海ゆかばの歌を歌ったのは何十年ぶりだったでしょうか。
グランドピアノの音は重く胸に沁み込みます。
戦争中、勤労動員で中学、女学生はお国のために勉強はしないで働きました。
女学校3年の時に昭和飛行機工場に動員され
空襲警報が鳴ると防空壕に入りました。
爆撃機の音が近づくと、工場が襲撃されたら私たちの命は終わりと思い
覚悟をして皆で「海ゆかば」を歌いました。
その時の防空壕の中での光景がはっきりと目に浮かびます。
上は終戦後発行された雑誌
海ゆかばの歌詞 一番
海行かば 水漬屍 山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なれ かえりみはせじ
歌詞は万葉集から採られたもので、下が歌詞の意味です。
海で戦って死ねば、死体は海水につかって浮かぶだろう
山で戦って死ねば、打ち捨てられた死体は草に覆われるだろう
天皇のおそばで死ぬのだから、決して後悔はしないぞ
この歌を意味も考えず何十回と歌っていた女学生でした。
出征兵士を送る歌として歌われましたが、
国民の戦闘意欲を高揚させるために作られた信時潔氏の曲で
大本営の発表を流す際に使われ、
戦果を誇るときには「軍艦行進曲」 玉砕を伝えるときには「海ゆかば」が用いられ
私たちの耳に今でも深く残っているのです。