つれづれ日記

心と目の記録

76年前の帰京の記憶

2021-07-26 10:08:15 | Weblog

野良のシロさんも暑いようー

 

1945年7月24日、父の故郷広島県の山村に疎開した頃の日記を読み返しました。

8月に終戦を迎え、9月24日に父は重要な会議に出るため上京するので

早く東京に帰り学校に行きたい私と妹は一緒に帰京が決まりました。

9月17日枕崎台風が来襲し、広島では死亡者と行方不明者2000名以上の犠牲者が出ました。

山陽本線の乗車駅の川内の駅までの道路は不通となり、本郷駅まで32キロの山坂の道を歩いたのです。

二人の青年に重い荷物を持ってもらいましたが、リュックを背負って必死の思いで歩いたのです。

台風で何本もの石の橋が流され、その川には板が渡されていました。

地より3メートルの下を流れている5メートルの幅の川の

鉄筋の橋が流されて一枚の板がかけてありました。

絶壁といってよいほどの3メートルの岩石の壁を伝って下り

川を渡ることができました。

本郷の駅前の宿に泊まり24日の始発の汽車に乗れたのです。

 

 

 

 

 

 


戦前の日記帳より

2021-07-18 11:08:46 | Weblog

私の半生のライフワークになったピレニーズのコレクション

7月16日に満○○歳になった私は長い人世を振り返り

昔の日記を読んでみたり、アルバムを見て回想にふけるばかりです。

 

当時14~15歳の少女が体験した戦前戦後の生活は今の人たちには想像もつかないことでしょう。

戦火が激しくなり中学生、女学生は学業をせず勤労動員で軍需工場で働きました。

1944年7月29日の日記帳に

昭和飛行機工業の入所式があり、作業着の配給がありました。

30日からハンマーの振り上げの実習です。

ピーピーという笛に合わせてハンマーを大振りするのです。

ダグラス輸送機を作る最低の基本の作業ですが、初めての体験で一生懸命いたしました。

日記帳には空襲のことが詳しく書かれています。

翌年疎開した川越から見た、東京大空襲の真っ赤な空、

7月に広島県の父の故郷の山村に再疎開しました。

家にいて原子爆弾の光を見、大地が揺れた記憶は生涯忘れられません。


可愛い三毛さん

2021-07-11 11:33:58 | Weblog

住んでいるマンションの敷地内に住んでいる野良猫の「三毛さん」

犬も猫も大好きな私は近所の野良ネコさんに会うとお話をします。

愛猫家の多いこの辺の野良さんは食事には何の心配もなく

自分を見つめてもらうだけで満足嬉しそうです。

今一番親しい猫の名前は三毛さんで、私たちの夕方の外出の時間に

お玄関の前で待っています。

帰ってくるとまた待っているのでちょっと遊んで楽しみます。

私が手を出しているところを娘が撮った画像ですが

この表情は何を考えているのでしょうか。

仰向けになった猫のお腹をさすってあげるととても喜びます。

 

若いころピレニーズのお散歩に、野良出身のわが家のシロちゃんが一緒に歩き

見た人が驚いたものです。

 

 

 


英国のピレニアン オルデッサ犬舎訪問

2021-07-01 15:57:58 | Weblog

訪英の続きです。

1996年7月29日はロンドンより汽車で西に一時間余、イギリス海峡近くの

サウザンプトンのオルデッサ犬舎を訪問しました。

1996年7月、ノッテンガムで開催された 

イギリスのピレ二アンのクラブの60周年記念のチャンピオン・シップ・ショーで

雌犬 Ordessa Moolight Quick Siver が

ベスト・パピー・イン・ショーを獲得し、

犬舎主のダウデル夫人はご満悦でした。

一万坪以上ある広大な敷地の中にある犬舎には10頭以上のピレニーズがいました。

初めての日本人の訪問に手作りのケーキやサンドウイッチなどで歓待して下さり

楽しいピレニーズとの時を過ごしました。