つれづれ日記

心と目の記録

30年前のパイロット万年筆、

2016-03-27 10:43:01 | Weblog

先日上の弟の絵のグループ展が京橋のK画廊であるので

地図を見ると同じ通りの角、京橋駅前にパイロットコーポレーション本社のビルがあり

2階は憧れのペン・ミュージアムになっています。

   引き出しから出てきた30年前の(1985年9月製造)  パイロット カスタム  (調整後に撮影)

 
今年になって引き出しから見つけたパイロットの万年筆は誰が使っていたのか、いつ頃の物か知りたく
て、パソコンでいくら検索しても同じものが見つからず、とても気になっていましたのでペン ミユウジアムで診てもらえる嬉しさでわくわくしながら画廊に行く前に尋ねました。

私が使っているモンブランのペン先より、パイロットのペン先が私の字には合うので調整と氏素性を調べるようをお願いし、預けて帰りに受けとりました。

資料館の管理番号のついた1枚のコピーの資料を頂きました。1985年に製造されたパイロット・カスタムで、外装材質、商品の特長、細かい説明が書いてあります。

分解して綺麗になった万年筆を受け取り、書いてみてペン先を私の希望通りにしてくれるといわれ、インクがたっぷり出るようにと言うと職人さんが調整してくれ、払った費用は僅か1000円でした。

 

                 私用に調整されたペン先です

書き心地が良くてノートにペンがすらすらと走って、 思い出の記など簡単にかけてしまいます。

 

その日画廊に集まった兄弟4人は絵をじっくり見て絵について話し合いました。3つ下の妹も今絵を描いているので、皆絵のお話には熱が入ります。

、昼食を取り、その後喫茶店で、両親の事から自分たちの終活の話まで、思い存分話あい楽しい時を過ごしました。

来年の事は解らない年齢です。3人は80歳以上で下の弟を入れ平均すると82歳ですから。

楽しい意義ある1日でした。

 


クラフツ・ドッグショー2016年 ピレニーズのBOB

2016-03-21 10:38:19 | Weblog

世界三大のドッグショーの一つ「クラフツ ドッグショー」が3月10日から13日まで

イギリスのバーミンガムで開催されました。

ピレニーズは、昨年のBOBを受賞した呼び名「エロス」が、今年もBOBに輝きました

     BOB           Dog    SEU/DKU/FINU/NOU/NORDUCH VI'SKALY'S HARLEM SHAKE 

                                      Owner: MISS N DANIELSON

                Bitch    SWE/DAN CH VI'SKLY'S KA ATA KILLA QUI-MU

                                      Owner: MI I & MISS P MITTYSSON - SANDSTROM & SANDSTROM

  ピレニーズの99頭の出陳犬の中に、スウェーデンのビスカリーの犬が5頭出陳されていましたが、牡と雌のトップをビスカリーの犬が受賞したのです。

優勝した ビスカリー ハーレム シェイク、 呼び名 エロスは、昨年はブリーダーのパニーラさんがハンドリングしましたが、

今年はオーナーのニナさんがハンドリングをしてBOBを受賞したのでどれほどの喜びだったことでしょう。

エロスの両親の3代前の両方に、名犬スピリット アラスカの血が入っています。

スピリットは、マティスの父親ですから何となく風貌が似ているように見えます。


東京大空襲、1945年の3月10日

2016-03-16 11:52:39 | Weblog

  頂いて3年目の胡蝶蘭の花が今年も咲いて部屋の中を明るい雰囲気してくれます


3月は桃の節句でピンク色の月のイメージがあります。

しかし3月10日は私にとって厳粛に受けとめ祈りをささげる日なのです。

1945年の3月10日、深夜0時8分、東京の下町はアメリカ軍の爆撃機344機により

焼夷弾爆撃がありました。

当時15歳の私は疎開先の川越の家の庭に出て東京の空を見ていました。

空には沢山の照明弾が浮いていて、昼間のように明るく、焼夷弾が雨あられのように激しく降り落ちていました。

死者は10万人、消失家屋は27万戸という、第二次世界大戦で最大の被害が出たのです。

戦闘に関係のない民間人を狙った史上まれにみる蛮行であったのです。

凄惨な焦熱地獄が書かれているサイトがありました。

参考文献は 「東京大空襲」 早乙女勝之 岩浪新書 

 http://www.cosmos.zaq.jp/t_rex/works/works_8_l.html

 


ピレニーズの第一回世界会議を思い出して

2016-03-06 13:37:18 | Weblog

1996年8月グレートピレニーズ第一回世界会議の会場の様子です。

8月3日ウォーリック大学の宿舎に着いた私たちは 、午後からウォーリック城を見学し、夜6時からの晩餐会に参加しました。

9カ国から集まった120人以上の、ピレニアン熱に満ちた宴会は盛会に終わりました。

翌日4日の9時から、ピレ二ーズ史上初めて世界会議が、大学の芸術センターホールで開催されました。

英、米、仏の代表者を始め、フィンランド、デンマーク、オーストラリアの代表の話、獣医師のアレルギーやホルモンの話など、ピレニーズに関する広い分野についての講義が5時まであり、後は質疑応答の時間です。フランスとアメリカのスタンダードの違いで、アメリカ人の質問は活発で予定時間をオーバーし、午後7時に終了しました。

会議が終わった後、何百年も古いと言われるパブレストランにバスで移動、80人位が参加して最後の晩餐会が開かれて終わりとなりました。イギリスのクラブの方々のお世話で、すべて盛会におわり感謝です。

この世界会議がピレニーズの今後の発展に寄与することは大きいと心に受け止めました。

あれから、はや20年の歳月が流れましたが生涯忘れられない思い出です。

ロンドンで求めた黒軸のモンブランの万年筆は、まだあのままの若さでて、私の手になってくれています。