いろいろ話すと長くなるんですが、この人に育ててもらった山下大輔がコーチとしてアメリカへ教えに行くという話。
断片的な情報だが、この記事を見る限りでは、ドジャースと契約してルーキーリーグに派遣される形態になるようである。
その昔、シピン/ボイヤーの名コンビの片割れというか親分格のクリード・ボイヤーが大洋を引退後即内野コーチに就任。その横浜大洋ホエールズに慶応大学卒で入ってきたのが山下大輔。学生時代から玄人受けする守備の名手でならし、新人間もない頃から遊撃手のレギュラーをほぼ占めた印象があるが、その守備力の練成にはボイヤーコーチの大きな存在があった。
当時ラジオだかで聞いた話でよーく印象に残っているのが、ボイヤーは山下の守備練習の際に、ひたすら緩いゴロをグラブの芯で取らせる基本練習を飽きもせずに続けて、基本を徹底的に学びなおさせることで山下の守備センスをより大きく羽ばたかせたという話である。
長じて名選手として守備の山下、好きだったプレーは三遊間の奥から人工芝の特性を活かして山なりのダイレクト送球でなくわざとワンバウンドで一塁手がキャッチし易い球を投げるという渋い技、業?どっちかな(笑)が今でも脳裏にこびり付いている。
若くして頭髪が後退して、監督時代には不振の成績でも頭の丸めようもないほどの見事な禿頭ぶりを誇っていた大ちゃんだが、ここへきてアメリカへ恩返しにいくとは・・・「ハゲの恩返し(笑)」ちょっとふざけすぎかな。
さきほどWikiをみたらボイヤーは去年逝去していたとのこと、合掌。
あなたの弟子があなたの守備理論を還元しにいきますのでご安心を。
断片的な情報だが、この記事を見る限りでは、ドジャースと契約してルーキーリーグに派遣される形態になるようである。
その昔、シピン/ボイヤーの名コンビの片割れというか親分格のクリード・ボイヤーが大洋を引退後即内野コーチに就任。その横浜大洋ホエールズに慶応大学卒で入ってきたのが山下大輔。学生時代から玄人受けする守備の名手でならし、新人間もない頃から遊撃手のレギュラーをほぼ占めた印象があるが、その守備力の練成にはボイヤーコーチの大きな存在があった。
当時ラジオだかで聞いた話でよーく印象に残っているのが、ボイヤーは山下の守備練習の際に、ひたすら緩いゴロをグラブの芯で取らせる基本練習を飽きもせずに続けて、基本を徹底的に学びなおさせることで山下の守備センスをより大きく羽ばたかせたという話である。
長じて名選手として守備の山下、好きだったプレーは三遊間の奥から人工芝の特性を活かして山なりのダイレクト送球でなくわざとワンバウンドで一塁手がキャッチし易い球を投げるという渋い技、業?どっちかな(笑)が今でも脳裏にこびり付いている。
若くして頭髪が後退して、監督時代には不振の成績でも頭の丸めようもないほどの見事な禿頭ぶりを誇っていた大ちゃんだが、ここへきてアメリカへ恩返しにいくとは・・・「ハゲの恩返し(笑)」ちょっとふざけすぎかな。
さきほどWikiをみたらボイヤーは去年逝去していたとのこと、合掌。
あなたの弟子があなたの守備理論を還元しにいきますのでご安心を。