ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

またね

2012年03月06日 20時03分53秒 | コンケン 第9特別教育センター


コンケン第9特別教育センターでの 活動最後の日。
昨日から、実感がないながらも、今日を大事にしたいと思って家を出た。

自転車をこぎこぎ、この道を行くのももうこれで最後。
暑季に入り、最近は朝からかなりの暑さ。
      


軽い坂道のこの道を行くのには、けっこう一生懸命に自転車をこぐ。
顔は下を向いて、ハアハア息を切らしながら、行くまでの15分間考え事をする、それが朝の日課。
下を向いてこいでいると、目に入ってくる小さな草花。 
小さいけれど、こうやって 道にひっそりと咲いている。
前を向いて歩こうとよく言われるけれど、いや、下を向いているから気づく小さなことがある。
意気揚々と前を向けず、下を向いて歩いたときにのみ、気づく小さなことや、
小さな優しさがある、そういう人生のちょっとした発見。
      


ピーマラーが
「さちえ、これ日本に持って行って」
と、ナムプラーや、ママー(インスタント麺)や、タイの食材をもってきてくれる。
「私はさちえにあげたいと思っても、何をあげていいかわからないの。」
毎日毎日朝から晩まで食堂で食事を作り、洗濯をし、センター内の掃除をし、
働き者のピーマラーは実直で飾らず、何もかも嘘がない。
この言葉は、ピーマラーそのものを表していると思った。
ピーマラーが作ったごはんを食べておいしいおいしいと言っていた私に
最後に何かあげたいと考え、でも何をあげたらいいんだろうと考え考え、選んでくれたのだ。
胸がきゅんとくる。
      


ある子どものおばあちゃんから電話がかかる。
「サラダのドレッシングをあげたいの。今日は子どもが具合が悪くて行けないから、
預けたの。冷蔵庫に入れたらずっと使えるから、日本でお母さんに食べさせてあげて。」
受付にあずけられた、おばあちゃんの手作りドレッシング。
      


飛行機に乗ったことがない、海を越えた海外旅行をしたことがない、という人が多いので
飛行機に持ち込めるのか、重さ制限があるのかなんていうことは知らない人が多い。
だから、もらったものは これどうしようか?!
と持ち帰り方法を考え込むようなもの、お米、クロッ(臼)、カオニャオ作りのでかい籠など、でもどれも イサーンの人たちの心が詰まっていて その重さが思いやりであり、優しさだと感じる。



最後の私の活動は、和紙を使った色染め。
そして、パクパク人形づくり。 ( → 過去ブログ 「にじんだ和紙の美しさ」   「送別会」
どちらも、他国隊員から教えてもらったものだけど、最後にふさわしいと思って今日の活動に選んだ。
      


色づかいに迷いのないタイ人の作る色染めは、とーってもとーっても鮮やかで、
この国の人たちの明るさや、大らかさ、大胆さを表しているよう。


パクパクしゃべる人形は、「キツネ」「犬」「エリマキトカゲ」
子どもたちの好きなものの何でもよい。
噛みつく真似をしたり、おしゃべりをしたりして子どもたちに近づくと
子どもたちもキャッキャと笑う。
文句なしに、単純に楽しい パクパク人形。
   


簡単にできるので、できたときの喜びがある。
作った人形で遊ぶこともできる。
      


2つ作って、会話をする練習をする。
「サワディーカー」(こんにちは)
「サバイディーマイカー?」(元気ですか)
お母さんも声色を変えてやってみて、かなりノリノリ。
      


子どもたちには、今日が最後なので、持っていた学習材
折り紙、楽器など全てプレゼントする。
      


今まで折り紙には興味を示さなかったイーッ先生が、折り紙の折り方を見ながら折っている。
イーッ先生が、黙って最後の時間を慈しんでくれているのが分かる。
      



今日も元気な子どもたち、今日もかわいい子どもたち、
この子どもたちとも今日でお別れ。
     
 

今日一日「ラバイシー(色を塗ります)」と連発していたこの子。
ラバイシー(色を塗ります)は私がよく使う言葉。
会話のキャッチボールが苦手なこの子たちは、
人の言葉をそのまま繰り返すことがある。
「ラバイシー ラバイシー クーサーイ ラバイシー」
(色を塗ります、 色を塗ります、 さちえ先生、色を塗ります)
繰り返されるこの子の言葉は、会話を求めての言葉。
会話したいけど、うまくできない、繰り返しの一方通行の言葉。
ちゃーーーんと伝わってきます。
泣きそうになっちゃう。
     



教室には、昨日の雪だるまが掲示されていた。
うっかり昨日掲示するのを忘れて帰ったのに、貼ってくれている。
桜の木の上に、雪景色。
どちらもタイにはないもの。
      


子どもたちは桜の木や、雪景色や、土俵のある教室で毎日過ごしてきた。
すっかりなじんでいる、この景色の中で元気に、明るく。
    


教室の外に、以前、ずーーーーーーっと、ずーーーーーーーーーーっと以前に作った
ちぎり絵の表札が使われていた。   ( → 過去ブログ 「ちぎってちぎって表札づくり」
いつのまに!
もう、そのままお蔵入りしてしまったかと思っていたのに。
    


個別学習中の、イーッ先生が言う。
「クーサーイ。ほらほら、トゥッカターヒマ(雪だるま)」
昨日の雪だるまを再現してくれている。 ( → 過去ブログ 「明日までの一日」
      
 

今日は火曜日、ピンクの日だけど、オレンジの服を着ているのは、私が昨日あげた私の服を
着て見せてくれているから。
タイでは着られなくなった服を人にあげることがよくある。
親愛の気持ちが間に挟まっていて、新品の服よりも喜ばれるような感じがある。
私も、日本には持ち帰らずに、なるだけ服をあげた。
特にお別れする人からもらうその人の服や持ち物は、その人とのつながりを大事に思うために
新品のもの以上に愛着をもちその人を大事にする意味で大事にする。
      



「クーサイ クラップバーンロー? 」 (クーサーイ、家に帰るの?)
と聞くこの子。
この子とおばあちゃんに、ずいぶん助けられてきた。
まだ、つながりを持てずに一人居場所がなかった頃から。
      




お昼は自閉症クラスでも誘われて一緒に食べはしたものの、そそくさと切り上げ、
正直に「キットゥン ピーマラー」(ピーマラーに会いたい)といっておいとまする。
正直に言ってもよし、むしろ正直に言わない方がよくないというのがタイで、そこがいいところ。
食堂で最後の昼食をピーマラーたちと過ごす。
       


最後の昼食は、イサーン名物ムーヨー(豚ソーセージ)の野菜炒め。
      
     

ピーマラーの隣にちょこんと座って食べていると、みんなが食べ終えて立ち上がり、私たち二人になった。
ピーマラーが言う。
「さちえはまるでタイ人のようだった。おしゃべりをするのが好きで、いつも楽しかった。」
私も伝える、このセンターで仕事のことを関係なく、どんなときにも変わらず私を大事にしてくれたのが
ピーマラーであったこと、ピーマラーがいなければ、毎日ここにくることはできなかったこと、
ピーマラーを尊敬しているし、とても大好きでいること。
目に涙をためて微笑んでいるピーマラーとお別れする、それが一番つらい。
      



  

「クーサーイ」と呼んでくれる子がたくさんいて、
      


心が通い合ったんじゃないかと思える瞬間があって、
      


センターの先生達と一緒に話し笑い、
      


毎日美味しいごはんを食べた。
      




タイではどこでもそうだが、目立つところに職員の肩書き、いわばランクが分かる表が貼ってある。
学歴がその人の立ち位置を大きく左右し、その地位が発言力や財力そのものになる。


ピーマラーたち食堂のおばちゃんらは、タイの社会的にはさほど高い位置にある人ではない。
でも、タイの社会的に高い位置にあったセンターのたくさんの人たちよりも
言葉も国も超えて、人間と人間のつながりを感じ、心で通じ合い、信頼できた。
他国からやってきた言葉もつたない一人の人間を、長い時間、どんなときにも変わらずに接し、
見守り、心配し、なんの見返りもなく接し、意図せず支えてくれた。
そんなピーマラーたちは人間として尊くて、誰よりも立派で、人間そのものを私は心から尊敬している


仕事が終わる1時間前から、食堂で過ごす。
今までそんなことはしたことがないけれど、最後くらいは大目に見てもらおうと思う。
誰もいない仕事部屋に一人でいるよりも、最後は最も大事にしてくれたと思う人たちのそばにじっと座っていたい。
    


仏暦2555年(西暦2012年)3月6日 16:30 活動終了
見送ってくれるピーマラーたちに手を振り自転車をこぎ、第9特別教育センターを出る。
         


風が吹き、国旗がはためく道を通る、いつもの帰り道。
     
 

サクラに似た花が咲いている。
日本のサクラに似ていて、でも暑い国らしくたくましい花。
去年の今頃、この花が咲くのを見ていたとき、今の自分を想像できなかった。
     


ここで一緒に時間を過ごした子どもたち、保護者たち、
話をした先生達、そばにいるだけでほっとした大事な人たち、
その人たちはこれからタイで生き、私はこれから日本で生きる。

大らかなこの国で、豊かにたましく育っていくだろう子どもたち。
本来なら出会うはずもなかった このコンケンの子どもたちと出会い、
その人生の一部分に関わることができて、なんて幸せなことだろう。


センターから見る目に染みるような青い空も、自転車をこぎこぎ通った道も
これで、おしまい。
奇跡的な巡り合わせで、私を招いてくれた、コンケン第9特別教育センター。
        


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