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十勝再発見・新発見の旅2

2012年11月03日 | 十勝の歴史

十勝再発見・新発見の旅2


帯広市民大学主催の「再発見・新発見の旅」の報告2です。参加した時頂いた資料を参考にさせていただきました。最初は帯広市水準点原標についてです。
森の交流館入り口表示水準点原標

水準点原標は「森の交流館・十勝」入り口の道路を挟んだ南側の草地にあります。水位は、北に行くほど上がるので東京湾の水位が基準になっているそうです。水準点原標は土地の高さを精密に測量するための基準点で、帯広市の地盤の高さの原点となります。市内にある水準点は39ヶ所、原標は1ケ所あります。最近の帯広市の調査では水準点原標自体が10.6センチも沈下していたことが分かりました。原標自体が沈下していたので帯広市のほとんどの地点で10センチ以上沈下しているのではないかと云われています。

レンガを焼く窯跡桜の花型付きのレンガ


帯広美術館下の駐車場の横の斜面に明治26年十勝監獄を建てるのに必要なレンガを焼いた窯跡があります。現在残っている石油庫のレンガもここで焼いたものです。斜面にはレンガの破片などが今も残っています。

十勝監獄跡記念碑十勝監獄石油庫1


グリーンパークと緑が丘公園パークゴルフ場の間に監獄跡記念碑があります。十勝監獄は明治28(1895)年北海道集治監十勝分監として開庁し、明治36(1903)年に十勝監獄として独立しました。囚人達は監獄を建設するために糠平付近で森林を伐採し音更川で木野まで流送、さらに帯広まで馬を利用して陸送しました。また、囚人達によって大通り(当時は監獄道路とよばれていた)の整備や帯広小学校の建設なども行いました。いずれにしても過酷な労働のため囚人達だけでなく馬も沢山犠牲になりました。犠牲になった囚人達や馬を慰霊するために建てられた碑が帯広の仏弘寺にあります。
十勝監獄敷地の端の方に石油庫があります。監獄で使用する石油の保管庫として使用されました。

十勝監獄石油庫2十勝監獄石油庫3


十勝監獄石油庫は明治33(1900)年に建てられたものです。帯広市で現存する最古の建造物です。また建物としては帯広の最初の指定文化財になっています。レンガは囚人が監獄内のレンガ工場で焼いたものです。レンガの配列は各段ごとに長手と小口を交互に並べる「フランス積み工法」がとられています。屋根の上には「水」という文字が読めます。多分火災予防のおまじないでしょう。
仏弘寺馬塚


帯広市西15条南14丁目にある仏弘寺には十勝監獄の受刑者で作業中に亡くなった人とか使役されていた馬が亡くなったのを供養する石碑が建てられています。

十勝開拓獣魂合祀碑合葬者之墓


同じ場所に開拓や森林伐採の作業中に亡くなった人や開拓の使用で亡くなった家畜を供養する石碑があります。

合葬者之墓の横の文帯広国際センター(JICA)


合葬者の墓の碑の横側には明治三十二年六月一日北海道集治監十勝分監獄建立と書いてあります。昼食は帯広国際(JICA)センターのレストランでとりました。一般の方も利用できます。









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