いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

世界最高の日本文学 許光俊著

2009年01月05日 | その他
正月の三日間も瞬く間に過ぎてしまいました。
今年は丑年、慌しく動き回るねずみから大きな牛へバトンタッチでどっしり構えたいところです。

さて、今年最初の本は許光俊氏の「世界最高の日本文学」<こんなにすごい小説があった>です。去年の秋ごろ一度、読み始めたのですが紹介されていた小説のいくつかを読んだ後、再び、年末から新幹線などでの移動の時に読んでいました。

人の感受性はもちろんそれぞれ違います。でも例えば同じ小説を読んだ時、受ける印象は、100%違うことはほとんどなく、大雑把に言えば1%から99%の類似点はあるかなという気がします。そういう観点から著者の文学観にどこまで共感できるかなと思いながら読み進めていきました。

この本に出てくる小説はすべて明治、大正、昭和の作品です。どれもそれなりに世代を超えて読み継がれてきたものです。
でも「有名な文豪の作品ばかりではありません。全く知らなかった小説もありました。この本に紹介されているあまり有名でない小説の多くはネット上の青空文庫に掲載されています。またニンテンドーのDS文学全集の中にもいくつかありました。

さて、話を文学の方に戻します。
紹介された小説の最初は「岡本かの子」の作品、そして最後も「岡本かの子」でした。

私も高校生くらいの時に「岡本かの子」の小説は読んだ記憶がありましたが(「老妓抄」の方はDS文学全集の中にあります。)当時の私はかの子自身の生き方をふしだらと思いちょっと敬遠していました。改めて読んでみてもっとも許氏に共感できたのは岡本かの子の小説2つについてかもしれないと思いました。なんとも言い難い人生の「せつなさ」がかの子文学のすごいところかなと思います。敢えて言えば、読者が想像力をどれだけ膨らませることができるかということなんでしょうけれど・・・。

三島由紀夫の小説が若い人々に人気があるのを知っていましたが、「憂国」を好きというのはちょっと驚きでした。私自身の印象はけっして良くありませんでしたから。「金閣寺」や「潮騒」、「午後の曳航」「仮面の告白」などを読んだ直後に三島由紀夫氏はあのような死を遂げてしまって当時高校生の私は驚きと当惑で三島文学を以後20年近く遠ざけてしまっていました。「憂国」を読んだときの私は歳をとりすぎて若いときのようなストレートな感受性は失っていました。
私にとっては共感はできないけれど不思議な作家「三島由紀夫」、あの事件以来38年間、友人ともあまり話題にすることがなかった三島文学でしたが、許氏の人間くさい三島由紀夫論がなんだかとても新鮮でした。

これはまだ読んでいませんが怖いもの見たさと気味悪さでためらい中なのが、江戸川乱歩の「芋虫」。泉鏡花の「外科室」と嘉村磯多の「業苦」、敢えて川端康成の「眠れる美女」を取り上げられた点は、何だか「ああこれは男の視点かなあ」と感じるところでした。

もしかしたら知らずにいたり再び読むことはなかったりだったかもしれない日本文学再発見っていうところでしょうか。