Runrun日記

最近読んだ本ーこころに響く方丈記

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 公園の散歩道。ニセアカシアが咲き出しました。池の際のフェンスに、カワセミがとまっていました。池の中の小魚を狙っているのだそうです。


 NHKの「知恵泉」というテレビ番組で「鴨長明ひとりを愉しむ〜不条理な世を生きる極意」というのがありました。八方塞がりな時代にひとりを実践し豊かに生きた達人が鴨長明だったというのです。

木村耕一 作 『こころに響く方丈記 鴨長明さんの弾き語り』 万年堂出版

 鴨長明(1155年-1216年)の生きた平安末期から鎌倉初期の京都は、火災、竜巻、地震などの災害が多く、飢餓や政変など不安に満ちた時代だったと書いて有りました。
 1177年、安元の大火で、都の1/3が焼け男女死ぬる者数千人とありました。1180年には、治承の辻風と呼ばれる竜巻が都を襲いました。この2か月後、清盛は福原へ遷都します。この遷都でも都の人々は疲弊してしまいます。
 翌年の1181年、ひでり、大風、洪水などで収穫が出来ず、養和の飢饉と呼ばれる大飢饉が起きました。疫病も発生し、飢餓状態になりました。死臭や悪臭が漂い、都の中心部だけで4万2300もの遺体があったと記されています。
 源氏が壇ノ浦の戦いで勝利した数カ月後に大地震が都を襲いました。1185年の文治地震です。「恐れの中に恐るべかりけるは、地震(ない)なりけりとこそ覚え侍りしか。」と書いています。

 冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし。」は、災害が続発し、形あるものは無くなるという、無常の世界を現わしているそうです。

 鴨長明は、平安時代の金持ちのお坊ちゃまでしたが、父親が亡くなると後ろ盾がいなくなり、権力争いに敗れて引きこもりになって行くのですね。「五十の春を迎えて、家を出て、世を背けり。・・・むなしく大原山の雲に臥して、また、五かえりの春秋をなん経にける。」 移動式の小屋をもってあちこちに行ったらしい。そして日野山に落ち着いた。一丈(3m)四方の小さな小屋と書いてあります。

 「阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢をかき、前に法花経を置けり。」 部屋の棚には、和歌や音楽に関する書、琴と琵琶が立てかけてあります。

 春は藤波を見る。紫雲のごとくして西方ににおう。夏はほととぎすを聞く。語らうごとに、死出の山路をちぎる。秋はひぐらしの声、耳に満てり。うつせみの世をかなしむかと聞こゆ。冬は雪をあわれぶ。積もり消ゆるさま、罪障にたとえつべし。

 やっぱり暗いよね!

 念仏や読経にあきた時は、みずから休み、みずからおこたると書いています。そうでなくっちゃ! ひとりで山で暮らし、花や鳥を愛でて暮らす日々の楽しみを書いていますが・・・。これが、ひとりを実践し豊かに生きた達人なんだろうか?
 木の実や野草を拾い、お腹は満ちたのだろうか? 金持ちのお坊ちゃまなのだから、誰かが助けてくれたに違いない。しかし、人生、最後はかくあるべきか。

 公園の藤の花は満開です。


 

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