2020@TOKYO

音楽、文学、映画、演劇、絵画、写真…、さまざまなアートシーンを駆けめぐるブログ。

神の目

2008-10-05 | ■エッセイ
■(C)Taku

  先週は仙台で一泊したあと、翌朝の飛行機で大阪へ向かいました。仙台の夜は、18年ぶりに再会した音楽仲間たちと大いに盛り上がりました。とはいえ、翌日の大阪では大きなビジネスが待っていたので、二日酔いを招く深酒だけは厳に慎みました。

  それが功を奏したのか、心も体も、さらには天候までもが絶好調の朝を迎え、飛行機は定刻どおりに大阪へ向けて離陸しました。

  シートベルト着用のサインが消えて機内サービスがはじまり、一息ついたところで、晴天の眼下には日本列島の姿がはっきりと現れました。

  秋の朝日に輝く山々の連なりをぼんやり眺めていると、ついに現れたのは威風堂々とした富士山のシルエットでした。一等群を抜いて屹立する富士の稜線のなだらかさ、滑らかさ…、その造形の美しさは自然の創造物だけに許された、いっさいの作為を超える奇跡的なフォルムとしか言いようがありませんでした。

  紺碧の空と海、天と地のはざ間に聳え立つ霊峰、そして、その周りをちぎれて飛ぶ白い鰯雲…、これが神の視点なのだろうか?もし創造主が天に棲むとしたら、これがその視点なのだろうか?

  私を乗せた飛行機は、好天の中をとてつもない速度で西へ進み、今度は杜の中にさまざまな形をした古墳や塚が現れました。古代人の手による巨大な造形物。典型的な前方後円墳とその周辺にある水場のコントラストの美しさ!これを造形した古代人は神の目を持っていたのだろうか?天からの視点、創造主の視座がなければこの造形は生まれないのではないだろうか?

  大阪~博多~大阪~仙台~大阪とつづいたこのひと月間の仕事の旅は、ようやく終わりました。昨日はついに過労で倒れ、一日寝ていました。今日も家で休んでいます。このブログを書きながら窓の外、空いっぱいに広がるいわし雲を眺めています。昔の漁師たちは、鰯雲を大漁の知らせとして空を仰いだと言います。今日もまた、高度一万メートルの彼方を、ゆっくりとした速度で、静かに、穏やかに、たくさんの鰯雲が流れていきます。

  

  

  

  

  

  
コメント
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