笑うかどには福きたる

日常生活で見たこと、聞いたこと、感じたことを牧歌的にのんびりと書いています。

オリンピック雑感-その1

2008年08月11日 17時09分47秒 | テレビ
まずお断りしておきますが、私は柔道の国際ルールは全く知りません。
そんな私でも、女子柔道48キロ級、谷選手の「負け方」には納得できません。
相手選手の「勝ち方」にも納得できません。
ああいう状態で「勝負」をつける柔道のルールってどうなんでしょうか?

私の思い込みなのかも知れませんが、スポーツの醍醐味は、単純に「勝ちに行く」ことだと思うんです。勝ちに行かなければ負けるものだと。
ヒトより早く走る、高く飛ぶ、速く泳ぐ、多く得点する。。。と、とにかく「ヒトより優れた自分の能力で競って」勝負をつけるものですよね?

谷選手の準決勝の試合ぶりを観ていて「これはスポーツなのか?」と首をひねってしまいました。
まるで、シャモの突き合い。
お互い相手の出方を待ち、隙をついて勝ちに行こうという作戦だったのかもしれません。特に今回谷選手は「ママでも金」を狙っていたはずだから、「絶対に負けたくない」気持ちが優勢だったことでしょう。
私は、そこに「勝負の落とし穴」があったのでは、と感じるのです。

金メダルって、その種目ですばらしい試合をして勝った選手に与えられるものだと思うのですね。
その「すばらしさ」って、実は勝っても負けても人々の記憶に残るもののことで、決して「金メダルを齧っている」選手の写真が記憶に残るのではない、と私は思うのです。
一貫してリスクを押さえ、始終守りに入ってポイントで準決勝を勝ち抜こうとした谷選手の姿には、「アスリートとしての谷」の姿は、残念ながらほとんど感じられませんでした。失いたくない一心で守りに徹した結果は、何一つ彼女の良いところを披露することもなく、素人にはよく分からない反則ポイントで、負けてしまうというものでしたよね。だから3位決定戦の谷選手の方が、とても彼女らしかったと思うのです。ここで勝つには、もう自分の全てで当たるしかない、という気迫でした。彼女の中で「私はあんなもんじゃない」というアスリートとしてのプライドに火がついたでは、と想像するのです。せめて上位に残りたい、とか銅メダルが欲しいとかじゃなかったと思うのです。「私は世界の谷だぞ」という気迫でした。

もちろん彼らはプロのアスリートですから、準決勝ではあの方法で試合を乗り切ることが究極の判断だったのかもしれません。でもいちスポーツ選手として、守って負けるのと、攻めて負けるのでは、どちらの負けに納得できるのでしょうか?
私は、座して死を待つより、打って出るタイプの人間ですから、テレビを観ながら心の中で「攻めなきゃだめ!」と叫んでいましたよ。

守りは所詮守りにしかなりませんが、攻めは攻めと同時に守りにもなる、と、私は常々考えています。
「ママでも金」を目指したなら、なおさら攻めなくちゃ。ママは子供の為になら「攻めることさえ厭わない」。そんな意味でも「ママ選手谷」にちょっぴり期待してもいたんですけど(^^)まぁ周囲からのプレッシャーも相当だったんでしょう。「銅メダル」だってすごいことなのにね。

オリンピックに出る選手のプレーって、勝っても負けてもそれを観ている多くの人たち(特に子供たち)の記憶に残るハズですよね。だから、メダルも大事でしょうけれども、その種目の代表として精一杯の一番良いプレーを魅せて欲しいし、それで世界一になれてメダルを持ち帰ったら、とんでもなくスバラシイよね~と、メダルに縁のない外野の、更に外側にいる私などは思うのですけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする