いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

納棺夫日記  青木新門 著

2010年03月09日 | その他
先日、去年話題になった映画「おくりびと」を見ました。二度目です。最初に見た時、率直に「いい映画だなあ」と思ったので、もう一度見たくなり、DVDで見ました。何だか急に原作も読んでみたくなり早速購入して読みました。映画とずいぶん雰囲気は違いますが、ここしばらく、「忙しい!」を連発し、バタバタと動き回っていた私には、とても静かな気持ちに導かれるような貴重な読書の時間となりました。

これは、去年、アカデミー賞の外国語映画賞を受賞して話題になった映画「おくりびと」の原作と言われています。(但し、『ウィキペディア(Wikipedia)』には、「1996年、本木雅弘が『納棺夫日記』を読んで感銘を受け、青木の自宅を訪問し、一旦は本木を主演とすることを条件に映画化を許可するものの、映画の脚本の結末が小説と異なることを理由に、映画の原作とすることを拒否する。映画『おくりびと』は、青木の意向により『納棺夫日記』を原作として製作していない。」とあります。)

「納棺夫」とは、永らく冠婚葬祭会社で死者を棺に納める仕事に従事した著者の造語なのだそうです。

第一章を読み始めるとすぐにこの本の主題とは直接関係ありませんが、私の好きな作家の一人「吉村昭」氏と妻の「津村節子」氏の名前が出てきます。これもまた何かもう一つ別の発見をしたような気持ちになりながら読み進めていきました。何故なら、青木氏は、吉村夫妻の一言で小説家を志望したことで、結果的には、納棺の仕事へ導かれる道を作ることになってしまったかもしれないからです。

喫茶店を経営する傍ら小説家を目指していた青木氏は、店の経営に失敗し、大きな負債をかかえます。我が子の為に、生きていくために 湯灌、納棺の仕事に携わることになった青木氏はやがて周囲の偏見や差別に見舞われます。

(映画ではモックンが演じるオーケストラのチェロ奏者が運営資金に困ったオーナーから、オーケストラ解散を言い渡され失職し、納棺の仕事に就くところからストーリーが展開します。)

葬儀社から呼ばれると集まった死者の家族と親族の前で、死んだ人に化粧をし、絹の白帷子を着せて棺に納める仕事・・・。妻にまでけがらわしいと叫ばれてしまいます。

この本では古代から日本に根付くハレやケガレについての考え方が、丁寧に説明されています。そしてやがて厳かな人間の生と死の根源へ導かれていくような気がします。

偏見から尊敬へ・・・

第三章の「ひかりといのち」の不思議な光については、印象的です。

率直に言って余計な修飾語を並べるより、第一印象はひと言「きれいな文章だなあ。」と思いました。それは決して汚いことが書いてないとか、きれいごとばかり並べてあるとかそういうものではありません。

死者を見つめながら生を見つめていくといつもは忘れているとても大切なものが見えてくるような・・・。

もう二十年以上前のことですが、母が亡くなった時、私は棺に納められた母に最後の口紅をさしました。癌の苦しみから開放された母は何だかとても穏やかな顔をしていました。

この世に生きる私たちにとって、近い親族の死は、痛切です。


時空を超えてずうっと昔の大切な忘れ物を取り返しにいくいような・・・。とても静かな余韻が広がる読後感でした。