11月11日(月)。
朝起きると痛い。
痛み止めは本日まで。
明日はきっと痛くないだろう。
そう思い、仕事、遊び、読書、遊技、寝る。
楽観主義者である。
11月12日(火)。
朝起きると痛い。
痛み止めは昨日まで。
本日はきっと痛くないだろう。
とのオプチミスティックな考えは唾棄された。
痛い。
しかも、痛み止めは無い。
一粒も無い。
仕方ないので、薬処方の為に某女子偉大へ。
11時15分着。
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11月9日(土)。
本日で、抗ウイルス薬の服用は終了。
後は痛み止めを続け、痛痒が薄らぐのを待つだけとなる。
痛みは相変わらず。
起床時が辛い。
次第に気温が上がると痛みは薄らぐのが、幸い。
辛と言う字に一を加えると幸となる。
幸から一を引けば辛となる。
人間全て塞翁が馬。
人生はあざなえる縄のごとし。
不幸と幸福の繰り返し。
漢字一文字で哲学的瞑想に入る事が出来る。
病気とは有難い物なり。
閑話 . . . 本文を読む
11月7日(木)。
鈍痛は果てしなく続く。
が、服用後しばらくすると痛みは和らいでくる。
ここが嬉しい。
病という苦の中に、和みという楽がある。
「酒は百薬の長」と言われる。
これには残りが有って、「百毒の司」
と続く。
つまり、「酒は百薬の長だが、百毒の司でもある」。
と言うわけ。
本当は「百毒の司」を強調したかった。
が、皆さん呑兵衛の為、都合の良い「百薬の長」のみ喧伝されてきた。
酒はしば . . . 本文を読む
11月6日(水)。
起床。
いつもと同じ、朝。
御不浄へ向う数歩。
自分が帯状疱疹的疼痛持である事を自覚させられる。
皮膚に下着が触れると痛さが目覚めるのだ。
体を動かすと痛いのである。
病状が進んだ旁はじっとしていても痛いらしい。
痛さで眠られぬ夜もあるという。
不佞の場合、幸いな事にウイルス大隊進撃直前。
バルトレックス中隊が阻止に成功。
御陰様で暢気な眠りに着けている。
先輩達に言わせれば、 . . . 本文を読む
ところがである。
神経は戻らなかったのだ。
退治されつつあるウイルスとともに皮膚は戻ったのに、である。
当初の疼痛が帯状疱疹が退場するのと比例して痛みも和らぐ。
と思うたら、とんでもない間違いであった。
罹患当時以上に、さらに痛みが益してきた。
動くとジーンと骨が軋む。
皮膚表面は何ともないが、体の内部の骨が痛いのだ。
痛み止めを処方してもらってはいるが、果たしてそれが聞いているか否か。
皆目検討 . . . 本文を読む
11月4日(月)。
文化の日振替休日だ。
土曜日に病院へ行けなかったら、診療を受けられるのはもう一日先。
そう思うとゾッとする。
抗ウイルス薬、バルトレックスは次第にウイルスの増殖を抑え体の赤い発疹を縮小傾向へ転じさせた。
これも土曜診療をしてくれる偉大なる某女子偉大のおかげ。
ありがたや、有り難や。
仮にだ。
未だ投薬を受けないとしよう。
今私の体はどうなっているか。
きっとボロボロであろう。
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11月2日(土)。
付き合いで参加したコンサート。
延々と続くようなので、おいとまの旨を主催者の千尋さんに伝える。
40人ほどは入っているであろうイベント会場。
どうも俺が一番のジジイらしい。
若者は徹夜で街の夜を楽しむのであろう。
9時半に帰宅。
麦酒と投薬で疱疹ちゃんは放心状態か。
痛く無し。
嬉し。
飲み直して寝る。
11月3日(日)。
6時に目が覚める。
最後に薬を服用したのがコンサート . . . 本文を読む
10月31日(木)。
月末の為各種支払いや入金請求書制作等少々忙しい。
風呂上り、鏡の前。
左肋骨、横隔膜のあたり。
少し赤くなって、化膿しているのに気付いた。
虫刺されかな。
そのままやり過ごす。
11月1日(金)。
風呂上り。
左肋骨は帯状に点々と赤くなっており、明らかに悪化している。
少しかゆいが、我慢出来ないほどではない。
女房に見せると、不図こう言った。
「帯状疱疹かもね」。
まさか、 . . . 本文を読む