本日の当てもない町歩き、歩を東南へ進めることにしましょう。
我が町月島から、ゆるい坂道を行くと、まず相生橋が見えてきます。
橋を渡ると重要文化財「明治丸」のマストが見える商船大学。
かまわず歩めば、門前仲町はすぐですね。
江戸時代、辰巳芸者で有名なこの地は、富岡八幡宮や深川不動の門前町として栄え、古石場あたりのアヒル(Prostitute)と一戦交える話など草双紙の画題には欠かせない場所です。
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大田黒元雄の『音學の周圍』。
ジャン・コクトォの「雄鶏とアルルカン」や「エリック・サティの憶ふ」など、音楽にまつわるエッセイをまとめたものです。
1933年(昭和8年)11月15日に、初版1000部、5段マウントの背革装訂で刊行されました。
本文用紙は和紙を使用を使用したので、存外に軽いのがよろしいですね。
この和紙は、多少黒ずんだ再生和紙風な体裁です。
第一書房のかなりの数の和紙刷り本が、こ . . . 本文を読む
今日は「神田古本まつり」の初日です。
不景気に強いといわれた古本業界も廃業が相次ぎ、神保町の古書通りに古書店以外の店舗が次々とオープンしている現状を鑑みると、平成大不況の波には逆らえないといった所でしょうか。
その上大雨に祟られては、始末に終えないところです。
が、古書業界の皆様の祈りが通じたのか、本日は日本晴れですね。
台風が通り大風が吹き荒れた昨日とは、打って変わり誠に秋晴れのよい日となりまし . . . 本文を読む
昨日の雨風で、私のビニール傘も壊れてしまいました。
台風一過の今日はどうでしょう。
見事な日本晴れ。
東京は秋晴れで、日差しも暖かな一日となりました。
空気が澄んでいるため、ご覧の通り眺めも最高ですね。 . . . 本文を読む
第一書房は、土田杏村の著作も多数刊行しております。
土田杏村の出身が新潟(1891年、明治24年1月15日佐渡島生まれ)で、広い意味で長谷川巳之吉と同郷なことが原因とはとても思えませんが、太田黒元雄と同様に巳之吉と「価値観を共有できる部分が多かった」ことが要因ではと推測しております。
多くの著述が、比較的短期簡に刊行されました。
土田杏村は、京都帝国大学卒業後、西田幾多郎に哲学を学んだ哲学者で、 . . . 本文を読む
私が五反田から佃月島近辺に越してきたのは、今から15年前の1994年6月のことです。
引っ越したその晩のこと。
私たちを出迎えてくれたのは、蛙の大合唱でした。
紹介する写真は、引越し当日にビデオ撮影したのものです。
画面を見てください。
下に駐車場が見え、そこから大川にかけては、立ち入り禁止になっていました。
そのため、蛙が大発生して夜鳴いていたのでしょう。
リバーシティ21の開発が進む
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『ストラヴィンスキィ自傳』に続いて、更に長谷川巳之吉は大田黒元雄の翻訳本を出します。
今度は、現代音楽の話です。
今でこそ、ドビッシーやラヴェル、サティーといった現代音楽家の名前を知らない人はいないでしょうが、戦前の日本では、彼らの名を知る人は殆んどいなかった。
そんな中でのコンスタント・ランバートの『現代音樂論』を大田黒元雄は翻訳します。
そして、第一書房から、1937年(昭和12年)1月2 . . . 本文を読む
長谷川巳之吉を資金的にバックアップしていた大田黒元雄は、第一書房から数多くの書籍を出しています。
その中から、前衛音楽家のフェデロビッチ・ストラビンスキーの自伝を翻訳した『ストラヴィンスキィ自傳』を紹介しましょう。
1936年(昭和11年)10月10日に、初版1000部で刊行されました。
これは、ストラビンスキーが4年前にヨーロッパで発行した自伝を取り寄せて、大田黒元雄の翻訳により上梓された、本 . . . 本文を読む
東京日本橋にある三井記念美術館で開かれている「慶應義塾創立150年記念 夢と追憶の江戸」-高橋誠一郎浮世絵コレクション名品展- に行って参りました。
私と同郷の新潟出身である高橋誠一郎は、慶應義塾塾長代理や文部大臣を歴任した経済学者ですが、生涯を通して江戸・明治期の浮世絵を収集し、優れたコレクションを築き上げたことでも知られています。
彼のコレクションから浮世絵約300点を選び、「江戸という時代 . . . 本文を読む
ある日の古書展で、フト目に留まった第一書房の本。
戸川秋骨の『都会情景』でした。
これを手に取った瞬間、「これほど美しい本もそうあるまい」と、痛く感じ入りました。
装訂をみますれば、長谷川巳之吉好みである輸入紙のアルシュペーパーを表紙に使い、表題と著者名は、上部控えめに明朝体活字で組んで黒と薄い緑色で印刷した、誠にシンプルな造本であります。
『都會情景』 戸川秋骨著 1933年(昭和8年) . . . 本文を読む
昔、青山のアトリエでお話をお伺いしたときの岡本太郎の優しいお人柄は、一生忘れません。
その時、お茶を出してくださった敏子様も忘れません。
カメラマンの手配がつかず、お顔写真も私が撮影しようとすると、それまでにこやかだったお顔が、「芸術は爆発だ」の画伯の力が入ったお姿に変身されるのには参りました。
普通にお話をして良い顔だと思い、カメラを構えると、「爆発」。
お茶を飲む時を狙って、カメラを構えると、「爆発」。
結局、お顔写真は、お借りした6×6のリーバーサルの宣伝素材を使用しました。 . . . 本文を読む
岩波書店の小川亮作訳『ルバイヤート』第4刷を入手しました。
古書会館で行われたグロリア会の古書展で入手。
ご覧の通り帯も完備した美品です。
古書価格は200円でした。
安くはないですが、まあまあの値段でしょう。
『ルバイヤート』 エドワード・フィッツジェラルド 小川亮作訳
1954年(昭和29年)9月10日 第4刷 岩波書店 150×104ミリ164ページ 頒価80円
★二つで80円と . . . 本文を読む
敗戦まで後1年となった1944年(昭和19年)、第一書房社主・長谷川巳之吉は、戦局の悪化に伴い自分の求める出版を続けていくことが不可能となったと判断したのでしょう。
第一書房の有する版権すべてを大日本雄弁会講談社に譲り、商売をたたみ戦火を逃れ鵠沼へ転進しました。
その彼が、最後に手がけた書籍が秋山兼蔵の『東亜交渉史論』でした。
敗戦迫る1944年(昭和19年)3月20日のこと。
初版4000部で . . . 本文を読む
馬琴が36歳のときの作品『曲亭伝奇花釵児』は、その後大家となった馬琴の手元にすら原本がないほど、当時から稀本化してしまいます。
当然ながら、私の手元にもこの本はありません。
現存数はそうありますまい。
が、袋の断片を何故か持っております。
今回はそれを紹介しましょう。
断片と馬鹿にしないでね。
書影が取り上げられるのは、初めてのことでしょうから。 . . . 本文を読む
書物の死蔵は、今まで出会ってきた数多くの第一書房本達に申し訳がたたない。
「リストを創らねば、死に切れぬな」と、ふと思った。
また、私が急に遠くへと旅立ってしまった場合、愚妻が私の代わりにブログを続け第一書房のリストも制作してくれればいいのですが、「そんなこたぁするわけない」し、替りの入力もしてくれるはずもない。
やむなく、「俺がやらなきゃ誰がやる」とばかり、家蔵第一書房本の整理を始めたという訳。 . . . 本文を読む