つれづれ日記

心と目の記録

五味川純平先生と奥様

2010-02-09 23:05:16 | Weblog

 五味川先生と奥様

人生は運と縁と云いますが、1970年に当時日本ではは珍犬だったピレニーズと巡り合い、本当に大勢の方とのご縁が出来ました。
1976年にピレニーズのご縁で五味川先生ご夫妻と親しくさせていただき、私はお誕生日にお宅に招かれて、フランス料理のフルコースをごちそうになりました。
奥様の手料理は玄人のように御上手で、お客様を迎えるのが大好きでした。
キャビア、カラスミ、海老など9種類のオードブルから始まり、コンソメの冷スープ次々とでる11品のお料理に眼を見張りました。
お三味線を習ってらして、日本舞踊や地唄舞、こうたの会などに連れて行ってくださいました。
写真は1977年にある会にお出でになったとき楽屋で私が写したのです。
その翌年、1978年に先生は喉頭がんのため声帯を失われました。
しかし特別な発声で何とか言葉を伝えられるようにはなられましたが
1981年に奥様が膵臓癌で亡くなられたのです。
お手伝いさんとお暮らしのときまでは友人と伺いましたが、その後、「人間の条件」の中の美千子さんと娘さんと一緒に住まわれそれからはお会いしてませんでした。

、先生が1948年に引き上げてきて、妻と娘と再会しながら、最後に大連時代に親しくなったヤス恵夫人が引き上げてきて家庭を築いたのですから、小説より奇なりです。ヤス恵夫人は日本に系類は一人も居なく、背丈ほどのリュックに詰めるだけのものを詰めて、引き上げ船で日本に着き、先生が迎えてくれた時の感動のお話を聞いたことがあります。
先生が「人間の条件」を書いている時代は奥様が洋裁で家計を支えたそうです。



久保田一竹先生

2010-02-09 21:48:24 | Weblog

  久保田一竹 作  辻が花染め

一竹先生は本当に長い年月をかけて室町時代の辻が花染めを研究され、過去の模倣ではなく、心血を注いで、独自の技法で表現して、幽玄華麗な染物の作品に仕上げ、世界中の人々に感動を与えるのだと思います。
小さな細かい模様を描き、その一つ一つに色をつけて、糸で縫い絞るのですから、想像に絶する気の遠くなる仕事です。
絵具で絵を描くようにやり直しはきかないわけですし、キャンバスに立てて眺めながら描けるわけではないので、一枚の着物を染めあげて、縫い合わせて仕上げる過程がどんなものか・・・。
「理想の辻が花をと狂ったように明け暮れ、時間が惜しいばかりに生活の基盤であった手描友禅さえも捨て、家族を極貧に耐えさせ、辻が花の鬼と化したのです。・・・」
先生のメッセージで読みました。
作品を全部売れば経済的に恵まれたのでしょうが、立派な作品が出来上がると手放すことは出来なかったようです。美術館を建設の話が出たときに、「250万の蓄えしかなかった」そうです。天運に恵まれ、力ある大きな知己に助けられ、雄大な富士と河口湖を望む自然林の中に、美術館が建設されたのです。