第一書房の戦時体制版『世界文学五十講』に、ルバイヤートが掲載されているのを発見しました。
アメリカ人のジョン・アルバート・メイシーが著した世界各国の文学書抄録を翻訳家の内山賢次が訳したものです。
1940年(昭和15年)8月30日に初版3000部、頒価1円80銭で刊行されました。
『世界文学五十講』 ジョン・アルバート・メイシー 内山賢次訳 第一書房戦時体制版
1940年(昭和15年)8月30日 初版3000部 435ページ 頒価1円80銭
435ページある『世界文学五十講』の英国ヴィクトリア朝時代の文学を語る項目中の1ページにフィッツジェラルドの『ルバイヤート』の四行詩が、一首だけ紹介されております。
選ばれた詩は、世界の名詩として名高く、前に紹介した第4版本の第12歌(初版本、第11歌)であります。
内田はこう訳しました。
第12歌(第4版本)
樹枝が下には一巻の詩の書(ふみ)
一壺の葡萄酒、一塊のパン、─しておん身は
荒野がなか、我が傍にぞ歌いてある─
あはれ荒野こそは全き楽園!
彼は詩人ではなく、翻訳家です。
フィッツジェラルドの英詩にそって忠実に訳しております。
字句の選択に、翻訳家ならではの独特な雰囲気がある様に思えます。
全(まった)き楽園など文語体の使い方は、教養のない私には、全きびっくりです。
また、四行詩が冗長に長文にならぬよう、工夫を凝らしているのも解ります。
ここで、一興に竹友藻風、矢野峰人、森亮、プラスワンの各人の訳と比較してみましょう。
まず、竹友藻風訳。
第12歌(第2版本)
ここにして木の下に、いささかの糧(かて)、
壺の酒、歌のひと巻き、─またいまし、
あれ野にて側(かたわら)にうたひてあらば、
あなあわれ、荒野(あれの)こそ楽土ならまし。
つづいて、矢野峰人訳。
第12歌(第5版本)
木下蔭(このしたかげ)に好もしき歌(うた)の一巻(ひとまき)、
一壺の天の美禄と、一塊の
パンだにあらば─さらにわが側(かたへ)にうたふ
君あらば、荒野だに楽土たるべし。
森亮の訳はといえば。
第11歌(初版本)
ここにして木(こ)の下かげに歌の巻き、
酒のひと壺、糧(かて)し足り、かたへに汝(いまし)
よきうたを歌ひてあればものににず、
あら野もすでに楽土かな。
最後にプラスワン、夜鴉亭訳。
第11歌(初版本)
ここに 木蔭の下にいささかの糧(かて)
一杯のワインと一冊の詩集 そして
私の傍(かたわ)らに あなたが謳(うた)いてあれば
荒野(あれの)もまた 桃源郷となりて
どの訳がお好みですか。
五人五様で、それぞれ個性があって面白いですよね。
昔は矢野峰人訳が一番好きだったのですが、最近は森亮も捨てがたいと思えるようになってきました。
が、夜鴉亭が一番悪くはない気がしないでもない。
この四行詩だけは、たいした出来ではありませんが、韻を踏んでおりますから……(^^;)。
内山賢次のプロフィールを紹介します。
1889年(明治22年)9月20日、新潟県柏崎の貧しい農家に生まれ、尋常高等小学校を中退、青雲の志を持って11歳で上京し給仕として働くかたわら、正則英語学校で英語を学び翻訳家となった苦労人です。
おもな訳書に「シートン動物記」や「ヴァン・ルーンの地理学」、チャールズ・ダーウィンの「ビーグル号航海記」などがあります。
1971年(昭和46年)12月28日、82歳で逝去されました。
「シートン動物記」の訳者、内山賢次ですって。
誠に奇遇です。
少年時代、「シートン動物記」感動して読んだものです。
特に、狼王ロボの物語。
それが、彼の訳であったのですね。
どこかで聞いた名前だと思いました。
また、フィッツジェラルドと同年生まれで、かつ『ルバイヤート』発行と同じ1859年に出した進化論を出したダーウインも訳しているし、出身が私や長谷川巳之吉と同郷の新潟だなんて。
偶然は重なりますね。
アメリカ人のジョン・アルバート・メイシーが著した世界各国の文学書抄録を翻訳家の内山賢次が訳したものです。
1940年(昭和15年)8月30日に初版3000部、頒価1円80銭で刊行されました。
『世界文学五十講』 ジョン・アルバート・メイシー 内山賢次訳 第一書房戦時体制版
1940年(昭和15年)8月30日 初版3000部 435ページ 頒価1円80銭
435ページある『世界文学五十講』の英国ヴィクトリア朝時代の文学を語る項目中の1ページにフィッツジェラルドの『ルバイヤート』の四行詩が、一首だけ紹介されております。
選ばれた詩は、世界の名詩として名高く、前に紹介した第4版本の第12歌(初版本、第11歌)であります。
内田はこう訳しました。
第12歌(第4版本)
樹枝が下には一巻の詩の書(ふみ)
一壺の葡萄酒、一塊のパン、─しておん身は
荒野がなか、我が傍にぞ歌いてある─
あはれ荒野こそは全き楽園!
彼は詩人ではなく、翻訳家です。
フィッツジェラルドの英詩にそって忠実に訳しております。
字句の選択に、翻訳家ならではの独特な雰囲気がある様に思えます。
全(まった)き楽園など文語体の使い方は、教養のない私には、全きびっくりです。
また、四行詩が冗長に長文にならぬよう、工夫を凝らしているのも解ります。
ここで、一興に竹友藻風、矢野峰人、森亮、プラスワンの各人の訳と比較してみましょう。
まず、竹友藻風訳。
第12歌(第2版本)
ここにして木の下に、いささかの糧(かて)、
壺の酒、歌のひと巻き、─またいまし、
あれ野にて側(かたわら)にうたひてあらば、
あなあわれ、荒野(あれの)こそ楽土ならまし。
つづいて、矢野峰人訳。
第12歌(第5版本)
木下蔭(このしたかげ)に好もしき歌(うた)の一巻(ひとまき)、
一壺の天の美禄と、一塊の
パンだにあらば─さらにわが側(かたへ)にうたふ
君あらば、荒野だに楽土たるべし。
森亮の訳はといえば。
第11歌(初版本)
ここにして木(こ)の下かげに歌の巻き、
酒のひと壺、糧(かて)し足り、かたへに汝(いまし)
よきうたを歌ひてあればものににず、
あら野もすでに楽土かな。
最後にプラスワン、夜鴉亭訳。
第11歌(初版本)
ここに 木蔭の下にいささかの糧(かて)
一杯のワインと一冊の詩集 そして
私の傍(かたわ)らに あなたが謳(うた)いてあれば
荒野(あれの)もまた 桃源郷となりて
どの訳がお好みですか。
五人五様で、それぞれ個性があって面白いですよね。
昔は矢野峰人訳が一番好きだったのですが、最近は森亮も捨てがたいと思えるようになってきました。
が、夜鴉亭が一番悪くはない気がしないでもない。
この四行詩だけは、たいした出来ではありませんが、韻を踏んでおりますから……(^^;)。
内山賢次のプロフィールを紹介します。
1889年(明治22年)9月20日、新潟県柏崎の貧しい農家に生まれ、尋常高等小学校を中退、青雲の志を持って11歳で上京し給仕として働くかたわら、正則英語学校で英語を学び翻訳家となった苦労人です。
おもな訳書に「シートン動物記」や「ヴァン・ルーンの地理学」、チャールズ・ダーウィンの「ビーグル号航海記」などがあります。
1971年(昭和46年)12月28日、82歳で逝去されました。
「シートン動物記」の訳者、内山賢次ですって。
誠に奇遇です。
少年時代、「シートン動物記」感動して読んだものです。
特に、狼王ロボの物語。
それが、彼の訳であったのですね。
どこかで聞いた名前だと思いました。
また、フィッツジェラルドと同年生まれで、かつ『ルバイヤート』発行と同じ1859年に出した進化論を出したダーウインも訳しているし、出身が私や長谷川巳之吉と同郷の新潟だなんて。
偶然は重なりますね。
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