ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

人間力

2012年03月13日 23時39分50秒 | 日記
荷造り、部屋の片付け、帰国報告会のプレゼンテーション準備、お世話になった人へのプレゼント、あちこちで送別会、配属先にもちょくちょく行っている、
あれやこれやとありすぎて、忙殺とはまさしくこのこと。


ナムプリック屋のお父さんお母さんへのプレゼント、大作30分ムービーを昨夜つくりおえ、
やっと大きな仕事を終えたと思ったけれど、
急にこの1年9ヶ月間で見たものを今の新鮮な思いでとっておきたくなり、
ついまたムービー作り。
明け方までかかって、ついうっかりうとうとしてサイバーツに行き逃してしまった。


一緒にサイバーツをすることに大きな意味があるお父さんお母さんは
きっとがっかりしただろうに、「疲れているんだから休みなさい。」と言ってくれる。
だから、朝からはりきって、お好み焼きと黒糖のパンケーキを作る。
もっている材料も使い切って、喜んでもらえるうちに作ってあげたいと思う。
      


お母さんが作ってくれたイサーン名物、アリの卵のスープ。
これ、とてもおいしのだ。
これも、もうすぐ食べられなくなる。
      


お母さんが言う。
「さちえがいるのはあと2日。 いなくなったらどうしたらいいのか想像もつかない。
 お父さんが昨日言ってたのよ。
 どうして、日本とタイなんて そんなに遠くに生まれたんだろうって。」
お父さんが言う言葉も、お母さんがいう言葉も、ありがたくて、さみしくて 何も言えなくなる。



配属先にもお好み焼きとケーキをもっていく。
食堂のおばちゃんたちが温かく迎えてくれる。
      
おばちゃんたちにあげようと思ってパックに詰めたお好み焼きと、パンケーキを、
センターのみんなが少しずつ食べられるようにと皿に広げる。
「さちえから、って言ってみんなに食べてもらうからね。」
分け合いの精神、いいことはなるだけたくさんの人にわけあえるようにという
この考え、いいなあと思う。
      


先生や保護者みんなで寄せ書きノートを書いてくれていて、
一人一人の写真付きのメッセージには胸が詰まるような言葉がたくさんあり、
読み上げてくれる先生も、目がうるうるしている。
      


果物屋のおばちゃんのところにいくと、
「日本のお母さんに持っていって!」
とマカムと、蒸かしたマカムをどっさりともらう。
      


今まで貯めていた果物屋のおばちゃんの写真をアルバムにして、プレゼントする。
とうとう、この時が来たなと思う。
その数100枚以上。
      

おばちゃんに住所を書いてもらう。
      

明日はさちえのお別れ会をしよう、とある屋台のおばちゃんが急に言う。
この間、果物屋のおばちゃんと数人にはしてもらったのだけど、
私はまだしてないからと言う。
そんな何回も! と思うけど、そういうありえない回数だったり
ドタキャンだったり 急な思いつきだったり 
それがタイでそういうところも楽しいと感じるようになった。


ソイローポーショーの屋台のおばちゃんたちにも、
ハガキを出したいから住所を書いてほしいとお願いすると、
喜んで書こうとしてくれるが、はたと止まって言う。
「明日でいい? 住所を覚えてないのよ。 書いてもらってもってくるから。」


誰もが字が書ける、読める国、日本は 誰もが教育を受けられるゆとりのある、
誰もが等しく貧しくない国だと、海外に来て日本がわかる。
タイでは、大きな格差が存在する。

だけど、思うのは、私をささえてくれたのはそういう近所の人たちだということ。
仕事と関係のない他愛もない話をして、
私にイサーン語を教えてしゃべらせては笑い、
一緒にビールを飲んで歌って、
毎日声をかけてくれ、しばらく顔を見ないとみんなで心配し、
1皿30バーツの料理を売って生活する中で、私にしょっちゅうただで食べさせ、
言葉で全て通じ合えなくても、そばにいればほっとしたし、人柄で通じ合えた。


たとえば私の配属先は、教師みんなが高学歴。
社会的に地位の高い人たちがたくさんいるが、
私の支えだったのはタイの社会的身分では低位にいるのかもしれない近所のこの人たち。
この人たちは、私の人間ピラミッドではピラミッドの頂点にいる尊い人たちだ。


今朝、ナムプリック屋のお母さんに、作ったガイドブックを見せ、
こういう仕事をしていたの、と説明した。
それからお客さんが来る合間合間にずっとガイドブックを読んでいたお母さん。
      


夕方、会いに行くと、お母さんが大声で言う。
「ルーク!(娘) ゲーンゲンナンスウー(本はと~っても上手!) 
 さちえはいいこと(ブン)をたくさんしている、人の役に立っていてとてもえらい。
 タイの子どもたちのためにありがとう、お母さんは嬉しい。」
来るお客さんお客さんに、全く同じ話を話して聞かせるお母さん。
センターでは最後まで言われることのなかった「ありがとう」の言葉を、お母さんに言ってもらった。
だから、はじめてお母さんの前で泣いてしまった。
お母さんも泣いた。


お母さんは自閉症のことを勉強したことはないし、
センターの先生達のように仕事をしながら大学院にまで通って、特別支援教育を履修することもない。
そういうお母さんが、センターの先生達よりも熱心にこの本の中身を見て、ありがとうと言ってくれた。
お母さんは教師ではないけれど、誰にでも公平で思いやり深いお母さんなら、
きっと自閉症の子どもたちを理解し、その人間力で子どもたちにすばらしい対応をするだろうと思う。


結局、人間の中身、人間力に尽きる。
紙の上の知識ではない、人間としての豊かさ、人間力。
お母さんや近所の心ある人たちに教えてもらったこと。



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