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帯広発祥の地をたずねて

2011年04月22日 | 十勝地方の旬な情報


帯広発祥の地は帯広市の東南側で札内川の北側の辺りになります。ここには皆川周太夫の上陸跡地の記念碑や帯広発祥の地の記念碑及び渡辺勝・カネ夫妻の入植の記念碑などがあります。また、古くから温泉として開業している「水光園」もあります。

<皆川周太夫上陸の地>



皆川周太夫上陸跡地:帯広市東9条南4丁目付近

皆川周太夫は寛政11年蝦夷地警備のため派遣された八王子同心の原新助に従って渡道し十勝南岸の道路は危険が多いので、沙流川と十勝川両川筋をつなぐ内陸道路の開削が必要となり、その実地踏査の担当責任者となって十勝川筋を遡って内陸の調査を行いました。和人として初めてこの付近に上陸しました。周太夫の記録には十勝川流域のアイヌ人集落の戸数や人名、地名などが記されています。また、現在の日勝トンネルと大体同じ地点を通る計画をたてていたそうです。記録として「十勝川筋図」(1800年)を著わしています。


<帯広発祥の地>



「帯広発祥の地」の記念碑:帯広市東9条5丁目

 明治16年(1883年)5月依田勉三・渡辺勝・鈴木銃太郎らが率いる晩成社の一行13戸、27名が入植したのがこの辺りです。依田勉三31才でした。
帯広発祥の地の記念碑の裏側には「開墾のはじめは豚と一つ鍋」の歌が刻まれています。



帯広市役所が建てた町内の案内板があります。
道路に囲まれた三角形の場所に記念碑があります。


<渡辺勝・カネ入植の地>



「渡辺勝・カネ入植の地」記念碑:帯広市東10条南5丁目

渡辺勝は明治16年依田勉三ら晩成社の一行と共にオベリベリ(帯広)の地に入植。後年は西士狩の開墾や然別村の牧場を経営した。アイヌの人たちの農業世話係になりアイヌの人たちと親交を深めた。渡辺カネは上田藩の江戸詰めだった鈴木親長の長女として江戸で生まれた。横浜の共立女学校を出て舎監と教師をしていた。明治16年渡辺勝と結婚した。勝達の半年後に帯広に着いた。カネは鈴木銃太郎の妹である。勝もカネも英語ができた。カネは2男3女を育てながら、晩成社の子供達やアイヌの子供達の教育にも携わった。生活は帯広と然別を行ったり来たりした。明治23年イギリス人探検画家のランダーが単身渡辺家を訪れ、特にカネの英語力に驚いている。3日間滞在し、絵や記録を残している。帯広百年記念館にはランダーの絵が残されている。カネは老後は北見市や東京でも送るが空襲を避けて昭和20年(1945年)最初に入植した帯広の家に戻り、ここで亡くなった。74才の時に詠んだ句は「十勝野の枯れ木に咲くリリ(スズラン)の花」



<帯広発祥の地公園>



帯広発祥の地公園:帯広市東7条~12条

旧帯広川に沿った敷地にハルニレやヤチダモなどの樹木があり、川にはカモなどの野鳥が訪れます。自然豊かな公園です。


<水光園(オベリベリ温泉)>



水光公園(オベリベリ温泉):帯広市東10条南5丁目

帯広発祥の地の温泉として親しまれています。入植時の木などの自然が残されている場所にあります。古くからありましたが平成18年12月にリニューアルしました。露天風呂からアオサギの巣が見えます。近所の人の話では越冬しているアオサギもいるようです。入浴料金は大人420円でした。

参考にしたもの:帯広市ホームページ、十勝大百科事典、北へ(異色人物伝)、十勝ふるさと紀行<第五編>などです。



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