やさしい時間

「写真でブログ」タイトルを変更しました
何気ない日常を写真とともに綴ります

誕生日おめでとう💛  

2017年04月14日 | 家族



春に
元気と希望をいっぱい手にして
産まれて来たあなた


今も自分の事よりも
誰彼となくお世話に忙しくて
そんなあなたに
家の事をすっかり任せっきり

いつもありがとう

頼りない姉でごめんね






本当は春になると羨ましかった
母と誕生日が近かったから
いつも一緒に誕生日をお祝いできるあなたが
なんだか特別みたいで
子供の頃は羨ましかった

そんな事何も特別じゃないのにね


あなたが
元気だった母の近くにいてくれて
本当に良かったと思う

観劇だって、吉本だって
落語の鈴本演芸場だって
私は行った事がない

だから、母を連れて行こうなんて
きっと思わなかったと思う

自分の事で精一杯の私に
母もきっと甘えてはくれなかったと思うし

だから、本当に感謝している

誕生日だからって言って
一緒に色々な所に連れて行ってくれて
母を楽しませてくれて

ありがとう!



改めて

誕生日 おめでとう!


これからは、自分たちのために
たくさん楽しもうね!









久しぶり・・・by はじめちゃん

2014年02月27日 | 家族


私の孫5号となった創(はじめ)ちゃん。

もう生後1ヶ月が経ち、健診に行ってきました。
生まれた時は3480gでしたが、4700gもありました。
毎日50g位増えている訳で、順調そのものです。





今日、久しぶりに遊びに来たはじめちゃんを
ひいバービーがあやしていると
不思議と声の方を向いたりしておとなしくなります。

不思議だね、と話していると

娘が、
「もしかしたら、おじさんの生まれ変わりかもしれないね
 だから、おばあちゃんの声に反応してるんじゃないの?」

「え?」

「妊娠してから、なぜかおじさんの事をよく思い出したりしてたんだよね
 生まれ変わりなんて信じてないけど、、、そうだったらいいね」

「うん、私の身内を選んで生まれ変わって来たのかもね
 そうだったら本当にいいね」







久しぶり!

弟が私にそう言っているような気がして、
半泣きになりながら
抱いているはじめちゃんを見つめた。



骨折しちゃったけど、もう大丈夫。

2013年12月26日 | 家族

<倉敷 美観地区>


今年も押し迫って来ましたね。

12月初めに母が骨折しているのが分かりました。
左の大転子部の不全骨折で、いつ骨折したのかは定かではありません。
と言うのも、最近度々転倒していたからで、
ひどく痛みを訴えたため受診して分かりました。
本当に困ったものです。

家の前にある階段は登らないようにと
主治医から言い渡されて、
仕方なくデイサービスの上にある住宅部分に
託老することになりました。


いろいろ大変なことがありまして、、、
私も度々泊まることになり、
最近疲れが溜まって来ています。


2週間毎の通院検査があり、
今日もレントゲンを撮りました。

『ここに白いプチプチしたのがあるのが分かりますか?
 新しい骨が出来ているんですよ。
 骨折部分も悪くなっていないし、もう危険な時期を越えましたね。』

と主治医の先生に太鼓判を押され、
手術をしないで安静にするという選択をして
本当に良かったと改めて思いました。


良くなっても階段の昇降は難しくなる一方なので
階段に昇降機(リフト)を作る計画を
着々と進行中です。



この階段の反対部分につける予定。
いい具合に出来たらいいなと思っています。


手紙

2013年09月25日 | 家族



久々に妹からの便りがありました。

独特な字で、すぐに妹だと分かる
懐かしさを覚える字体でした。

いろいろ書いた中に、来年からはボランティアを
本格的に始めたいという事が書いてありました。

彼女らしいと、応援したい気持ちになりました。


ボランティア、、、
私はボランティアをしたことがありません。
子供の学校の役員、学童保育の父母会の会長、町内会の役員、
そんなことしかしてきませんでした。
どれも順番が来たからするもので、ボランティアではなく、
誰もがするものです。

なんだか彼女が眩しく、素敵に思えました。
それを支えてくれる家族も頼もしい。

以前、良い老後を過ごすためには50歳になるまでに
その下地を作っておくべきではないかと急に思い立って、
それで、50歳までにしてみたい事を書き出してみたら、
10個ほどあったのを思い出しました。

もうその歳はとうに過ぎてしまったのだけど、
その時にもボランティアなんてことは露にも思いませんでした。








毎年咲いてくれるようになったヒガンバナ、
今年も咲いてくれました。
もう咲き終わりそうな季節の花。

やはり、花と同じように季節に敏感でないと
大事なものを見逃してしまいます。



仕事や介護だけではなく、
趣味やボランティアも取り入れながら
豊かな生活をしていきたいものです。

手紙も書きましょう!

偲ぶれど

2013年07月19日 | 家族
北九州に帰るとまたいつもの生活が始まりました。

母は旅の疲れもあまり見せず、
いつもの生活にすんなり戻りました。

どこにいても暑いけれど、
北九州の方が比較的涼しく感じるほど、
栗橋方面は暑かったと思います。


帰り着いた日、
部屋の窓を開け放し、夕飯の支度をしていると
近所の犬の鳴き声や子供の声が聞こえてきました。

夕方の日差しがまだ眩しくて
ふと手を止めて窓の外を覗いた時、
なんだろうか、、、急に体から何かが
抜け落ちるような感覚がありました。


母を無事に連れ帰ることが出来た安堵と
やり残したことをそのままに帰ってきた後悔とが
心の中でわだかまっていました。

それともう一つ、
弟の3回忌に帰省したのに、
弟の事をあまり話さなかった事も
どこかに引っかかっていました。


そんなことを思いながら台所に立っていると
本当に急に何かが離れた感じがしたのです。
それが何なのかは分かりません。

でも、ふと彼かもしれないと思いました。

母を連れて帰る私を心配して、
彼が私と一緒に行動してくれていたのではないかと
思いたかったのです。





母は久しぶりにテレビを見ながら笑っています。
最近はテレビの内容が分からずに
ただ見ているだけだったのに
母の笑い声が聞こえてきて、
台所で母に背中を向けたまま泣きました。

何でだろう、泣いてしまいました。

母をずっと守ってきた弟が
死んでしまった今でも母を守ろうとしている
そんなふうに感じました。


身近な人を亡くした痛みは
なかなか癒されることがありません。

母は忘れることで、自分を守っているのでしょう。
でも私は忘れないようにしたい。

子供だった頃の、中学生の、高校生の
そして、大人になってからの彼を
ちゃんと覚えていたい。


彼の最後の想いを叶えてあげたい。
母だけじゃなく、娘に残した想いを
遠くから見守っていてあげたい。


ちゃんと弟を想って
心の淵から湧き出た涙だったと思います。