徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

川上未映子さん「日常」を語るーNHKサタディエッセイからー

2016-09-10 10:50:20 | 読書あれこれ
土曜日の朝。
何気なく聞いていたNHKラジオの「サタディエッセイ」。
川上未映子という語が耳に飛び込んできた。

今年に入って、私は彼女の「あこがれ」を読んだ。
そして凄いなって思った。

 川上未映子「あこがれ」新潮社

私にとっては抵抗感のある書き方で、
はじめのうちは、ついていかれない!と思った。
が、ハマった。
と、私にとってはそんな作家だ。

そして今日。
「私の日常」という感じで、
今の日常を語られていた。

なかでも私が面白いと思ったのは、
4歳の息子さんとの日常だった。

息子さんは字に興味を持ち、
漢字を覚えてしまうという。
漢字というと、私たち大人は難しいと考えるが、
幼児期の子どもにとっては
それは絵と同じではないか、というのが彼女の意見。
私もそうだと思う。

だから、字に意味のないひらがなよりも、
意味のある漢字の方が
意味のある「絵」あるいは「図柄」として
まだ柔らかい頭に入っていくのだ。

「ひらがな」の方が子どもにとっても簡単、
というのは大人の思い込みに過ぎない。

もちろん、読めることと書けることの間には
高い段差がある。
これはあくまで「読める」ということについてだ。

幼稚園や保育園で、よく靴箱には
動物や植物のシールが貼ってあって、
〇〇ちゃんは「ぱんだ」のところよ、
なーんて言わなくても自分の名前の漢字を張ったって
全然問題ないともいえる。
特に年長くらいになればますますそうだ。

なんて、自分に引き寄せて考えながら聞いていたら、
こんなエピソードを話された。

確か寝室の大きなベッドで、
親子三人で眠るということだが、
その時にその息子さんが
「おじいちゃんはどこにねるの?」
と聞いたという。

「え、おじいちゃん??」(川上さん夫妻)
そんなおじいちゃんなんて、どこにもいない。
でも、息子には見えているのかも・・・と思ったという。

そこで私は思い出した。
長女が確か4歳くらいの頃、
想像上の友だちをもっていた。
名前は「グンガン」という。

もちろん私たちには見えないけれど、
彼女はグンガンと一緒に遊んでいた。

絵本の世界では、
こういう想像上の友だちと一緒に冒険したり、
遊んだりしているうちに、
ある時パッとその想像上の友だちが
いなくなるっているお話はたくさんある。
これもその一つ。

 マーク・ベロニカ「ラチとらいおん」 福音館書店

長女の場合は現実の世界でお友だちができた時、
グンガンはいつの間にか消えてきた。

幼稚園・保育園の年中・年長(4歳児・5歳児)から
小学校低学年にかけては、
きっと想像の世界と現実の世界を
行ったり来たりしている子どもたちも多いのだろう。
(まあ、おとなだってそうかもしれないが・・・)

そして、それを繋ぐのが「言葉」かなって思う。
川上さんは繋ぐというより
「言葉が生活を侵食していく」、
というような表現を使われていた。

前回のブログにも書いたが、
子どもが「物語」を紡ぎ始めるときと、
それは同時であるのかなと思う。

言葉が自分の世界に入り始める時だ。
そして、もう言葉のない世界があった、
なんていうことがまるで嘘のように、
生活が言葉で覆われていく。

ただ、面白いのは、
これまた子どもたちによって、
様相が全く異なるということ。

もっと、日常生活の模倣から
その物語を紡いでいる子どももいる。
だから千差万別。

自分が子育て真っ最中のときは、
親は現実的でないと親を張っていられないことも多く、
こんな子どもの世界に付き合う余裕、
いえ、気づく余裕さえなかった。

でもこうして、今、子育てから一歩離れた位置で、
幼い子どもたちと生活するチャンスを与えられて、
その現実と想像世界、言葉が生活を覆っていく様子、
そんなことをじっくりと味わいたいなって思う。

こんな場面を、親をやりながらも
しっかり見つめている川上さんて、
やっぱり言葉の世界と日々対峙している方だなと
改めて思った。

また、彼女の新作を読んでみようっと。


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