうか。
子供同士が親友だったから、一緒に良く出かけたりした。
引っ越ししてしまってからはあまり逢えなかった。
それでも何年かに1度、実家に帰って来る時に逢えたし、
メールなどもしているから、あまり逢っていなかった気がしない。

他の友達の事や、勿論娘の事、彼氏が出来た事なども話して聞かせる。
彼女は眼を細めて聞き入っていた。
そして、彼女の娘さんの事を少し聞く。
下の娘さんは最近彼氏と別れたらしい。
「でももう大丈夫みたい」と彼女は言う。
「若いから切り替え早いのね」
そして、上の娘さんは
「亡くなってもう10年になったのよ」と言った。
そんなに経ったんだと、月日の経過を追って行く。





彼女の娘「げんちゃん」は19歳の時に交通事故で亡くなった。
春から引越しした「げんちゃん」がお盆休みに帰省していた時の出来事だった。
友達の車の助手席に乗っていて、シートベルトもしていたろうに、
見つかった時は弾き飛ばされて、道路に倒れていた。

即死だった。

「げんちゃん」の祖母は看護師で、
お通夜で集まった人たちに、
「即死だったので、全く痛みを感じることがなく亡くなったので、
 それがせめてもの慰めです」そう言って
涙の私たちを慰めようとした。

でも私たちは、母親の彼女を抱きしめて、ただただ泣いた。
泣くしかなかった。
運転していた高校の同級生も、同乗していた子も二人とも重症で
どうしてこんな事故が起きたのか、覚えていなかった。
みんな、可愛かった「げんちゃん」を思って泣いた。
そして、突然いなくなった我が子にすがる彼女を思って泣いた。

お葬式の後、彼女と逢う事は極端に減ってしまった。
どのようにして超えてきたのかは分からない。
時々、メールしたし、逢いにも行った。
月日が流れ、
「げんちゃん」のことを何気なく話せる日が
ようやっと来たような気がする。






「結婚式には招待するからね」とまだ決まってもいない先の事を言う。
「嬉しい、絶対行くから しだちゃんに言っといてね」

本当に久しぶりで楽しかった。




親友だった私の娘「しだ」は、彼女の娘「げんちゃん」のことを
「1日も忘れる事はない」と言っていた。
今もそうに違いない。
そして、彼女も忘れる事のない日々を過ごしている。
親友だった私の娘に自分の娘の歳を重ねているのだろうか。


その私の娘は26日に29歳になった。








東京の空の下

2011年06月26日 | 家族

<空を駆け、母のもとへ>


19日から23日まで東京の母の所へ行っていました。
2か所の病院を回り、それぞれの主治医の先生から
現状を聞き、最近の症状などを伝え、
結果として、肺がん、脳腫瘍は現状維持しているとのこと。
ホッとしました。
ただ、認知の症状はどんどん進んでいて、
大切な物をしまい込んで失くしてしまったり、
お金への執着から、身近な人への疑念が湧いたりしています。

おばさんの時には、
「あんなになったらお終いだね」
と言っていた母が今度は自分の番になって、

「最近、すぐに忘れてしまうんだけど、、、
 朝ごはん食べたかしら?」

「大の大人が2~3万円のお金じゃ何もできやしない。
 もっと持っていなくちゃ」

「ここだけの話だけど、あの子が通帳とか持って行ってしまって
 私にはお金をくれないのよ」

誰もいないのに、ひそひそ声で私に訴える。

「明日はどこへ行くの?私は聞いていなかったよ。
 病院へ行くなら、そう言っていてくれないと」

その度に説明したのに、その度に怒られる。
そして翌日は、

「病院なんて聞いてなかったし、私は行かないよ」

そう言う母を納得させて連れて行った。
病院へ着いてしまうといつも通った所だからか
先生とも何事もなく会話し、認知症患者を微塵も感じさせない。
明るくて楽しい昔の母がそこにいる。



毎日がこんなだから、本当に疲れて、
「そんなことないよ」
とつい声が大きくなってしまう事がある。
情けないな、、、と自分自身を思う。

私がこんなんだから、ずっと関わってくれている妹や
もっとずっと関わり続けてくれた弟には
本当に頭が下がる。
今までも大変だったと思うし、これからも続く。

今後の事については何か良い方法を
考えないといけないと思っています。
選択肢を幾つか考えているのですが、
母は現状のままでいる事を今は選択したいようです。



<谷津大観音>



忙しく5日間が過ぎ
最後の日は朝から掃除と洗濯に追われた。
自分の使った物は全部綺麗にしておきたかったし、
ゴミ出し後のバケツの掃除、床も水拭きしたかった。

そうしているうちに、ケアマネさんがやって来た。
現状でどんなケアが必要か、
入浴サービスに短時間のデイサービスへ行ってみたらどうか、、、
など、いろいろな提案があった。

・ヘルパーさんには、当分の間、毎日関わってもらう。掃除と調理
・短時間デイサービスの体験に参加し、週1回は行くように誘導する
・家族支援は今まで通り、妹:水曜日、弟:土曜日か日曜日、
 兄:週に1回はどこかで行く、私は週1回電話する

担当のケアマネさんに後をお願いした。






気分転換に行った石神井川の遊歩道

このままだとどこまでも行ってしまいそうで、
夏のような暑さになった9時過ぎの川沿いを
母の家へと引き返したのでした。



ホタルの宿

2011年06月14日 | 私ごと
前日お腹一杯食べて、その後飲み会に移行して
夜遅くまで騒いだ。



宿に着いてすぐ、飲み会の前、途中で、寝る前、、、
と一人4~5回は部屋の露天風呂で温まる。
露天風呂の向こうは、九酔渓の山が続く。



朝になって、まだ眠い目をこすりながらお食事処へ。

  

まだ食べられない、、、と言っていたのに、
焼きたての魚は食欲を誘う。
ついつい完食。
松の実のおかゆがお腹に優しい。


たらふく食べて、飲んで、楽しく過ごした宿を後に
私たちは夢大橋へと向う。
実は前日の大雨の中、夢大橋へ行ってみた。
橋などどこにも見えず、雲ばかり。
それも一興、とは思ったけれど、
初めての人が二人もいたから、
「明日また来よう」と決めていた。

本当に私たち運が良い♪
当日は曇り。
徐々に晴れ間も見えるようになった。



(この時はまだ曇り空)


橋を渡った先に白鳥神社がある。
日本武尊を祭った神社だそうだ。
誰も行かないので、この時は一人旅。

 


境内は静かで落ち着く。
まるで時が止まってしまうかのようだ。
しばし、深呼吸。




さあ、現実の世界へ帰らないと。
また仕事が待っている。

こんな風にまた一緒に過ごしたいね。
今度は行けなかった仲間とも一緒に。



ママ友と17年目

2011年06月14日 | 私ごと
三女が小学校6年生の時に、
「最後のご奉公」と思って役員を引き受けた。

私は学年委員だったので、
いろいろなイベントを企画実行して行った。
その時に実行委員として助けてくれたお母さんたち数人とは、
その後も親しくお付き合いが続いた。

その時の三女(しだちゃん)はもうすぐ29歳。
当時11歳からだから、もう18年もお付き合いは続いている。
本当のお付き合いは、子供が卒業してからだから、
それでも17年。

本当に長いお付き合いだ。
その間、いろいろなことがあって、
集まる人数が少しずつ減ってしまったけれど
悲しい事も、愚痴も、恥ずかしい事も
それぞれがみんな知っている。
だからこそ安心して笑い合える、そんな仲間になった。



仲間は6人なのだけど、今回は4人が集まり、
「とてもいい所だから、一緒に行こう」という
仲間の一人に誘われて、
ホタルのいる九酔渓に行くことになった。



そこは、以前に何度か通り過ぎた、
九酔渓の山の中にある離れの宿だった。

『二匹の鬼』という風変わりな名前の宿だけれど、
お料理はとても美味しいと友達のお墨付きだった。


      (一部写真を撮り忘れました)

美味しいお料理が続く中で、一番おいしかったのは、
『白身魚の燻製キャベツ包み ヴァン・ブラウンソース』
ワインの風味がとても美味しかった。





食事が済むとその足でホタル見物へ。
朝からの豪雨がピタッと止んで、
皆の幸運に感謝感謝。

豪雨の後だからホタルは木の陰に隠れているらしく
対岸の木に
まるでイルミネーションのようにふわっと光るのや
時々ふわふわと私たちの周りを飛んで行く
ホタルの光が幻想的で
本当に素敵な一時でした。


私たちの旅はまだまだつづく、、、次回へ