笑うかどには福きたる

日常生活で見たこと、聞いたこと、感じたことを牧歌的にのんびりと書いています。

「悩む力」-読了

2008年10月05日 10時48分45秒 | 読書
電車の中で本を読む時、私は表紙を外してしまって、書名などが外から分からないようにしています。だって、なんだか気恥ずかしいじゃないですか。「あ~、このひとこんな本読んでるのか」なんて他人に一瞬でも思われるなんて。自意識過剰ですかね~(^^;)
自己啓発の本などは、だいたいセクション毎の見出しが本文よりも大きくなっていて、「第一印象は30秒で決まる!」なんて見出しが突然出てきた日には、思わず慌てちゃいます。そのページだけさっさとめくったりしてね。
と言うわけで、電車の中での読書にも結構気を使う、小心者の私です。(^^;)

さて、夏目漱石の本は高校生の時に読んだきりで、「吾輩は猫である」「坊ちゃん」くらいしか正直印象が無いのです。これらの作風に馴染んだ勢いで「それから」や「門」「心」あたりに進んだ私は、その「暗さ・重さ」になんとなく引いてしまい、漱石作品にそれ以上進むことはありませんでした。

この「悩む力」は、(私が進まなかった)漱石の作品を手がかりに「今」という時代を考えてみませんか? という本です。
漱石が丁度不惑の年(40代)を迎えたのは、今からほぼ100年前です。その時代は日露戦争で日本がロシアを破り、今風に言えばイケイケどんどんの世の中。まさに新しい時代、新しい価値観を持った「新人類」が勝ち組とされた時代で、姜さんは、100年後の今はまさにその時代のようではないか、と言うのです。だから100年前の漱石の悩みやもがきは、今の時代を生きる我々ととても共通しているのだよ、と。

本の中で私が「あぁ、そうだよね」と特に感じ入ったのが、こんなくだりでした。
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社会というのは、基本的に見知らぬ者同士が集まっている集合体であり、だから、そこで生きるためには、他者から何らかの形で仲間として承認される必要があります。そのための手段が、働くということなのです。働くことによって初めて「そこにいていい」という承認が与えられる。
 ※集英社新書 「悩む力」姜尚中 P122より
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「なんのために働くのか」という中の一文なのですが、私は、この、「そこにいていい」 というどこにでも転がっているような言葉こそ、自分を含めあらゆる立場の人が、それも多くの人が欲しがっている「言葉」なのではないのかな、と感じたのです。高校生の自分に、「暗い・重い」漱石作品に面白みも共感も持てなかったのも、私がそこにいることが当たり前のこととして周囲に承認されていた(自分もいて当然と信じていた)からだったのでしょう。社会に出て、仕事や人間関係で悩んだり、あちこちにぶつかったり、転んだりしながら、よいしょよいしょと生きてきた今なら、ひょっとして「それから」も「門」も「心」も、もっと深く読み、共感できるのかも知れない、という気もしています。

「悩む力」は1年前では早すぎて、1年後では遅すぎる作品だと私は思います。
この本がベストセラーになる背景として、これからの日本の社会で「生存していくこと自体」に危機を感じている人が多い、「健康的である」とはとても言えない世の中になりつつあるんだな、という感じを持たざるを得ません。

じゃあ、解決策はどこにあるのでしょうか? 「悩む力」にその解決策は書かれていません。姜さんは「さぁ、テーマは与えましたよ。各自で思い思いに解決策を考え、そして真面目に悩んでください」と私たちに宿題を出すのみです。
ナルホド。さすが大学教授でございます(^^)
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