「日清戦争絵巻 第一京城之巻」より「釜山夜景」 版元・春陽堂
絵師・鈴木華邨 発行・1895年(明治28年)1月2日号
鈴木華邨による「日清戦争絵巻 第一京城之巻」の「釜山夜景」の図です。ここに、歌川広重描く珠玉の名品「江戸近郊八景」の「行徳帰帆」と相通ずる叙情性を見出すことが出来ます。遠景の山影はいよいよ淡く、水上の帆船は月明かりに照らされ美しい陰影をつくり、陸上の大樹は深緑をなお濃くし . . . 本文を読む
月岡芳年の弟子、年章が描く威海衛の戦いの図をもう一つ紹介しましょう。大きく描かれた艦船の船首には菊の紋章が付いております。2本のマスト、船首砲一門、煙突一基から浪速型の巡洋艦「高千穂」と推測されます。
「日本艦隊強勇威海衛ヲ撃破之図」 版元・堤吉兵衛(日本橋区吉川町五番地)
絵師・年章 彫・荒木 刊年・不明 . . . 本文を読む
戦争で失われた日本の文化の一つ。大正から昭和15年までのアルス戦前版の雑誌「CAMERA(カメラ)」。掲載誌は、何れも美しい美本です。この雑誌を毎号楽しみに待つ読者は、間違いなく当時の日本社会の支配階級に属する人々であったに他なりません。戦前の日本では、写真を撮る行為は贅沢の極みだったからです。大地主や酒屋の坊ちゃんが金と暇にあかせてライカを親から買ってもらいパチリ、パチリと撮影するそんな大金持ち . . . 本文を読む
日本軍が日清戦争で勝利を確信した激戦の地、「威海衛の戦い」の図を紹介しましょう。
「威海衛」 版元・辻岡文助 絵師・揚州延一 1895年(明治28年)2月
「威海衛海軍大勝利」 版元・長谷川常二郎 絵師・歌川小国政 1895年(明治28年)2月
「威海衛城陥落之図」 版元・不明 絵師・歌川小国政 発行・不明 . . . 本文を読む
日清戦争浮世絵、次の絵師は楊斎延一。彼の力の入った描きっぷりをみてください。
清軍の放つ弾丸の曳航が数多赤く光るをものともせずに突撃する騎馬の佐久間中尉の雄姿。小林清親の描く抒情性より楊斎延一の解かりやすい劇画性のある戦争画の方が、売れ行きが良かったに違いありません。
「第二師団長佐久間中尉栄城府攻撃而占領之図」 版元・長谷川園吉
絵師・楊斎延一 1895年(明治28年)
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前回と同じく小林清親描く日清戦争絵巻の一コマ、「威海衛陸上砲台攻撃之光景」の図です。
清軍が放った砲弾が、騎乗の大日本帝国陸軍将校の脇に着弾。その刹那を美しい黄赤色で表現しています。少し奥まった背景の人馬や木々は、歌川広重張りの薄墨で表し、手前の兵隊達の軍服は紫色に描き夜陰の中印象的に表現しています。月の仄暗い明かりが、悲しい死闘を浮かび上がらせる日清戦争の一場面です。
「威海衛陸上砲台攻 . . . 本文を読む
江戸時代から脱却した明治日本は、隣国の清と初めて近代的な対外戦争を経験します。1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)4月にかけて行われた日清戦争です。そこで、ようやく萌芽し始めた我国のジャーナリズムは、戦争報道に力を入れました。参謀本部によると派遣された各紙の新聞記者数は114名。彼らは日々の戦況を新聞にリアルタイムに掲載し、国民はその報道に熱狂しました。
そんな中、細々と木版 . . . 本文を読む
満州事変。日本の失敗のはじまりでした。軍国主義という怪物が、日本を豊かにすると錯覚して幾多の人々の血を流させたことか。
1931年(昭和6年)9月18日、奉天郊外の柳条湖で起きた南満州鉄道の線路爆破事件に端を発した満州事変は、参謀本部の不拡大方針とは逆にしだいに広がりを見せます。ところが、わずか5ヶ月の短期間で満州全土(中国東北部)を占領し戦術的にみれば稀に見る大成功に終わりました。しかし、日本 . . . 本文を読む
横光利一の『雅歌』です。斎藤昌三思い切って白樺で装訂してみました。茶色く変色している部分は、製本する以前から白樺の生皮が剥がれたところです。本来ならば、やり直すべきところを材料が少なかったかそのまま製本させたようです。余り面白い装訂とは思えませんねえ。
『雅歌』横光利一 限定1000部 白樺装訂
1932年(昭和7年)12月25日
『雅歌』 函
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柳田国男の『退読書歴』であります。
『退読書歴』柳田国男 限定1000部 1933年(昭和8年)7月20日
山形地方のつづれ織布装 天金 背革
背革、天金の本です。斎藤昌三が装訂に余り力を入れないと単なる著者の「前書き総集編」の様な内容に陥ることが多々ありますが、これがその嚆矢ではないでしょうか。誠に勉強になる一冊です。内容も装訂も、極上とは云いがたく入手して余り喜ばなかった『退読書歴 . . . 本文を読む