つれづれ日記

心と目の記録

コロちゃんへの思いは永遠に

2023-06-30 15:31:52 | Weblog

コロちゃんは近くの画家の家の犬で

毎日我が家に遊びに来て可愛がるので自宅に帰らなくなり

画家の家から譲り受けたのです。

夏休みのラジオ体操にも連れて行き抱いたり走ったり、可愛くて

いつも一緒でした。

川越に疎開した時はハイヤーで抱っこしていったのですが

広島県への疎開はどうにもなりません。

身の千切れる思いで、コロちゃんとお別れした辛さ、今も胸が痛くなります。

東京は何度もの空襲で何万人の死者がでていて飼い犬や猫も亡くなったことでしょう。

動物園の像やライオンやヒョウは殺されました。

終戦になりコロちゃんを迎えに行き,亡くなったと聞いた時の

悲しさつらさ、言葉になりません。

 

 

 

 

 

 

 

 


戦時中,愛犬コロとの辛い別れ

2023-06-28 10:52:20 | Weblog

1941年12月に第二次世界大戦が勃発し

住んでいる東京の吉祥寺から

1945年埼玉県の川越市に疎開しました。

3月には東京大空襲があり、戦禍が激しくなり、

7月に父の故郷広島県に疎開しました。

東海道線に犬は乗せられず、

我が家の大事な大事なコロちゃんを信頼できる近所の人に預けるしかなく

つらいお別れをしました。

その時のコロちゃんの不安な、寂しげな瞳を今も忘れません。

8月に終戦となり、9月に帰郷し、早速、預けた川越のお宅に妹と迎えに行きました。

もう死にましたと言われ、愕然とした二人でした。

老齢ではあったけれど、たった2か月しか経っていないのに。

きっと急の別れで、食事もとれなく衰弱したのでしょう。

家族の宝であったコロちゃん、空襲警報が出れば

コロちゃんをすぐに抱いて防空壕にはいったのに。

つらい悲しい思い出です。

 


子供時代に描いた、庭に犬小屋がある絵

2023-06-23 10:14:31 | Weblog

90年余の長い人生を改めて調べていたら

早2週間も経ってしまいました。

 

小学校時代の絵は,修学旅行の絵を前に載せましたが

画用紙に描いた絵でパソコンに取り入れてあるのが一枚ありました。

小学四年生のころの絵で、遊びながら描いた乱暴な絵ですが

犬小屋があるので載せてみました。

我が家の庭の絵ですが、しおり戸の左は応接間で

窓の下にコロちゃんの犬小屋があります。

応接間の向こうが玄関で、右の松の木の右に門があります。

昔の犬小屋は小さいけれど、放し飼いが一般の時代で、

コロちゃんは濡れ縁に上がって、そこの箱の中でで寝ていました。

 

狆以外は犬は外飼いが一般の時代でしたから。

 

 


はるかな尾瀬にクマが

2023-06-09 10:49:07 | Weblog

先月、5月25日に、尾瀬沼で19年ぶりに

50代の男性がクマに出会い軽傷を負ったという記事を見ました。

 

私は1999年の6月に、東武デパートの友の会のバスツアーに妹と二人で参加

尾瀬に行き4月のブログに書いたばかりでした。

上は前に載せた絵ですが、燧が岳(ひうちがだけ)の前に広がる

尾瀬沼は,特別な雰囲気の世界でした。

 

東武デパートを出発してから、会津方面の

牧場や渓谷などを観光し、会津高原ホテルに到着しました

ホテルに一泊し、翌朝4時に起床、

7時に沼山峠の入り口から針葉樹林の森を登り、

沼山峠の展望台1785mから周りの山々を一望,感動し、

下って尾瀬沼東海岸につきました。

そこからスケッチし、作品にしたのが上の絵です。

その間に妹は沼を一周、クマが出るなんて考えもしませんでした。

 

 

 


日中戦争で旗行列をした子供たち

2023-06-03 17:04:27 | Weblog

1937年に8歳の私は日中戦争で、日本が勝利したとき、

祝賀の旗行列をして町内を歩きました。

そして小学六年生の12月8日に第二次世界大戦が勃発しました.

下は私が14歳の時描いた一枚の戦争の絵です。

15歳の1944年7月まで女学校では、農家の農作業手伝いなどが多く

勉強は少しばかりで、7月より勤労動員で飛行機工場で働きました。

戦中戦後の子供たちを考えると、気が重くなるばかりです。