NORD.CH.INT.ch.JKC.ch Vi"SKALY"S HIPPY HIPPY SHAJE
ワーキンググループ 1席に輝いたマティス
12月23日に、東京ビッグサイトで、FCI 東京インターナショナルドッグショーが開催され
いた。
ピレニーズの牡のBOBは、マティスで、グループ戦に出て
ワーキンググループの19犬種の厳しい戦いの中で
見事にグループ1席を獲得しました。
NORD.CH.INT.ch.JKC.ch Vi"SKALY"S HIPPY HIPPY SHAJE
ワーキンググループ 1席に輝いたマティス
12月23日に、東京ビッグサイトで、FCI 東京インターナショナルドッグショーが開催され
いた。
ピレニーズの牡のBOBは、マティスで、グループ戦に出て
ワーキンググループの19犬種の厳しい戦いの中で
見事にグループ1席を獲得しました。
立川から青梅線に乗って、沢井駅で降りると地続きに小沢酒造があります。
銘柄名「澤乃井」の敷地は渓谷に面していて、川べりの澤乃井園には売店や無料休憩所があって
自然を楽しみながらお食事が出来ます。
澤乃井の創業は元禄15年(1702年)で300年以上の歴史があります。
万里子さんが嫁いだ50余年前に遊びに行った頃は
北原白秋の碑があるだけで、広い広い芝生になっていました。
お庭の右の方に「ままごとや」と言う料亭があります。
小澤酒造の井戸水で作ったお豆腐料理が有名です。
川合玉堂は皇太后に絵を指南されていた関係で、
ままごとやに天皇陛下と皇后様をお迎えした時の素晴らしい写真があります。
この多摩川渓谷が東京都にあるのは信じられないほど大自然の偉大さに感動します。
川合玉堂 「行く春」 1916年 紙本彩色・屏風(6曲1双) 重要文化財
46年ぶりにこの この美術展で「行く春」に出会いました。
川合玉堂画伯のお孫さんの川合万里子さんと私は
女学校入学以来、隣の席で卒業まで5年間親友でした。
青梅市御岳に玉堂美術館が出来たのは、昭和36年ですが、37年に萬里子さんに誘われ
玉堂美術館に行きました。
万里子さんは御岳の隣駅、沢井の小沢酒造「澤の井」に嫁がれていました。
玉堂美術館の館長はお父様の川合修二氏、
美術館の中心に、「行く春」が飾られていて、お父様が私に、左の方の桜の花をさして
「この桜の花は私が描いたのですよ」と秘密のお話をしてくださいました。
今考えてみると
お父様は芸大在学中(1929年)帝展に初入選されています。(洋画)
絵の上手な息子がちょっと花を一つ描かせてもらったのを玉堂画伯は
楽しく見ていたのかな?と想像しました。
現在、川合玉堂美術館の館長さんは、小沢萬里子さんです。
「アッツ島玉砕」 1943年 193.5×259.5 cm
「美術にぶるっ」がテーマのこの美術展で、この戦争画の前に立ちドキッとしました。
昭和18年5月、アリューシャン諸島のアッツ島で行われた緒戦でもあり、
帝国陸軍が初めて全滅・・・・・玉砕した激戦です。
フランスに渡り裸婦像で一斉を風靡した藤田嗣治が、戦争中に沢山の戦争画を描いて
一億玉砕を唱える軍のプロバガンダの役割を担った絵画だと否定的な評価もされたそうです。
終戦後戦争画を描いた画家の中には画壇を去った人もいて、藤田嗣治がフランスに去ったのも
戦争画に対する批判があったことが要因になったと言われています。
「アッツ島玉砕」と「サイパン島同胞臣節を全うす」200号 (1945年5月の
2つの大きな絵の前で、凄惨な戦いが胸をつきさしました。
私は小学校の二年生で吉祥寺に住んでいて、南京陥落の祝福の提灯行列で歩きました。
南京陥落と大きな学声えおあげて校中の生徒が町を歩いたのです。
日本は世界一強いと子供達まで洗脳されていました。
小学校の時に油彩の「戦争絵画展」を見に父に連れて行かれたのを覚えています。
日本軍が大活躍をし勝利を得ている絵ばかりでした。
国宝。重要文化材(美術)
上村松園(1875~1949) 「母子」昭和9年10月の帝国美術院展出品作
東京近代美術館60周年記念特別展の
チケットとパンフレットの絵は、上村松園の 「母子」でした。
縦168.0センチ 横115.5センチの額装です。
大きな絵の前に立って見ると、小さな印刷物とは違った
格調高い絵から伝わるオーラに粛然とさせられました。
ほぼ等身大に描く明治期京都の町家の婦人の姿で、純真無垢な幼児と
母親の頼もしさが表現されているのです。
近くで見ると着衣の縞模様と、すだれの描写に見る
極細密な表現描線に驚きました。感動でした。
ユッカ欄は子供の時から庭の花壇にありました。
私が小学生の時に遊びで描いた庭の花壇の絵です。
しおり戸の右の方(東)に門があり、左の窓は応接間で左に部屋がつずきます。
コロちゃんの小屋がありますが、戦争前は犬は放し飼いの時代でした。
右の花壇の中央に小さなユッカ欄が描かれていますが、花が咲いてないときには
堅いとがった葉にふれると痛くて子供にとっては迷惑なものでしかありませんでした。
竹橋でユッカ蘭を見て、70年以上も前の絵を改めて眺めました。
戦争が始まると、花壇はもちろん、庭の芝生は、はがして畑にしたり、
防空壕を掘ったのです。
切ない思いでです。
11月22日に、東京国立近代美術館60周年記念特別展を観てきました。
東西線の竹橋駅を降りて、清水壕にかかる竹橋を渡ると
右のお壕の土手にユッカ蘭が見事に咲いているのでしばし見とれました。
ユッカ蘭は日本名で「竜舌蘭と言い、春と秋の二度咲きをします。
アメリカ大陸が原産で、日本へは明治中期に渡来しました。
私の育った家の花壇の中心になっていたのはユッカ蘭で、結婚してからの家にも
庭や玄関前にあったのでなじみの深い蘭です。
竹橋は、徳川氏の関東入国以前にすでに存在していた橋で、
竹を編んで渡した橋だったからと言われたとか。他の言われもあるようです。
主として大奥への通路に用いられたそうです。
竹橋を渡るとすぐ近代美術館があり、「美術にぶるっ」と題する
日本近代美術の100年のコレクションスペシャルを堪能しました。