アキレス腱が切れたのは3月1日でしたが、
3日に整形外科病院へ行ってアキレス腱が切れているのが判明。
入院手術が必要だと言われて紹介状を貰って
(4日は休みだったので)
5日にその病院で血液検査やレントゲン、CRT、MRスキャンとフル検査を受け
7日その結果によって手術日が10日と決まり
9日午後入院、10日午後2時から手術となりました。
(本当は4時からの予定だったのですが、
2時から手術予定の人がなくなったために繰り上がったとの事でした。)
9日21時以降は食べ物は禁止、10日6時以降は飲水も禁止だったのですが、
目が覚めたら6時半だったので水を飲まなかった事が悔やまれます。
4人部屋で比較的静かだったのですが
1時間おきに大きな声で寝言を言う人がいたのと、
もう一人が時々歯ぎしりをするのであまり眠れず、
5時過ぎに目が覚めたのですが、もっと寝ようと思って寝たら6時半になっていたのでした。
手術は脊髄駐車による下半身麻酔で行われたので、手術の間中声は聞こえていました。
ただ、ずーっとうつ伏せになっていたので、手術の様子はわかりませんでした。
この手術の間中、ほぼ4時間もうつ伏せで頭を持ち上げていたことが問題でした。
天女はこの手術の間ずーっと手術が成功するようにと、
般若心経を唱えていたとの事ですが、
2時間が過ぎても呼び出しがなく、だんだん不安になってきて
手術が失敗してぐちゃぐちゃになってしまったのではないかと恐れていたとの事でした。
でも、手術後に執刀医の説明を聞いた天女は
実直ないい先生で信頼できると思ったわと言っていました。
手術が4時間もかかったのは、
若い執刀医を整形外科部長が指導しながらおこなわれた為で、
ここは縫い付ける骨が薄いから糸を二重に掛けたほうが良いとか部長さんの声が聞えていました。
そんなわけで、2人の医者によって丁寧に手術が行われた事が時間が掛かった理由だったのでした。
手術が終わった後は足に添え木のようなものが当てられ、
手術代からベッドに移され、経過を観察する為にナースステーションのそばの個室に移されました。
その時は、まだ麻酔が利いていて全く感覚がなく、
当然動かせなかったので下半身は死体のような状態でした。
麻酔は徐々に覚めてきて、最初は太ももに感覚が戻ってきましたが脚は動かせず
ひざを曲げている感覚があるのですが、足は伸びていて
やがて足が動かせるようになってきて動かすと自分の足ではないように動いて
(心配なので左足は動かしませんでしたが・・・)
そのうちに下肢が動くようになり、足に感覚が戻ってくると・・・
激痛!超激痛!
それは手術した患部の痛みではなく、添え木で強く圧迫されている痛みでした。
(でも、かがれた骨を接着する為に強く圧迫しないと駄目なのかも?と思いながら・・・)
それは硬い小さな登山靴に無理やり足を突っ込んだような痛みで悶々
のどが渇いて悶々
背中と踵とのどの渇きの三重苦でした。
動いていると痛み・苦しみが幾分和らぐ感じがして、
寝返りをほとんど1分おきに繰り返してスマホで時間を確認して、
まだこんな少ししか時間が経っていないのかと嘆きながら悶々。
どうしても耐えられないと考え看護師さんを呼び、包帯のまき直しをお願いしたのですが・・・
看護師さんにはそういう権限はないみたいで、
鎮痛剤を点滴してくれたのですが全然効かず、
数時間後にもう一度点滴してもらったけれども激痛は変わらず
それがまだ夜中の2時頃、朝まで気の遠くなるほど長い時間寝返りを繰り返しました。
七転八倒を100倍した位のたうちまわっていました。
(100倍すると700転800倒となって計算が合いませんが・・・)
という事で一睡もできず朝になりましたが、朝食は遅く・・・
やっとのどの渇きは終わりましたが、朝の巡回の時に訴えてやっと包帯を緩めてもらいましたが、
今度は傷の痛みがズキズキ・・・
昼を個室で食べてから着替えをさせてもらって、
車椅子で4人部屋に戻りました。
そのころには背中の痛みも癒え、傷の痛みも少し和らいで
やっと寝ることが出来るようになりました。
しかしながら、同室の2人の寝言と歯ぎしりは変わらない上、
別室の人が1時間おき位に大声で叫ぶので熟睡は出来ませんでした。
という状態でしたが、傷の痛みも徐々に弱くなり、
12日昼前に天女が迎えに来てくれて無事退院しました。
その後は天女の手厚い24時間看護のおかげで傷の痛みもさらに薄れ、
(品行方正な錆鉄人は病院では飲まなかったので)
4日ぶりの缶ビールの効果もあって熟睡できました。
おかあさん、ありがとう!
汗動したぁ!?
三重苦と書きましたが、
実際は前日の夜食以降は何も食べていなかったので
空腹との四重苦で気が狂いそうで
朝が来るのを必死で待ちました。