つれづれ日記

心と目の記録

子犬の誕生

2014-10-20 16:03:54 | Weblog

レオ君と一緒に産まれた牝のアナスタシアは、友人に譲り
ドッグショーに出してCHを取得しました。
同胎犬の牡と雌の活躍で子犬の希望者が多く、
2年後に同じ父犬A.CHのマックと交配し
3月に牝ばかり6頭産まれました。
2回目なのでカメラで出産の写真から成長の記録を撮りました。

 



犬好きの三女は明日都立高校の受験だというのにお産の手伝いです。

 当時は珍しい犬なので飼主を探すのは容易ではなく
予約のあった希望者に連絡をしても理由をつけて
予約は取り消され、途方にくれ犬の雑誌に広告を出しました。
当時のピレニーズは大きくて、経済、運動などの世話などに手がかかるので大変です。

1頭を我が家に残し、ベルと名付けました。
後の5頭の飼い主が決まるまでの心労は育てることより大変でした。
条件にかなった真の愛犬家を探すのは容易ではなく
やっと全部の飼い主が決まり安心したのは3カ月もたった頃でした。

 


W.G.CH レオの正姿

2014-10-12 12:00:19 | Weblog

  W.G.CH アドニス オブ ハウスハヤシダ   

超大型犬の牡犬を飼うなら訓練士をつけなければ女性には無理です」と言われた
獣医先生のお言葉の通りに、5か月のレオ君の引く力は強く
娘と二人でやっとリードを持って散歩をしました。(主人は犬は嫌いではないのですが、私が犬好きで飼った犬))
通って下さる訓練士さんは自分の飼い犬のように深い愛情をかけて、
真剣に運動をさせ、訓練をして下さいました。おかげでレオは写真のように
リードなしでも広い草地に命令通りのステイをします。
訓練資格を取得したので、命令がでるまで同じ場所を動きません。

犬の学者大野淳一先生が撮影され、沢山の犬の本に載せられ写真です。
体高は85センチあってJKCの方々にこんな大きいピレニーズは初めてといわれるほど
大きな犬でした。(大きいイギリス系の牝と大きいアメリカ系の子)
獣医先生と訓練士さんと私の3人が惜しみない情熱をかけて育て上げたのです。

夜の散歩はお話をしながら歩いて、月までも一緒に歩きたいと思ったものです。、

 

 


レオ君と歩く

2014-10-07 16:32:21 | Weblog

ピレニアンのロミを我が家に迎えた1970年に獣医先生に勧められ、初めてドッグショーに出しました。
何にも知らないショーの世界で、自分でハンドリングをしてCHを完成。

その頃アメリカから日本に初めてアメリカCHのマックがハウスユキエ犬舎に入舎。
私はショーに出たことで犬種にはスタンダードがあることが解り、母犬の不足の部分を改良し
少しでも理想の犬をブリードしたくマックと交配しました。

72年の2月に生まれた7頭の子犬のうち牡は1頭だけでその子を我が家に残しました。

レオと名付け、獣医師の勧めで訓練師さんを頼み順調に成長、ドッグショーに出てG CHを完成、
レオは雑誌の表紙やカレンダーなどのモデルになったりし楽しく充実した犬との日々を過ごしました。

 

 恥ずかしながら40年も昔の写真なので、レオ君(2歳)と歩いた幸せな時代の写真をアップしました。