しつこく柔道ネタです(^^;)昨日体操の内村航平クンのスバラシい演技があったにも関わらず。。。
※ちなみあの鉄棒で15.4ってなんですか?どうすればあれ以上の得点取れるんですか?どこが減点なんですか?
大昔「柔道一直線(?)」というテレビ番組があって、子供心にもうっすら記憶しているのですが、とにかく、いかに相手を「投げるか(または投げ飛ばすか)」。つまり私の頭にインプットされている「柔道」とは、とにかく投げて相手を転がす、これ以外にはありえない。だから、今の柔道が正直わからないのです。あんなにもルールを複雑にする意味自体理解できない。
私は柔道門外漢なので、詳しくは各自で調べて頂ければ、ですが、ある時点で世界競技としての「柔道」のルールが変わったそうで、なんでも、
・技の効きかた(押さえ込みの時間)では、
一本
↑
技あり(20s)
↑
有効(15s)
↑
効果(10s)
・反則(意味)では、
警告(悪質な競技違反、とみなされた場合)
↑
注意(故意に場外に逃げた、とみなされた場合)
↑
指導(勝負を避けた、とみなされた場合)
と超おおまかにはこのようになるそうです。こう見ると一本で勝負するよりもポイントを稼いで勝った方が楽な気もしますね。。
怖いのが指導とか注意でしょうか。これもポイントになっていましたよね。この指導や注意は「攻める気持ちが感じられなかった」場合なのだとか。う~ん。。それじゃ「気持ちを切り替えるために数秒相手に背を向けた」、「酸欠気味なのであくびが出た」だけで「指導」あたりが、飛んできそうじゃないですか(^^;)とにかくお互い持ち時間中は攻め続けろ!ってことなのですね~。考えんでもエエから、ワザ出せワザと。でも4,5分の持ち時間でこれはキツくないですか?そんなことを考えてたら、今朝のYahooニュースにこんな記事が出ていました。
要約すると、欧米では「柔道」とは言わず「ジャケット・レスリング」と呼ばれたりしているとか。えぇ~?って感じですが、にわか観戦者の私でさえ「レスリングぽくないか?」と思いましたもの。そもそも柔道って向かってくる相手をひらりと投げる(?)スポーツですよね。間違ってたらごめんなさい(^^;)相手のタイミングを外して手や足で相手をひらりとひっくり返すその技を競いましょうね、と。
この「ひらりとひっくり返す(?)」日本人の美意識が国際競技ってものに合わないのではないかと、個人的には感じるのですね。
辺境のブログで好き勝手に言わせていただくと、「道」のつく国技は国際競技になりえない。アボガド巻は「寿司」じゃないぞ、と。(^^;)
じゃあ、柔道に限らず競技の国際化で日本の選手はみんな淘汰されるのか、と言われれば「そんなことは断じてない」と私は信じてます。
谷本選手は自分の競技スタイルを「一本とること」と言っていましたよね。それは彼女の競技者としての「美意識」だと思うのです。体操の内村クン(選手と言いなさい(^^;))の美意識は「着地」。「着地が決まれば勝てる」。彼はきっと自分の着地が美しいと感じているはずです。北島康介選手の美意識は「世界最速」。。。競技者としての自分にきちんとした「美意識」を持っている、そしてそれがぶれない選手はきちんと「結果」を出せる、と、私は思うのです。でね、その「結果」ってメダルではないんです。メダルも大切かもしれないけれど、人々の記憶に残る、ってこと。それこそメダル以上に大切なことだと思うんです。内村くんは「着地のきれいな、あの選手ね」ってきっと、人々に記憶され続けると思うのです。
そしてこういう「美意識」は、多分「選手の育成・強化」という枠組みで作られるものではないと感じるのです。
大切なのは「どんな自分に忠実でありたいか」。これってスポーツの世界だけのことではないと思いませんか?
※ちなみあの鉄棒で15.4ってなんですか?どうすればあれ以上の得点取れるんですか?どこが減点なんですか?
大昔「柔道一直線(?)」というテレビ番組があって、子供心にもうっすら記憶しているのですが、とにかく、いかに相手を「投げるか(または投げ飛ばすか)」。つまり私の頭にインプットされている「柔道」とは、とにかく投げて相手を転がす、これ以外にはありえない。だから、今の柔道が正直わからないのです。あんなにもルールを複雑にする意味自体理解できない。
私は柔道門外漢なので、詳しくは各自で調べて頂ければ、ですが、ある時点で世界競技としての「柔道」のルールが変わったそうで、なんでも、
・技の効きかた(押さえ込みの時間)では、
一本
↑
技あり(20s)
↑
有効(15s)
↑
効果(10s)
・反則(意味)では、
警告(悪質な競技違反、とみなされた場合)
↑
注意(故意に場外に逃げた、とみなされた場合)
↑
指導(勝負を避けた、とみなされた場合)
と超おおまかにはこのようになるそうです。こう見ると一本で勝負するよりもポイントを稼いで勝った方が楽な気もしますね。。
怖いのが指導とか注意でしょうか。これもポイントになっていましたよね。この指導や注意は「攻める気持ちが感じられなかった」場合なのだとか。う~ん。。それじゃ「気持ちを切り替えるために数秒相手に背を向けた」、「酸欠気味なのであくびが出た」だけで「指導」あたりが、飛んできそうじゃないですか(^^;)とにかくお互い持ち時間中は攻め続けろ!ってことなのですね~。考えんでもエエから、ワザ出せワザと。でも4,5分の持ち時間でこれはキツくないですか?そんなことを考えてたら、今朝のYahooニュースにこんな記事が出ていました。
要約すると、欧米では「柔道」とは言わず「ジャケット・レスリング」と呼ばれたりしているとか。えぇ~?って感じですが、にわか観戦者の私でさえ「レスリングぽくないか?」と思いましたもの。そもそも柔道って向かってくる相手をひらりと投げる(?)スポーツですよね。間違ってたらごめんなさい(^^;)相手のタイミングを外して手や足で相手をひらりとひっくり返すその技を競いましょうね、と。
この「ひらりとひっくり返す(?)」日本人の美意識が国際競技ってものに合わないのではないかと、個人的には感じるのですね。
辺境のブログで好き勝手に言わせていただくと、「道」のつく国技は国際競技になりえない。アボガド巻は「寿司」じゃないぞ、と。(^^;)
じゃあ、柔道に限らず競技の国際化で日本の選手はみんな淘汰されるのか、と言われれば「そんなことは断じてない」と私は信じてます。
谷本選手は自分の競技スタイルを「一本とること」と言っていましたよね。それは彼女の競技者としての「美意識」だと思うのです。体操の内村クン(選手と言いなさい(^^;))の美意識は「着地」。「着地が決まれば勝てる」。彼はきっと自分の着地が美しいと感じているはずです。北島康介選手の美意識は「世界最速」。。。競技者としての自分にきちんとした「美意識」を持っている、そしてそれがぶれない選手はきちんと「結果」を出せる、と、私は思うのです。でね、その「結果」ってメダルではないんです。メダルも大切かもしれないけれど、人々の記憶に残る、ってこと。それこそメダル以上に大切なことだと思うんです。内村くんは「着地のきれいな、あの選手ね」ってきっと、人々に記憶され続けると思うのです。
そしてこういう「美意識」は、多分「選手の育成・強化」という枠組みで作られるものではないと感じるのです。
大切なのは「どんな自分に忠実でありたいか」。これってスポーツの世界だけのことではないと思いませんか?
