サラリーマン増税という話も出ているようですね。
退職金の増税や、通勤手当など“手当”に対する課税も検討されているとかなんとか。
そもそも多くの会社や政治家は家事・育児・家庭の収支などを担っていない人たちばかり。その人達が考える“対策”が的を得るはずがない…という思いが強いのですが。
自然のエネルギーをとソーラーパネルを使った電力供給を押してきた国。
オール電化を勧める会社もそうですが、勧めておきながら「電力ひっ迫のため節電を…」とか言われると、なんだかなぁ…と思う。
チャットGPTなど多くのAIも増えてきて、無人のコンビニやキャッシュレスの導入でレジ要員も少なくなってきました。
まぁね、確かに人手不足だからしょうがないと思います。
でも、絵を描いたり、小説まで簡単に書けるようになって、その方がコストがかからないという理由で頻繁に使われだしたらどうなるんだろうか。
実際、海外では絵師さんの仕事もなくなったというのも聞きますし、俳優や声優も「人」が不要でも作れてしまうでしょうしね。
そうなると“少子化対策”で人口が増えた場合、将来働ける場所ってあるのだろうか、とか思ってしまいます。
一度キャッシュレスで慣れてしまえば、人口が増えたからと言って「人が対応するレジ」が増えるかというとそうじゃないでしょうし、「働ける職」というものがなくなってきたらどうやって生計を立てるのか…とか思っちゃいます。
まぁ、私が生きているうちはそういう心配はないのかもしれませんが、どこか矛盾を感じてしまいます。
人が自分の言葉で打ち込んでいる以上、AIはそれを学習していくんでしょうけど…。
もっと先を見た時に、AIばかり使って自分で考える事をしなくなった人間が、新しい言葉や感情の表現などを生み出せなくなった時、AIはどうなるだろうか…とか、究極の事まで考えてしまいます。
新しい言葉や短縮言葉、雰囲気で伝わる新しい言葉って、AIには作れない気がするんですけど、そうじゃないのかなぁ…。
まぁ、何にせよ、「何でもできるからって、何でもしていいわけじゃない」という思いが──どの分野でもそうですが──頭をもたげてきます…。