つれづれ日記

心と目の記録

野鳥は可愛いけれど

2014-02-27 15:30:40 | Weblog

金柑を食べるヒヨドリ

ムクドリが食べた柿の木の隣に、大きな金柑の木があり、現在鈴なりです。
ヒヨドリは柿よりも柑橘類を好むと云われますが
偶然その金柑を獲ったヒヨドリが瓦屋根の上で口にくわえているのを発見しました。
大きさはムクドリと同じくらいですが、撮った写真をよく見ると全く違い可愛いかんじです。

JRの津田沼駅付近はムクドリの大群がいて有名です。
津田沼に買い物に行った時、駅前の人々が空を見上げていました。
200羽以上のムクドリの大群が乱舞していたのです。恐ろしいようです。
思わず1960年代に見たヒッチコックの「鳥」の映画を思い出しました。

千葉市会議員の町づくりのHPにムクドリに対する対策が出ていました。
その中に
「たとえば、津田沼に1万羽いたムクドリを追い払ったら、市川市に2千羽、
北習志野に7千羽が移動し、さらに北習志野から高値公団に。
以前は稲毛駅前に集中したいたのでそこのケヤキを剪定したら
裏手のマンションに移り・・・という風にムクドリと人間のイタチごっこです。」と。

この辺りはムクドリにとって住みよい環境のようです。





冬の野鳥

2014-02-26 10:47:38 | Weblog

お隣の屋根のムクドリ 1月10日

昨年の秋お隣の庭の大きな柿の木に実がたわわになり
全部野鳥が御馳走になり毎日賑やかでした。

  2013年12月21日撮影
御家族がもいだ様子はなく、最後の1個の熟れた柿の実は1月10日
2羽のムクドリが喧嘩をして写真のムクドリがとって屋根の上で食べているところです。

 

 


大雪の後で

2014-02-19 10:14:53 | Weblog

毎年冬に会えるオオバン

冬になると近くの海老川に大きな黒い鳥が番いで泳いでいます。

オオバンはクイナ科の鳥で32~39㎝の大きな鳥で、眼は赤く
おっとりしていて可愛い鳥です。

豪雪のあったあとの16日、ベランダから真っ白い富士山を仰ぎ
夕方は夕日に美しく色どられた富士山をうっとり眺めました。

富士山の前の山波は丹沢山(脈)です。標高1567mで丹沢大山国定公園になっています。

ここから富士山までどのくらいの距離があるのでしょうか。

     2月16日朝8時18分

       2月16日Pm5時24分


2014FCI神奈川インター の ピレニーズ

2014-02-12 18:19:03 | Weblog

  2014年FCI神奈川インターナショナルドッグショーが
  2月9日にパシフィコ横浜で開催され、全犬種1052 頭出陳されました。
  ピレニーズのブリードジャッジはアメリカからのベテー ショー パトリックさんでした。

       牡の Chクラスが並ぶ左から2頭目がBOBに選出された マティス です。

        牡 BOB  NORD.Ch.FCI.Ch.VISKALY'S HIPPY HIPPY SHAKE
                                呼名 マティス    オーナー  大里 和江

     牝 BOB  Ch. CELEBRATE MIYAZAKI JP PARADAISE QUEEN
                                呼名  マドンナ      オーナー  田村 博文

 
   ワーキング グループのジャッジは、コロンビアからの クララ イネス プリドさんで
   牡のBOBを獲ったマティスはワーキンググループで2席を受賞しました。
   下の写真はクララさんの審査を受けてているマティスです。

 

 牝のマドンナは後4ヶ月で8歳になるのに見事BOB頂きました。

 

 

 


私の描いた絵巻物より

2014-02-05 11:35:30 | Weblog

電車の切符を買う人々  1941年

絵巻物はその時代の背景や風俗が分かり、写真がなかった昔の貴重な記録になっています。
歴史的なものではありませんが、私が小学校の時に描いた絵巻物のこの風景は
当時の服装を見ることができます。

夏の父の外出着は麻の上下にパナマ帽でした。(ステッキは使わず、タバコもすいませんでしたが)
当時の主婦は着物姿で大人を描くときはこのような服装だったのです。
若い女性は私の憧れの提灯袖のブラウスにフレアースカートだったので、描いたのでしょう。
若い男性は学生だと思います。
夏休みに逗子の海に行った時の絵巻きもので、母が手紙を書く巻紙を貰い
海に行った時の絵を15枚位入れてあり、この絵は
吉祥寺の駅かと思います。

この後に戦争がはじまり、女性はみなもんぺ姿になりました。


酒呑童子絵巻きー2

2014-02-02 10:16:03 | Weblog

 上の絵は酒呑童子の首を引っ提げて都に凱旋,多くの人に讃えられたという絵です。。

絵巻きの物語は、寛仁元年(1018年)帝から酒呑童子討伐の勅命を受けた
源頼光(948年―1021年)と家来は山伏に姿を変え
童子の館に向かう途中、氏神の化身と出会い、毒の酒と魔力を防ぐ兜を授かりました。
館につくと酒呑童子が人の姿に化けて登場し、山伏ならば身を打つ敵でないと
人肉や血の酒でもてなしました。

その絵が凄いのですが、ここでは載せられません。
さらった娘の肢だけ大きなまな板に乗せられていて
腿の方からスライスしてもてなすのです。

頼光らは正体がばれないよう、美味しそうにそれを食べ血のお酒を飲みます。

そして氏神から授かった毒酒を童子や家来たちにすすめ
毒がまわったのを機に童子のその首を1刀両断

首の跳んだその絵はまた凄いのです。