昨日は聴覚障害クラスに行く最後の日。
準備した活動は、100円ショップで見つけた魚釣りゲーム。
これで遊んで、盛り上がったところで、
よし、次はパクパクエリマキトカゲを作るぞ、と思っているのに
すぐに1階にいってちょうだいと、呼びだしがかかる。
行くと、
「さちえの写真をちょうだい。」
「聴覚障害クラスの前に貼ってある着物、あれあれ、すぐに折り紙で着物を折ってちょうだい、今すぐに!急ぐのよ!」
きっと、今日の送別会の準備だなと思うけれど、今日の送別会でのプレゼントや
スライドショーを、今日の朝作っているというのがタイ、まさしくタイ。
本人にまるわかりで、写真を要求し、それでも「サプライズ!」というこの感じがタイらしいったらない。
曲がりなりにも主役の私が、授業も中座して送別会のために働く。
日本ではあり得ないこの感じ、まさしくタイ。
ふと壁に掛けられているものを見ると、こ、これは・・・! 私?!
タイの国旗をはちまきにして、飛行機に乗って日本に帰っているじゃないか。
うまい、上手!
こんな完成度の高いものをちょちょちょっと作ってしまうのがタイ人のすごいところ。
「さよなら」ではなく「またね」にしてほしいと言ったとおり、「またね」の文字。
あ!私の顔!
こんなんになっちゃってる!!
なにに使われてるの? どんなものができるの?
ふうふう、汗をかいて、あわてて聴覚障害クラスにもどる。
引き続き、エリマキトカゲを作る。
これ、カンボジアの同期隊員から教えてもらったもので、
簡単にでき、パクパク口が動かせるので、子どもたちは喜ぶこと間違いなし。
これを使って、会話の練習もできるし、友だちと遊ぶこともできる。
予想通り反応がよくて、子どもたちもお母さんも喜んでくれた。
なぜ、なぜだ? なぜこの口が動くのか?!と怪訝な顔のこの子。
なかなか強い警戒心。
「ほら、クーサーイが写真を撮ってくれるわよ!」
にっこりしているのはお母さんだけで、子どもの目はエリマキトカゲに釘付け。
2つ つくって会話しましょう。
のりのりで、お母さんたちが会話を楽しむ。
おやつタイムも終わると、子どもたちにはDVDを見せてお母さんたちは
私の送別会の準備。
カオニャオ、ソムタム、カノムジン、蒸した魚、ドーナツ、ピザ、お母さん手作りのカオニャオマムーアン。
今日のためにみんなで時間をかけて準備してくれたのが分かる。
ほらほら、ガイヤーンも買ってきたよ-。
日本では包丁は自分の方に向けて果物の皮をむくが、
タイでは向こう側に向けてむく。
私の日本式 包丁の使い方を見ると、タイ人は驚く。
「危なくないの!?」「こわい!!」と。
たしかに・・・。 なぜ日本では自分向きに包丁を向けて使うのかな??
子どもたちが夢中で見ているのは日本のマジレンジャー。
音がほとんど聞こえていない子どもたちは、目で見てたくさんの想像をする。
次々にごちそうがならび、子どもたちが近寄ってくる。
「まだ食べちゃダメよー!」のお母さんの声で伸ばした手を引っ込め、じっと待つ子どもたち。
自閉症クラスのイーッ先生やオプ先生も来てくれて、楽しい楽しい
でも切ない、聴覚障害クラスのお別れ会。
「クーサーイが帰ったら寂しくなるわね」と言ってくれる、このクラスのお母さんたちは
私がタイ語をうまく話せなくても、何を言おうとしているのかをくみ取ってくれる人たちだった。
折り紙と切り紙がすっかり好きになったこのクラスのお母さんたちに、子どもと家でやれるように、
折り紙と本を渡す。
「クーサーイ 保護者が来ているからすぐに降りてきて」と呼ばれ
いくと、あるおばあちゃんが私にバッグをくれた。
それが、細かい三角のつなぎ合わせで作った、見事な見事な細工のバッグで、
おばあちゃんが1ヶ月かけて作ったことにも、この色づかいにも、
三角をつなげるというセンスにも、手縫いの糸のかわいらしさにも、
全て感動して、すごい、すてき、とほめたことがあった。
今朝ばったりあったおばあちゃんに、「あのバックすてきでしたね」といったのだ。
おばあちゃんは、これから数日間県外の実家に戻ろうとしているところだったが、
わたしにあげようと、家に電話し、すぐに持って来てもらったのだという。
こんなに手間暇がかかったものをもらうなんて、ありがたすぎるのに、
私のたった一言で、今なら間に合うと、私にあげようと、急いで持って来てくれた、
その気持ちがたまらなくうれしくて、ありがとうございますでは 伝えきれない感謝の大渦。
昼からは、職員総出で送別会の準備になる。
ふいと、食堂に行ってびっくり。
先生達が大勢で料理を作るのを手伝っている。 しかもすごいごちそう。
玄関を見に行ってさらにびっくり。
センター長の見守る中、大がかりな準備がされているじゃないか。
こんなに大きなイベントになるものだったとは。
「さちえ、スピーチがんばってね。」といわれ、血の気がひくような思いになり、
自分の思いを自分の言葉で伝えればいいか、と思っていたけれど、
これは、もっとしっかりしたスピーチをしないといけないのでは?
タイの形式ってものもあるんじゃないの?とあせる。
誰かに聞きたいけど、みんなが送別会の準備で忙しそう。
困ったときに浮かんだ顔は、ナムプリック屋のお母さん。
自転車をこぎこぎ、お母さんのもとへ。
お母さんにアドバイスを受け、汗だらだらになり、センターに戻る。
どんなときにも助けてくれる、お母さん。
私の言いたいこともすぐに感じ取ってくれるお母さん。
きれいな服を着るのよ、といわれていたので、
タイシルクのスカートと北部の服を着る。
覚えていたスピーチは壇上に上がると、最初の一言で忘れてしまった。
しどろもどろながらも、言いたいことを言う。
しどろもどろさと、ちょくちょく司会の先生が助け船を出して言い直してくれるので
それがおかしかったのか、みんなが大笑いする。
みなさんに伝えたのは、
これまでずっと助けられてきたことに心から感謝しているということ。
これからみんなが幸せでいてほしいということ。
センターのみんなが大好きで、センター長がくれた「サーイ」の名前が気に入っていること。
毎日ごはんが美味しくて、幸せだったということ。
食堂のピーマラーが大好きだということ。
タイを愛しているし、コンケンが大好きだし、センターのみんなを愛していて、
これからも忘れないということ。
全ての人に感謝しているということ。
食堂のピーマラーが大好きだというくだりでは、一同で「オオオオー!」と
悲鳴のような声が起こった。
みんなが笑って、こういうことを言ってもよいタイって素敵だと思う。
スライドショーがはじまり、サプライズの ビデオメッセージが流れた。
私は話しながら感極まって泣くということがほとんどない。
1つのことにしか集中できないたちで、
誰かと話しているとき、自分が話しているときには、それに集中しているから
泣くことを同時にできない。
だから、部屋で一人しくしく泣いていたりする。
そんなんだから、送別会では必死に話を聞いて、しゃべっているから、泣くことはないな、と思っていたのに、
ビデオメッセージはやられた。
早口で言ってることが分からない。そして長い。
じっと聞いていると、いろいろ思い出して うわーん、と泣いてしまった。
「さちえー! ピーマラーも泣いているぞー!」
見ると、ほんとだ、ピーマラーも泣いている。
タイでは恒例の、プレゼント贈呈、その時動きをぴたりと止めて写真を撮る。
メソメソしながら受けとったプレゼントは朝からバタバタと作ってくれていた
私の記念写真だった。
このあと、「一言どうぞ」といわれても、「ありがとうございます」しかいえないでしょう!
というくらいの この顔。
ブレているのが残念だけど、自分でも何度見ても笑える
ごちそうと宴会、タイ人の大好きなカラオケがはじまり、宴会は宴たけなわ。
カラオケでは、私のために「昴」を練習して日本語で歌ってくれた先生がいて感動。
大人しくて口数の少なかったある先生が、私にお別れのプレゼントを渡しながら
目を真っ赤にして泣き出したのにも感動。この涙は本物だと思った。
大好きなイーッ先生とサオ先生が、 (→ 過去ブログ 「すばらしい先生」)
さちえにまだいてほしいの、と言ってくれたのも、嘘のない言葉だと思って感激。
食堂のおばちゃんが、「今までにボランティアは2人来て、さちえは3人目だけど、
それぞれ個性があって、さちえは一番明るかった。」と言ってくれたのも、
比べられることで多少なりとも苦しんだ私には、ワンワン泣きたいほどうれしかった。
センター長、副センター長、カウンターパートのピーティン、ビュウと写真を撮る。
「どんな風にとる?」
「こんなふうに!」とピースサインをすると、みんながのって センター長まで。
センター長がこんなことをすることはないので、みんなが大笑いして、
「センター長かわいい!」と写真を撮りによってくる。
もらった、写真はすばらしい出来映え。
私が今朝急いで折った折り紙の着物が使われている。
センター長が「アイデアはおれだ。」という。
センター長は活動を見ていないと思っていたけど、聴覚障害クラスの前に貼ってある
花火や浴衣や着物が、私の活動の作品だと知っていた。 (→ 過去ブログ 「花火と浴衣と花畑」)
最後になって分かること、やっと分かってくることがある。
素敵な素敵な写真。
これが、ものすごーーーーーく 重たい。 びっくりするほど重たい。
こまった、うれしいけど、こまった。
送ると送料高いだろうなという重さ、しかもガラスなので割れそうで送れない。
どうやって日本に持ち帰ろうか。
うーーん、こまった、うれしいけど、こまった。