つれづれ日記

心と目の記録

55年前、氷川丸最後の航海を見送った記憶

2015-06-26 17:30:34 | Weblog

        1960年8月27日  氷川丸最後の航海の風景

 一昨日夜、妹からのメールで、明日からアメリカに行くのでちょっと留守になると知らせが入りました。
ふと脳裏に浮かんだのは、55年前に氷川丸でフルブライト留学生として、アメリカに発つ妹を見送った時のことでした。
[氷川丸最後の航海] を検索したら当日の光景の写真があったのです。

私が氷川丸のデッキの上で写した写真などは残っていますが、こんなに大勢の人たちの見送りがあった様子には驚きました。この中に私もいたのですから。

 氷川丸は1930年にシアトル航路用に豪華客船として建造され,太平洋戦争前には秩父宮ご夫妻、チャップリンをはじめ一万人が乗船しました。

戦時中は海軍に徴用されて病院船となり,三度の触雷でも沈没を免れ、一万トン以上の客船で残っていたのは氷川丸だけだったそうです。

戦後も病院船のまま復員輸送に従事した後、復元工事で貨客船に戻り昭和28年には内装をアメリカンスタイルに改造、シアトル航路に復帰しました。一か月に一回の割での航海で、主に日本とアメリカの交換留学生の為に使われたのだそうです。

昭和35年、船齢30年に達した氷川丸は8月27日に285人の乗客を乗せて最後の航海に出帆したのです。

2008年ノーベル化学賞を受賞した下村脩氏もこの船に乗船されていました。

その年に、妹の夫も留学し、大学院で学んだ二人は大学の先生として人生を過ごしました。


外国旅行に出るときにはいつもこれが最後だといいながら
80歳過ぎた二人はアメリカ東部の3都市への旅行に出ました。

氷川丸は最後の航海の後、横浜港山下公園先に
母港のシンボルとして船齢85歳の今も繋留保存されtいます。

 

 


ピレニアン マウンテンドッグと出会って45年の歳月が

2015-06-21 17:50:00 | Weblog

  フランスの古い絵ハガキ

年を重ねると考えることが大きく変わります。
自分の人生を振り返って、長い年月の思い出を手繰り、しみじみ考えます。

ピレニーズに出会って45年、頭と心の中にはいつもピレニーズが鎮座しています。
厳しいお姑女さんと同居の6人家族で本当にいろんなことがありましたが
ピレニーズが原動力になってくれ、くよくよせず前向きに明るく生きてこられました。

昨年から親しかった友人が3人も亡くなり、若い知人がご主人をなくされたり、
離婚したりのお知らせに、人生について考えることが多くなりました。

健康でいられることに改めて感謝の気持ちです。


八ヶ岳連峰と蓼科山

2015-06-10 17:44:45 | Weblog

ホテルのラウンジの窓に広がる雄大な山やま、八ヶ岳連峰と諏訪富士と呼ばれる蓼科山です。披露宴が終わって 18時51分 撮影

6月6日に車山のホテルで孫の結婚式があり行ってまいりました。

海抜1500メートルにある教会で式を挙げ、ホテルでの披露宴は
予想以上に神聖で暖かい感動をうけ、有意義な2日間を過ごしました。

車山は長野県茅野市と諏訪市の境目に位置する山で霧ケ峰の最高峰は1925メートルです。
車山一帯は車山高原とよばれておりさまざまな小動物や草花を見ることができ
レジャースポットになっています。
ちょうど朱赤色の蓮華つつじが緑のキャンバスに美しく、目を楽しませてくれました。