Runrun日記

最近読んだ本ー最後の努力

 時々 雪、みぞれ 

塩野七生 著 「ローマ人の物語 35~37 最後の努力[上・中・下]」 新潮文庫

この巻では、紀元284年から337年までの53年間の事が描かれています。
この時代は、古代ローマ帝国がローマらしさを失っていった時代なのでしょうか?

古代ローマの政体は、王政⇒共和政⇒初期・中期帝政(元首政)⇒後期帝政(絶対君主政)と続いたそうです。
崩壊の危機のローマを救ったのは、果敢に積極戦法を駆使した、アウレリアヌスやプロブスのような軍人皇帝でしたが、些細な誤解や不満で兵士に殺されてしまいます。後を引き継いだ、ディオクレティアヌスは、それを恐れ皇帝像を「市民中の第一人者」から「市民とはかけ離れた所にあって支配する者」に変えていきました。近づきがたい「絶対君主」となり暗殺され難くした????
三世紀後半から四世紀初めの皇帝
在位皇帝在位期間死因
284-305年ディオクレティアヌス21年不明
306-337年コンスタンティヌス31年病死

迷走からの脱出の為、まず『二頭制』⇒『四頭制』による統治をしました。帝国の東西にそれぞれ正帝と副帝をたて、防衛面は四者それぞれが責任を分担しました。帝国全体の政治はあくまでも第一人者であるディオクレティアヌスが行いました。ライン川やドナウ河を越えてやってくる蛮族や東側のペルシャの侵入阻止を、4人で分担し、とりあえず成功したようです。
軍事力が整備され、北からの蛮族の侵入を押し返すことが出来ました。乱れていた帝国内の治安も確保できるようになりました。ペルシャとの戦いも勝利しました。

ところが、ディオクレティアヌスは305年、とっとと引退してしまいます。第二次の『四頭制』が始まりますがうまくいきません。ディオクレティアヌスという、カリスマ的な第一人者がいて初めて四頭制は成り立っていたのですね。カリスマが居なくなると、権力闘争が始まってしまいます。

長い内戦状況の後、324年、コンスタンティヌスが勝ち抜き、新都ビザンティウム(今のイスタンブール)を建設します。
ムムム・・・ローマはどうなってしまうのだ!!!!

ディオクレティアヌスの頃から、すでにローマらしさは無くなっていました。皇帝たちはローマで政治をせず、それぞれの拠点で政治していました。「市民中の第一人者」ではないので、元老院に法令の承認を得る事もない!?
軍隊も、重装歩兵中心の体制から、騎馬兵中心に変わります。線で結ばれていたライン・ドナウ河の防衛線も機能しなくなり、蛮族に攻め込まれてから騎馬兵で追い払うようになりました。
312年、『ミラノ勅令』が公布され、キリスト教が公認されます。ローマは多神教で、いかなる宗教も「国法に反しない限り」信仰は自由というはずだったのが、『ミラノ勅令』では、この一言を除いてしまった。
ビザンティウムでは、ローマの神々は祭られず、次第にキリスト化していきます!!!!

私は、一神教は好きになれません!!
現在の中東でのいざこざは、全てこの一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)から発生しているのだと思います。いかなる宗教を信じるかは、全く自由で有るべきで、それを否定したり、それで政治をしようとしてはなりません。古代ローマは、多神教で政教分離の帝国でした。そしていかなる宗教にも寛容であったからこそ、大きな帝国に成長できたのだと思います。ユダヤ教は、ローマの国法に反して、ローマ帝国内にユダヤ教の国を作ろうとしました。その為、イエレサレムから追われ離散させられてしまいました。

コンスタンティヌスは、キリスト教を公認したばかりか、ローマのキリスト化を図っていきます。
軍人皇帝たちは、人により推奨されて皇帝になったから、簡単にリコールされて殺されてしまった。神に決められた皇帝ならばリコールされようがないと思ったのでしょうか?

この小説のお気に入り度:★★★☆☆

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