笑うかどには福きたる

日常生活で見たこと、聞いたこと、感じたことを牧歌的にのんびりと書いています。

記録は付け始めるとクセになる

2020年06月25日 15時42分46秒 | 日々雑記
緊急事態解除からほぼ1ヶ月ほど経ち、ぼちぼちながら、出歩く人も多くなってきました。テレビなど見ていると友達と外食してる様子や、観光地の人出もそれなりの賑わいのようです。ただ、取り立てて用でもない限り、まだまだ人混みには混ざりたくないなぁ、と感じている自分がおります。

さて、新聞から拾っている「(大変ざっくりな)世界のコロナ感染者数」ですが、早くも6月21日にブラジルが感染者数100万人を突破しちゃいました。

ブラジルの"ホップ ステップ ジャンプ感"は半端ありません


アメリカも既に200万人を超えて、両国とも毎日2万人とか3万人規模で増加しています。ちょっと驚くのが"先進国"アメリカで、必要な体制作りや支援をしていてもまだ頭打ち来ないのか…と市井の素人の私でさえ首をかしげたくなります。(まぁ、今はそれどころでは、ないんでしょうけど。。)



今現在、特効薬は無いし、自分事としての日常生活(経済活動)をいつまでも止めておくことはできないし。とりあえず、良くも悪くも、「コロナとの付き合い方は周知できているので、あとは個々人で気を付けて生活をしましょう。」という段階なのだと思ってます。

さてさて、約2500年前の古代ローマ時代(「ローマ人の物語 1-13巻」)からようやく抜けた私は、現在15世紀のフィレンツェにおります(^^)。
読み進めているのは「わが友マキャヴェッリ」(塩野七海著 新潮文庫)で、物語の流れから、どうしても寄り道せざるを得なくなり、「神の代理人」も読んだのですね。
マキャヴェッリが生きた当時のフィレンツェも、ペストとの共存期間にあったようです。詳しくはウィキへ

「神の代理人」で「わが友マキャヴェッリ」に紐づく部分はP98-288なのですが、塩野さんは一市民の日誌を元にお話を構成しています。で、本編より興味を引いたのが、記述の3箇所にペストについて触れた部分があったことなのです。

1496年 3月8日 
  「(略)ここ数日ペスト発生の兆候が見え始めた(略)」
1497年 10月28日 
  「(略)今年の夏頃からはやりはじめたペストが、秋になってもいっこうに下火になる様子も見えず困ったものである(略)」
1498年 2月11日 
  「(略)ここしばらくペストが下火になっている。時々一人か二人の死者が出る程度である(略)」

当時のフィレンツェは、国の存亡に関わる"もめ事"の真っ最中。
日誌の主も、仕事(薬種香料商人)をしながら、事の成り行きに大いに気を揉みつつ、大勢の人が集まる教会のミサに妻や子らと参加し、数千人もの人が"密集する"広場の集会に出向くのです(^_^;)
ペストの広まりがある中でも、人々が普段通り、いや普段以上の活動量を持って生活をしていたことが感じられます。しかも、この日誌だけで3年間も。
特効薬がない今のコロナ禍の状況は、くだんの日誌の主同様、「気にかけながらも、普通に生活していくことしかないんだなぁ」と、しみじみと思えちゃったんですよね。

大事なのは、結局「時々一人か二人の死者が出る程度である」の、"一人か二人"にならないように、ということなのでしょう。
長い付き合いを覚悟、ですね。

※この日誌の主は1450年(14歳らしい)から1516年まで日誌を付けていたそうです(P287)。
コメント
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