2020@TOKYO

音楽、文学、映画、演劇、絵画、写真…、さまざまなアートシーンを駆けめぐるブログ。

■ラ・フォル・ジュルネ ポゴレリッチ

2010-05-05 | ■芸術(音楽、美術、映画、演劇)
  大盛況のラ・フォル・ジュルネが幕を閉じました。今年は仕事の関係で会期中は毎日会場に足を運んだので、今朝は祭りの後の寂しさを感じています。

  昨年のバッハはロ短調ミサやマタイ受難曲など、大曲の演奏会に行きましたが、今年のショパンはポゴレリッチの協奏曲第2番のみを聴きました。

  ショパン・コンクールで物議をかもしたころの悩める青年の面影はなく、まさに巨漢というかマッチョというか、とてつもない存在感を漂わせて舞台に登場したポゴレリッチですが、演奏は繊細そのもの、独自の解釈でふだん聴きなれているこの曲の姿を極端に変えていきます。

  旋律はいたるところで分断され、楽曲の流れは意図的に疎外されます。ショパンの音楽がまとっている19世紀的なロマンチシズムの衣装ははぎ取られ、残酷なまでに分解された音だけが残されます。

  ただ、鳴っているのは紛れもなくショパンが譜面に書き残した音符=音楽です。現代音楽を聴いているような感覚にとらわれつつ、何故かショパンの音楽に魂がとらわれる。こんな体験は初めてのことです。

  ショパンを聴くために私たちが持っていたはずの教養は一切無視され、まったく新しい視点でショパンの音楽に触れることを要求されるわけですが、これは演奏家の啓蒙的な姿勢ではなく、高度な知的冒険という作業につながります。それは、作品と対峙するという挑発的な姿勢とは異なり、作品に没入した後に生じる作曲家と演奏家の幸福な同化として映ります。

  熱烈な聴衆の歓声に応えて第2楽章がアンコールされましたが、止まってしまいそうな遅いテンポで流れながら最後まで最高の美しさを保ちつづけて紡ぎだされる音楽の中に、この世とは異なる次元の時が刻まれているような気がしました。
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