つれづれ日記

心と目の記録

日展で見たピレニーズの絵

2010-02-27 09:10:48 | Weblog

第16回日展(1984)  「休日」    岡江 伸


日展(日本美術展)の歴史は古く、明治40年に、文展として始まり、帝展、新文展と主催者が変わると名前が変わりました。
終戦の翌年文部省主催により昭和21年春に、日展第1回が開かれ秋に第2回展を開きました。
私は女学校の美術の先生と第2回展を見に行来ました。出品目録は紙も印刷も粗末なものでした。出品された絵は大きい絵は少なく、岡 鹿之助の絵が一番私の印象に残っています。
終戦の翌年で、食料難だったこの時期によく開いたものだと今になって思います。

日展の運営会がいろいろ変って、昭和44年に、改組日展、翌年「日展」と改め今に至っているのです。日展100年目を迎えた2007年に、六本木に開館した「国立新美術館」に会場を移しました。

1984年に日展で「休日」にピレニーズが描かれた絵を見て、嬉しくなり絵葉書きを沢山買いピレ仲間にあげて喜ばれました。
岡江 伸(しん) さんは、2000年の日展で特選を受賞された作家で、女優の岡江
久美子さんのお姉様です。、人物、花鳥、動物、風景などその素晴らしい作品の力量と画品の高さは大きな評価を得ておられるそうです。 


ピレニーズとの会話

2010-02-19 17:26:53 | Weblog

「其のままよ!もう少し我慢して其のまま動かないで!」とベルに声をかけ、ベルはお役目を果たし、新聞に載った伊勢丹の広告写真です。

私にとってピレニーズの魅力は、美しい外見ではなく、眼と眼で話せて心が通じるところです。日本犬やポインター、スピッツなど飼い、それなりに犬の利口さ、人間の心を読み取る能力は分かっていましたが、ピレニーズはもう一つ深い不思議なものを秘めています。
飼い方や環境、また犬の血統や性格によって違いますが、家族と同じ気持ちで毎日お話をしていると、言葉を理解してその理解度には、本当に驚くことが多いものです。1日中犬は飼い主の様子を把握して、見守っています。よくない意味で言うと、愛犬に監視されているのです。
御夫婦の間が険悪になると、わざと二人の間に入り、手をかけたりして、お互いに笑い出して…なんていう話しはよく聞きました。

毎日の散歩が今日は出来ないときには、短い距離で誤魔化そうとしないで、「今日は・・・・だから、散歩が出来ないから少しでがまんしてね。」とか正直に話してきかせれば分ります。。私が脚を痛めた時には、ゆっくりゆっくり歩いてくれました。
雨の日は、空を見上げて手でしぐさをしながら、「雨コンコンだからお庭でね。」と云ってきかせ雨の日は散歩に出ず、庭に放しておしっこなどしてもらいました。(庭の芝生は禿げてしまいましたが)
3頭いた時には、1頭1時間ですから、3頭で3時間以上かかり、順序が決まっていました。2頭目のときに雨が降り出した場合は、後の犬も雨の中を出かけました。
歩いているときも恋人のように色々とお話をしながら歩くので、犬にとっても楽しいお散歩だったでしょう。若いころのピレニーズとの楽しかった思い出です。

 


五味川純平先生と奥様

2010-02-09 23:05:16 | Weblog

 五味川先生と奥様

人生は運と縁と云いますが、1970年に当時日本ではは珍犬だったピレニーズと巡り合い、本当に大勢の方とのご縁が出来ました。
1976年にピレニーズのご縁で五味川先生ご夫妻と親しくさせていただき、私はお誕生日にお宅に招かれて、フランス料理のフルコースをごちそうになりました。
奥様の手料理は玄人のように御上手で、お客様を迎えるのが大好きでした。
キャビア、カラスミ、海老など9種類のオードブルから始まり、コンソメの冷スープ次々とでる11品のお料理に眼を見張りました。
お三味線を習ってらして、日本舞踊や地唄舞、こうたの会などに連れて行ってくださいました。
写真は1977年にある会にお出でになったとき楽屋で私が写したのです。
その翌年、1978年に先生は喉頭がんのため声帯を失われました。
しかし特別な発声で何とか言葉を伝えられるようにはなられましたが
1981年に奥様が膵臓癌で亡くなられたのです。
お手伝いさんとお暮らしのときまでは友人と伺いましたが、その後、「人間の条件」の中の美千子さんと娘さんと一緒に住まわれそれからはお会いしてませんでした。

、先生が1948年に引き上げてきて、妻と娘と再会しながら、最後に大連時代に親しくなったヤス恵夫人が引き上げてきて家庭を築いたのですから、小説より奇なりです。ヤス恵夫人は日本に系類は一人も居なく、背丈ほどのリュックに詰めるだけのものを詰めて、引き上げ船で日本に着き、先生が迎えてくれた時の感動のお話を聞いたことがあります。
先生が「人間の条件」を書いている時代は奥様が洋裁で家計を支えたそうです。



久保田一竹先生

2010-02-09 21:48:24 | Weblog

  久保田一竹 作  辻が花染め

一竹先生は本当に長い年月をかけて室町時代の辻が花染めを研究され、過去の模倣ではなく、心血を注いで、独自の技法で表現して、幽玄華麗な染物の作品に仕上げ、世界中の人々に感動を与えるのだと思います。
小さな細かい模様を描き、その一つ一つに色をつけて、糸で縫い絞るのですから、想像に絶する気の遠くなる仕事です。
絵具で絵を描くようにやり直しはきかないわけですし、キャンバスに立てて眺めながら描けるわけではないので、一枚の着物を染めあげて、縫い合わせて仕上げる過程がどんなものか・・・。
「理想の辻が花をと狂ったように明け暮れ、時間が惜しいばかりに生活の基盤であった手描友禅さえも捨て、家族を極貧に耐えさせ、辻が花の鬼と化したのです。・・・」
先生のメッセージで読みました。
作品を全部売れば経済的に恵まれたのでしょうが、立派な作品が出来上がると手放すことは出来なかったようです。美術館を建設の話が出たときに、「250万の蓄えしかなかった」そうです。天運に恵まれ、力ある大きな知己に助けられ、雄大な富士と河口湖を望む自然林の中に、美術館が建設されたのです。


一竹辻が花

2010-02-07 14:57:32 | Weblog

久保田一竹作 「一竹辻が花」染めの着物

先日海老蔵さんと小林麻央さんの婚約会見があり、辻が花染の総絞りのピンク系の振袖がとても素敵でした。
その時、辻が花染めとは少しちがいますが、30年以上前に初めて見た、「一竹辻が花」染めが、頭の中に鮮やかに蘇えりました。

友禅師久保田一竹(1917-2003)は、20歳のときに、東京国立博物館で、室町時代に栄え、江戸時代の初期に姿を消した染め織の技術の「辻が花」の小裂に出会い魅了されてしまいました。
戦後シベリア抑留から帰国後、その研究に力をそそぎ没頭し、60歳になった1977年に現代に息づく独自の「一竹辻が花」の技法を発表し注目を浴びました。
第一回個展を開いて以来、フランス芸術文化賞の受賞やアメリカ、イギリスでの個展を開催して、高い評価を得ている先生です。
2008年にはアメリカの2都市で開催され、延べ16万人を超す来場者で、大盛況だったそうです。

1977年に銀座の御木本で一竹先生の第1回の個展が開催された時に、私は五味川純平先生の奥様にお誘い頂き、お供で見に行ったのです。
久保田一竹先生は気さくな優しいお方で、いろいろお話をしてくださいました。
その後、初めての、新橋演舞場での「一竹辻が花のショー」があり、それは夢の世界のような豪華絢爛な世界でした。

河口湖を望む赤松の自然林の中に、久保田一竹美術館が1994年に建てられ、1997年に新館が完成しましたが、一度行って見たいと願っています。


2010マガジンに新年の挨拶

2010-02-06 13:02:36 | Weblog

2010年のイギリスのマガジンに送った新年の挨拶のデザインですが、上下カットしてあります。上にクラブ名、下に名前と住所を入れて、シンメトリーに配置しました。

これを作るために4枚の合成写真を作ったわけです。
富士山は新年にふさわしい山だとしみじみ思いました。
写真撮影者O様、有り難うございました。


瑠璃祭りの中のマウンティ君

2010-02-02 14:39:05 | Weblog

2009年のFCIアジアインターナショナルドッグショーで、牡組のメリット オブ アワードを受賞したマウンティ君8歳です。
ショーが終わってから、オーナーのO様とのスナップ写真を撮り、その中の一つのお顔をきりとりました。大勢の観客の中で写したので、ストロボで眼が光ってしまいました。
一度ペイントで眼の中を黒くしましたが、飼い主のO様のご希望で、止めそのままにしました。
庭の「瑠璃まつり」の花の写真をバックに使い爽やかに作りました。


合成写真

2010-02-02 13:43:16 | Weblog

合成写真を作る為のソフトがあれば色々なことができるのでしょうが、一番単純なペイントだけで、切りとりをして、貼りつけて周囲をトリミングして作っています。
マウスを動かして切り抜くのに、周囲になる被毛を描くのに。細かく動かさないとだめなので、急いで動かすと乱暴になってしまいます。タブレットがあれば綺麗に動かせるのではないかと想像します。画像の周囲を一回りするのにマウスをうっかり浮かすと消えてしまうので集中して一気に切り抜かねばならないので、神経を使いました。
白い色は透けてしまうことがあるとか、読みましたが、なぜかこのカリーマの頭の上の方が小さく透けてしまい後ろの花が見えてしまいました。
そこで透けた穴を白い花のところに行くように動かして固定したら分からなくなりました。富士山のと合わせて4枚 あるデザインに必要になり作りました。

バックになる画像は、どこにでも切り取りを置ける花畑にしました。2005年の春の庭ですが、リビングから庭を見て、ガラス戸を額縁にして絵を描くように花や彩りを配置して庭作りを愉しみ、沢山の写真がありますが、切り取り写真のバックに適当なのは意外と少ないものです。

合成写真といっても子犬の三菜ちゃんの写真は、湯河原の友人宅に子犬を見に行った時持参した、軽い小型カメラで9頭の子犬たちを沢山写しました。
子犬を抱いているM氏のお顔や腕を隠すために、勝手に考えて作った写真です。
 今ならこんな無理をしないで綺麗に出来るのに・・・・・
子犬の写真を四つ切りに伸ばし、ガラス板を載せて、庭の花を摘んできて、下の隠したい部分に載せました。
そして普段使用しているキャノン・イオス10で撮影したので合成写真と云うわけです。。