徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

私にとっての田辺聖子と瀬戸内晴美(寂聴)

2015-11-24 22:58:02 | 読書あれこれ
つい先日のこと、NHKスペシャルで
「いのち 瀬戸内寂聴 密着500日」を放映していた。

私にとって、青春期に出会った瀬戸内晴美(寂聴)、
もう93歳という。

私の両親の世代。
父は92歳、母も生きていれば91歳。

そんな瀬戸内寂聴、いえ、私にとっては瀬戸内晴美。
彼女の小説に出会ったのは二十歳を少し過ぎたあたり。

余りに濃厚なその小説は、時に眩暈を呼んだ。
けれども、また引き寄せられる。
そして読む。また眩暈、吐き気・・・。
嫌いってわけではないけれど、
彼女の小説の後には必ず口直しの小説が必要だった。

口直しの小説の作者は田辺聖子。
いつの間にか彼女のものなしには
瀬戸内晴美を読めなくなってしまった。

こうして、結婚する25歳まで
私は二人のものをよく読んだ。

そして時が経ち、いつの間にか、
瀬戸内晴美のものは読めなくなってしまった自分がいた。
私と感性が違ったのだと思う。
自然と彼女の作品から遠のいた。

一方、田辺聖子。
こちらはふと気が付くと、
もう瀬戸内晴美なしに読み始めていた。
当時、彼女の作品のなかには、
ちょっと婚期を逃しかけている女性が主人公のものがあった。
それが自分に重なり、そしてそれを読むとなんだかホッとした。
そして、元気になった。

今から40年前、当時は25歳という年齢が、
今の若い世代、つまり私たちの子ども世代でいえば
35歳ってところだろうか。

仕事を続ける人生か、あるいは家庭をとる人生か・・・。
今よりは共働きがファミリアでなかった時代、
私は結局家庭を選んだ。
いまでも、仕事を辞めたその日は
「時計が要らなくなった日」として
私の記憶に残っている。

その時、自分にとっては一つの幕が下りた。
そしてそれはまた次の幕開けでもあった。

それからの日々は子育てに明け暮れた。
しかしその山場を過ぎたあたりから、
少しずつ仕事に復帰していった。

そして20年が経って迎えた還暦。
そのときから同居することになった卵巣がん。
その抗がん剤治療の友は、
またまた田辺聖子の作品だった。

私の青春期を支えてくれた田辺聖子の作品は
いつの間に年を重ねた私をまた支えてくれている。

この流れていく月日の間に、
瀬戸内晴美は瀬戸内寂聴となった。
彼女との再会(と言ってもこちら側の一方的なものだが)は、
彼女の描いた作品ではなく、彼女の肉声を通してだった。

瀬戸内寂聴はとてもストレート、と私は思う。
そのストレートさが面白い。
文体はドロドロしているのに、
行動はとてもすっきりしている。
そんな発見があった。
彼女の作品は読まないが、
報道されるその生き様に引き込まれている自分がいた。

年月は、作家も変え、読者である私の何かも変えたのだ。

この二人の作家の生きている時代に私も生きている。
40年経ったからこその発見もある。

田辺聖子の文体は本当にたおやかだ。
生き方もその状況の中でできることを見つけて、
しなやかに生きている、と私には思える。
そこが好きだし、人間て面白いっていう感性もまた好きだ。
あとは、自分も自分らしく生きながら、
まわりの人に対する気遣いもすごいところ。
そこに惹かれる。
相変わらず読むと面白くて、
ああ、読んでよかった、さて私は何をしようって思える。

一方、瀬戸内寂聴。
文学を極めるため、
いえ、それが大好きだから出家したという。
それから40年以上の月日が流れている。
書くことと同時に行動するエネルギ-には物凄いものがある。

それを恋愛にぶつけていた時の文章を
若い時の私は読んでいたのだ。
だから、当たってしまった・・・。

自分を貫き通してきたが故の、潔さ、気持ちよさがある。
今の私は、そこにとても共感する。
彼女の文章を読む勇気はまだないけれど、
こういう人が生きているって面白いって思う自分がいる。

若い時に出会って、
読むたびに何かしら、心の元気をもらった田辺聖子。

人生の半ばでは私の方から一方的に絶縁したけれど、
それから40年後に再会し、作品よりも本人の生き様を
面白いって思える瀬戸内寂聴。

私が時代の制約はあっても、
自分らしく生きることを選びたいって思えるのは
この二人の作家との心の中の対話があったからって思える。

90歳を超えてがんの手術をし、
足に負荷をかけるリハビリに堪えても、
文学に心捧げる瀬戸内寂聴。

共に生きることを地で生きながら、
たおやかな小説やエッセイを生み出す田辺聖子。

女性という性を生きている私にとっては
大切な二人の女性作家なのでした。

横にいる夫は、
「俺にはわからない感覚だ・・・」とぼそぼそ呟く。

そう、その通り、同じ団塊の時代に生きていても、
私たちの感覚は、かほどさように違うのでした。

よく一緒にいられるって思うし、
だから一緒にいられるとも思う私なのでした。









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